第4話
単調で退屈な日々は過ぎ去るのも早いもので、春先から始めたバイトは瞬く間に年の瀬になった。
この日もいつものように上映と上映の合間に、二階にある映写室のチェックを終えると(大抵、何の問題はないのだが、一応点検する規則になっている)、一階の入口から縦長に続くロビーに置かれたベンチに腰掛けた。
そしてレトロな円柱形の石油ストーブにあたりながら、何かと話好きなモギリのおばあさんと、他愛もない世間話をしていた。
木枯らしが吹き荒れ、映画館入口ドアがガタガタと音をたてるような寒い日の真夜中のことだった。
およそポルノ映画館にはそぐわない若い女性が、観音開きのそのドアを押し開いて、たった一人で入って来たのである。
髪と顔を覆うようにマフラーを首にグルグル巻きにして、その僅かな隙間から、物珍しそうに目だけをキョロキョロさせて周囲を見渡していた。ベージュのハーフコートにバーキン柄のスカート。その下からは黒タイツを履いた細く長い脚が伸びていた。
驚いたオレは絶句して女性を見た。
モギリのおばあさんもまた言葉を失っていた。
『駅前キネマ館』はどこからどう見ても、堂々たるポルノ映画館だったからである。特に夜の出入口は禍々しいピンクのライトに照らされ、間違って女性が入ってくるような場所ではなかった。
一瞬、近所にあるオカマバーのオネエさんかと思ったが、時間帯が違った。彼女たち(?)が来るのは、営業時間が終わる朝方になってからで、彼女(?)らが興味があるのは、映画そのものではなく、映画を観に来る客であり、スタッフで唯一若者であるオレなのだ。
いつもロビーでオレの隣に座っては、その独特の低い声で「たまってない? しゃぶってあげようか?」と耳元で囁いていくのであった。またすっかり明るくなってからやって来るオネエさんなどは「ウチで朝ごはん食べて帰りなさいよ。ワタシのお味噌汁はとても美味しいのよ」と少し変化を交えた誘い方をしたりする人もいた。また金額交渉してくるような少し強引な人もいたが、オレにそっちのけはない。
それでもオレはハッキリ断ることはしなかった。いつも笑って誤魔化した。オネエさんたちがオレを本気でどうこうしようと思っているわけではないのを知っていたからである。断られることを判っていて、その場のノリを楽しんでいるだけなのだ。
オネエさんたちを受け入れる男性のキャパは極端に小さい。その低い可能性の中、手探りで相手を探しているのだ。キューピットの矢ぐらいでは足りないのだ。機関銃を乱射でもしなければ、運命の人になど到底辿り着けないのである。だから断られることにも慣れていた。とは言え、傷つかないわけではない。
だったら、映画館のバイトごときであるオレが嫌悪を露わにして、傷つけることなんて出来なかった。
オレがへらへら笑っていると、オネエさんたちは「もう、いいわ」とふくれるが、気分良さそうに、次のターゲットを求めて映画館の中へと消えて行く。
オネエさん方の中には、身体構造的に男性だと見た瞬間に判る人もいるが、パッと見ただけでは女性と見紛うほど綺麗な人もいた。それでも彼女(?)たちはその醸し出す空気や匂いが独特だった。それは男とも女とも明らかに違うものであり、その中間というのでもない。彼女(?)たちはそういう未知の性別を持った人たちなのである。
だから、一瞬の迷いはあっても、入って来たのが正真正銘の女性であることはすぐに判った。
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