エレナside:欠けた私を埋める子
十一才の春だった。妃教育で城を訪れていた私とクリスタは、王妃様のティータイムにお呼ばれして、舞い上がっていた。
ごっこ遊びの延長みたいなものではあったけれど、茶会の作法に則って挨拶し、恭しく席に座り、お茶の席に似合いの話題を選んで、本物の貴婦人になったつもりでその場を楽しんだ。
王妃様もたくさん笑ってくれたし、クリスタも私も笑って、王妃様の故郷の異国の話や、恋の話も聞いた。時間を忘れて楽しんで、一息ついた時に、下腹部に嫌なダルさを感じた。と同時に、何かがドロリと身体の中から漏れ出して、その感覚のおぞましさに背中がゾクリとした。
おもらし、したのかと思った。
嘘? なんで? 勝手に出た?
焦って、濡れていないのを確かめようとお尻の下に手を差し込み、悲鳴を上げそうになった。
血……!? なんで? どうして? どこから? 私、死んでしまうの!?
そう思うと、さっき違和感のあった下腹部がズキズキと痛んできた。
嫌だ。怖い。どうしたら良いのか分からない。誰か助けて!
血の気が引いて、目の前が真っ暗で、笑顔が引き攣る。その時だ。
「そろそろ失礼致します。エレナ、行きましょう」
唐突に切り出したクリスタが、立ち上がれずにいる私に近付いてくると優しく耳打ちした。
「大丈夫よ。私が後ろを歩くわ。立てる?」
頷いて、立ち上がる。スカートのお尻の部分がどうなっているのか、椅子の座面がどうなっているのか、怖くて見られなかった。
怖い。足が縺れる。王妃様にだって、きっと変に思われた。
しゃくり上げそうになると、クリスタが後ろから私の両肩に手を置いた。
「大丈夫。歩いて」
クリスタが何か合図したのだろう。一人の侍女が寄ってくる。クリスタが何かを指示すると、侍女は駆けて行った。脚の間を、何かが伝う。気持ち悪さに涙ぐみながらも、歩を進める。すぐに別の侍女がやって来て、「こちらへ」と近くの部屋に通された。
侍女は部屋に入らず、クリスタと二人きりになる。緊張が緩んで、崩れ落ちそうになる。けれど、座ったら血が…… と、怖くて、崩れ落ちることもできずに立ち尽くす。足が震える。怖い。お腹が痛い。気持ち悪い。
「クリスタ……」
「エレナ、これは大丈夫なものよ。安心して。大人の女の人は皆あるし、これから、私もなる」
遂に泣き出した私を、クリスタが正面から抱き締めた。
やって来た侍女からタオルを受け取ったクリスタが、脚の間を拭ってくれる。タオルが血で染まったのを見て、倒れそうになる。
なのに、クリスタにも侍女たちにも焦った様子は無くて、自然なこととして手際良く処理されていく。
新しい下着とワンピースが用意され、綿を包んだ布を下着の中に入れて、血を吸わせるのだと教えられた。皆、そうしているのだと。皆、母親から教わるのだと。
私は何も知らなかった。誰も教えてくれなかった。母がいないというのは、こんなにも不利なのかと思うと、堪らえ切れずに涙が零れた。
「エレナは身長も高いし、他の女の子たちより大人になるのが早かったのよ。きっと、お父様も考えがあったのでしょうけれど、エレナがそれを追い越しちゃったんだわ。さすがはエレナね!」
クリスタは、相変わらず私を抱き締めていてくれた。お陰で、あれこれ知った後の、一番の気がかりを吐露できた。
「どうしよう。私、お城の椅子を汚しちゃった!」
その言葉を聞いたクリスタが、小さい子供をあやすように、私の背中を撫でた。
「大丈夫。すぐに染み抜きすれば落ちるし、張り替えだってできる。なんとでもなるわ。だってここは、国一番の偉い人のいるお城ですもの!」
力強く言い切られると、そんな気がしてきた。王妃様の前で、お城で、粗相した。もう駄目だ。そう思ったけれど。お城だから大丈夫。本当にそうかもしれない。だって、クリスタがそう言うのだし、侍女たちも誰も特別なことのようにはしていない。淡々と片付けて、クリスタの言葉に頷いている。
その後、クリスタは私を送り届けると、うちの侍女長に掛け合い、侍女長の手で必要な全ての物と情報が揃えられた。
それからも、ことあるごとに、何度も何度も、私はクリスタに助けられた。クリスタが居れば、母親のない私も、まともでいられた。欠けた部分を埋めてくれるのは、いつも、クリスタだった。
クリスタとの出会いは私にとって幸運なことだったけれど、不幸でもあった。クリスタにとっては、私がそういう存在じゃないから。
クリスタとマリウス様が、密かにお互い思い合っているのは知っていた。いつか捨てられる私は、いつも不安だった。
だから、ずっと持っていた不安が現実となった時、マリウス様にクリスタを取られる覚悟ならできていた。でも、クラスの女生徒たちまで、クリスタと私の間に割って入ろうとするなんて、想定していなかった。アリアナや、……誰だったか、みたいに、親しくしながらも、一歩引いていてくれるものだと思っていた。
私は、クラスメートたちが怖かった。あの幼い日の園遊会で、両親に手を引かれていた子供たちも怖かった。欠陥品の自分とは違う、丸く満ちた人間たち。
女生徒たちに囲まれるクラスタを見て、もともと欠けていた自分が、ぼろぼろと崩れていくように感じた。
気付いた時には、みっともなく泣きながら教室から逃げ出していた。
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