マリウスside:なんっだよもう!
「生理なので今日はできませんよ?」
「違うっ!」
クリスタに訝しげに小首を傾げられる。その、あまりの邪気の無さに、酷い徒労感に襲われた。
「なぜそうなる。それだけがしたいわけじゃない」
なんだ? 俺がおかしいことを言っているのか?
「確かに、結婚前に経験したいようなことは言った気はする」
「はい」
「それについて、クリスタが手伝うと言った」
「はい」
「手伝った……」
「はい」
クリスタが、曇りのない目で真っ直ぐに見上げてくる。
「まさか、本当にそれだけ? それだけでできてしまうことなのか? あなたにとっては、そんなに簡単なことだった?」
その問いにクリスタは答えず俯いた。
俯いて、そのままコツンと、俺の胸に頭を預けてきた。あの夜、一度目を覚ました時のように。
「マリウス様」
あの夜と同じ甘い声で名を呼ばれ、思わずまた、胸の奥がぎゅっとする。
「ん」
「もう、許してください」
表情は分からないけれど、消え入りそうな震えた声だった。
そんなこと、あるわけないでしょう? っていう声だった。
それでいて、こちらの思い一つで抱き竦めることも首を絞めることもできる、そんな場所にか細い身を投じて、「許して」と言う。
狡いだろ。でもきっと、狙ってやっているのではない。本音なのだろう。本気で、申し訳無いことをしたと思っていて、俺に断罪を委ねているのだ。
どうしよう。やっぱりこの人が好きだ。
どちらか選べと言うなら、抱き竦めるのを選ぶ。
「クリスタ……」
俯いたままのクリスタの顎を掬い上げ、ほんの少しだけ開いた唇に吸い寄せられる。ゆっくりと距離が近付き、お互いの唇の先が微かに触れた。その時、教室のドアが、音を立てて開けられた。
「おやまあ」
拍子抜けする気楽な調子の、驚きを表現する声。はっとしたその隙に、クリスタは腕の中からするりと抜け出し、入ってきた男子生徒の横もすり抜けて教室から出て行ってしまった。またも、手の内から消えてしまった。
残された俺は、その場にへなへなとしゃがみ込み、両手で頭を抱えた。
今、自分はなんてことをしようとしたのか。許してって言われたのに。許して、なんて言うから。許して、って……
「あああああああ!! なんっだよ、もう!」
「何を吠えているんです? お邪魔でした?」
「邪魔!……だけど、邪魔じゃない。いや、やっぱり邪魔だったのか? もしかして今、なし崩しにするの失敗したんじゃないか? いや、駄目だ。そうじゃない。それは駄目なんだ。それだけじゃないんだああああああ!!」
「へえ。意外です。今の、クリスタ・ウォーターハウスですよね」
降ってきた呟きに、すっと冷静さが戻る。抱え込んでいた頭を放し、その場に尻を着いて座ると、見下ろしてくる金の髪の男子生徒を見据えた。
「口は固いので、ご安心ください」
不敵とも言える微笑。この人物について、知る限りの情報を、頭の奥から引っ張り出す。
フランシス・カバネル。子爵家の次男。成績は優秀だが、目立ちたくないのか、試験ではわざと手を抜いている節がある。特定の親しい友人は作らず、人間関係は広く浅く軽く。本心は見せないタイプ。目的重視。野心は低め。
「私の顔に何かついていますか?」
「いや」
「お困りでしたら助けになりますが」
「今は良い」
そう言いながらも、差し出された手を取り、立ち上がった。
「婚約を正式に不成立とさせてもらいたい」
翌日の放課後、中庭に呼び出したエレナに切り出した。一人で来いとは言ったが、本当にエレナが一人で現れてくれてホッとした。元々、自分との婚約はいずれ破棄すると豪語していたエレナではあったし、すんなりことは運ぶはずだが、クリスタの前でこのやり取りはしたくない。
「どうしてですの?」
「クリスタを本気で思っていると気付いた」
エレナの思惑通りだ。これでお互い合意だ。婚約不成立で、後はヒューズ侯爵に説明を……
「嫌ですわ」
こちらを見もせず、綺麗に塗られた自分の爪を気にしながら、エレナが言い捨てた。
え? 「嫌です」? 聞き間違いか? そんなはずは無い。
「え?」
「気が変わりました。私、正式にマリウス様の婚約者になります」
「待て。どういうことだ?」
「クリスタと随分と親しくなられたのですね」
驚きも焦りも表情には出さなかったが、一瞬、言葉に詰まった。
「なぜそう思う?」
「あら、お気付きじゃございませんでしたのね? 先日、城で話をした時、マリウス様はクリスタを、クリスタ嬢と呼んでいらっしゃいました。今はクリスタと呼びました。以前より親しくなったのですよね? 私、ちょっと気分を害しました。私の居ない場所で、皆して楽しんでいたのですね。こうなったら、とことん邪魔いたします。私は、マリウス様とクリスタの仲を引き裂かせていただきます。では、失礼」
言うだけ言うと、エレナはくるりと踵を返し、いつも以上にピンと背筋を伸ばしてその場を去った。
その背中を呆然と見送り、またも頭を抱えてしゃがみ込む。
なんっだよもう! あっちもこっちもっ!!
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