マリウスside:君に落ちる


 二人とも何も喋らなかった。もう分かっていたし、決めていたし、余計なことで水を差されたくなかった。


 庵の管理をしてくれている爺さんは、クリスタを見ても表情を変えず、いつもなら訊ねてくる「お夜食を持ちしますか?」とか「朝食は何時頃にいたしますか?」とかもなくて、何も説明しなかったけれど、たぶん全部分かっていて、人払いもしてくれて、やたらと恥ずかしかった。


 手は、馬車の中からずっと、離せなかった。不自然な繋ぎ方だったけれど、部屋に入るまで、二人きりになるまで、そのままが良かった。足がもつれそうで、部屋までの廊下が、やたらと長く感じた。


 幼い頃から自分のものとして使っている部屋に入って早々、クリスタをベッドに押し倒す。見慣れた風景の中に異物がある。その異物に口付け、下唇を少しだけ噛んで、離れる。


 押し倒すまえに脱がせるべきだったと焦れながら、ベッドの上で、脱がし、脱ぐ。


「嫌な時は言えよ。止めるから」


 脱がせる時のことなんか考えて作られていない夜会用のドレスに手間取りながら言うと、脱がせやすいよう身動ぎしていたクリスタがこちらの首筋に唇を寄せ、軽く吸った。


「駄目。痛がると思うけれど、ちょっとくらい無理しても壊れたりしないので。大丈夫なので、逃げようとしても、捕まえて、……してください」


 吸われた箇所が、すうすうと涼しい。こんな軽くじゃ物足りない。早く、もっとしてほしい、したい。だけど、誘っておきながら、勇ましいことを言いながら、クリスタの声も手も震えていて。心臓の奥の方がぎゅっと掴まれたようになる。

 無茶なことを言う。さっきだって、掴んだ手首が思った以上に細くて、折ってしまうんじゃないかと怖かった。


「ちょっと、が難しい」

「じゃあ、いっぱい、大丈夫です」


 耳元で囁かれた声が、脳を甘く溶かす。やっと脱げた邪魔物をベッドの下に放り落とし、今度こそ、細い手首をシーツに縫い付ける。

 長い夜が始まった。






 ほんの短い眠りの後、目を覚ますと、まだ自分はクリスタの中に居た。


 まだ夜が明け始めた頃だろうか、腕の中に温かくて柔らかい湿ったものを抱き締めていて、あんなことしたのに、いっぱいしたのに、目の前の灰金色の頭からは他人事みたいに石鹸のような清潔な匂いがしていて、それがクリスタらしくて少し笑った。


 その僅かな肩の揺れに呼応するように、クリスタが目を覚ました。


「わたし、ねむってた?」


 掠れた声。寝ぼけているようで、舌足らずなのが可愛い。


「いいよ。もっと寝て」

「んう……」


 腕の中で身体をもぞもぞさせるから、せっかく繋がっていたものが抜けてしまった。残念。

 抜けた瞬間、嗅ぎ慣れたような慣れないような匂いがして、クリスタの吐息混じりの声も甘くて、掴まれっぱなしの心臓の奥が、もっと狭くなる。


 駄目だ。今日のところはここまでだ。もう既に、十分すぎる無理をさせた。


 最初はまだ冷静さもあったのだが、必死で、夢中で、段々と色々なものがあやふやになってきて、途中からは、断片的にしか思い出せない。

 クリスタは自分で言ったように痛がって、ずり上がって逃げようとした。それを、肩を掴んで、押さえつけて、無理矢理捩じ込んだ。涙が綺麗で、舐めるとしょっぱくて、もっと欲しくて止められなくて、無理させた。


「すまなかった」


 謝ると、クリスタは何も言わずにこちらの胸に頬を擦り寄せ、暖を取ろうとでもするみたいに、脚の間に膝を滑り込ませてきた。可愛いし嬉しいのだけれど、さらさらした脚で内腿を撫で上げられると、性懲りもなく欲が湧きそうになって困る。


「ごめんなさい。ねむい」

「うん」


 声が掠れた。昨夜のクリスタの全てが可愛くて、無防備に眠るクリスタが可愛くて、愛おしくて、大事で、またクリスタとこうしたくて……


 はっと気付いた。


 明日、というか、もう今日だけれど、起きたらクリスタに結婚を申し込もう。


 ウォーターハウス伯爵に使いを出し、クリスタにはここに残ってもらって、一人でヒューズ侯爵に謝罪をしに行こう。エレナはこちらを援護して、軽やかに婚約者候補を降りてくれるはずだ。しかし、まずは謝らなければ。その後、クリスタと二人でウォーターハウス伯爵の元へ行き、結婚の許しを得よう。


 やることが決まって安心したからか、急に眠気が襲ってきた。ふわふわと浮ついた心地良さに、頬が緩む。


 とにかく今はこの愛しい塊を抱いて寝よう。明日起きたら、世界は変わっている。




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