マリウスside:絡め取る君


 馬車には隣り合って座った。考えてみれば、女性と二人で馬車に乗るのも初めてで、隣に座るのが正解か、向かい合って座るべきなのかも分からなかった。

 友人たちが婚約者や恋人との話をしていても、興味が無くてあまり聞いていなかったし、正直、「女性と二人きり、密室で逃げ場が無いなんて気詰まりだろうな」程度に思っていたのだ。


 しかし、違った。大人しいと思っていたクリスタは話題が豊富だったし、案外よく喋った。庶民の間で流行りの菓子の話から、さっき止めようと思った輸入関税の話まで、何でも知っていて、何にでも意見を持っていた。そういえばこの人もエレナと一緒に、帝王学や政治理論等を含む、いわゆる妃教育を受けていたのだった。


 クリスタと過ごす馬車の中は、気詰まりだと想像していた逃げ場の無さまでも、日常から切り離された楽しいものに思えた。


 無理に対女性仕様に会話を選ばなくても良いのは、気楽だった。エレナなどは、同じ妃教育を受けているはずなのに、興味の無い話でも適当な相槌を打ちながら聞き続ける技術が必要だ。しかしクリスタとは、気の置けない男友達と居るようだ。特に小難しい経済の話などしたら、さっきまでちらついていた色っぽい期待やら「密室」の意味深長さやらを軽くしてくれる。


 そうだよな。クリスタはからかったか、適当に話を合わせただけで、最初からこうだったんだ。良かった良かった。


 大部分では安堵して、少しだけ残念な気持ちもあって、でも、やっぱりホッと息をつく。会話が途切れたのも重圧に感じない。心地良さを味わいながら、真っ暗な窓の外に目を向けた。そろそろ着く頃だ。


 一年ほど前に、母から譲り受けた花の離宮。あそこなら、数人の使用人がいるだけで堅苦しくないし、そもそもが母の家出用の庵だから、いつ訪れても主を迎える準備ができている。

 全く打ち解けていなかった幼馴染だ。共通だけれど、共感し合っていなかった思い出がたくさんある。時間の限り話し尽くそう。


 そう思った矢先だった。


「私、五つか六つの頃に、犬に噛まれたんです」


 突然知らない話が始まった。犬に噛まれた? 犬が苦手ということだろうか。


「大丈夫だ。これから行くところに犬は居ない」


 俺の答えに、クリスタは静かに微笑んだ。そういうことではないらしい。


「その時の傷が今も残っているんです。このあたり」


 指し示されたのは、太腿だった。スカートに隠れてよくは分からなかったけれど、足の付根に近いあたりだろうか。


「先に伝えておかないと、見た時に驚くでしょうから」


 それだけ言うと、クリスタはプイッと顔を背け、窓の外に目をやってしまった。


 え。「先に」? 「見た時に」? そこを、見るのか? 見せるのか? だってそこ、脱ぐかたくし上げなるかしないと見れな……


 クリスタがどんな表情をしているのか分からない。どんな意味で言ったのか分からない。いや、分かるからこそ、頭の中が真っ白になる。まただ。思考を停止させられるのは、今夜これで何度目だろう。


 その時、轍にでも嵌ったのか馬車がガタンと大きく揺れた。咄嗟にバランスを取ろうと座席に手を置く。と、そこにクリスタの手があって、小指同士が微かに触れた。


 離れたほうが良いのは分かっていた。素知らぬふりして距離を取ろうとした。けれど、硬直したように、手が動かなかった。


 考えられない、動けない、木偶の坊になったままで居ると、何もできない小指にするりと絡みつくものがあった。見なくても分かる。クリスタの細くて冷たい小指が、控えめに、俺の小指を絡め取った。


 もう駄目だった。


 無防備に投げ出されたクリスタの手に、手を重ね、指と指の間を割るように自分の指を差し込む。そのままぎゅと握っても、クリスタの手は抵抗の意思を示さない。なされるがまま、俺の好きなようにされていた。


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