マリウスside:つれない君


 エレナと一緒に定期的に城を訪れるようになったクリスタは、それまでの二回と態度を一変させ、挨拶以外で俺と目を合わせなかった。


 それだけじゃない。クリスタに話しかけるとエレナが答え、エレナと話しているとクリスタは身を引いて後ろに下がり、時にはそのまま姿を消してしまうのだ。

 何も言わず、何も聞かず、ただ透き通った瞳で見つめるだけのクリスタは、空気でいようとしているみたいだった。


 最初の頃は、その行動の意味が分からず、無視されているように感じて、不満だった。しかし、一年が経ち二年が経ち、大人になるに従って、クリスタのそれが立場に応じた距離感であり、婚約者候補であるエレナに対するクリスタの気遣いなのだと分かってきた。


 それでも、クリスタの応える声が聞きたくて、半ば自棄になりながらも話しかけ続けていた。けれどやはり、直接働きかけるとエレナの邪魔が入り、クリスタの涼しい顔が崩れることはなかった。


 打つ手がなくなった俺は、ひたすら勉学に打ち込み、剣術に打ち込み、常に人の上に立ち、率先して他人の嫌がる仕事をこなし、誰彼となく明るく気さくに振る舞った。そうしていれば、クリスタの視界の中に居られるだろうし、言葉にはしてもらえなくても、ちょっとでもクリスタが気にしてくれているなら嬉しかった。

 結果、賢くなり、身体が頑丈になり、地位が盤石になり、友人が増えただけで、クリスタとの距離は縮まらなかったわけだけれども。


 不毛な年月を重ねる間に、不満は減ることなく増し続け、ぶつける相手のいないそれは溜まり続けた。

 そして、遂に昨日、クリスタが熱を出したとかで一人で城にやってきたエレナにむかって、不満を爆発させた。


 妃教育の授業を終えたエレナをむかえて、いつものように茶を飲み始める。エレナは、自分より一年早く社交界デビューを迎えるクリスタのドレスについて、お喋りが止まらないようだった。その話をぶったぎって、前々から思っていたことをぶち撒けた。


「エレナがクリスタ嬢を好きなのはわかった。クリスタ嬢がエレナを大切に思っているのも知っている。それにしても、クリスタ嬢はエレナを思い過ぎじゃないか? 仮にも私はこの国の王太子だぞ? 私に対する気遣いはないのか? それに、幼馴染と言っても良いくらい長く一緒にいるんだから、もうちょっと愛想良くしてくれてもいいはずだ。いや、愛想なんかなくていい。ちょっとくらい関心を寄せてほしい。寄せるべきだ」


 口に出してみて、子供が駄々を捏ねているのと同じだと気付いたが、それでも一度漏れ出した不満は止められず、こんこんと愚痴り続けた。

 立場を考えて謙虚になりすぎているクリスタとは対象的に、立場を気にもせず言いたいことを言うエレナとは、もうずっと前から、本音を言い合える兄妹のような関係で愚痴を言いやすかったのだ。


 それでも、突然の爆発に面食らうだろうと思われたエレナだったが、王太子のみっともない愚痴に無言で耳を傾け、冷静に優雅に菓子を堪能し続けていた。そして、こちらが言いたいことを一通り言い切った頃合いを見計らってゆっくり一口茶を飲むと、にやりと笑った。


「やっと本音が出ましたわね。実は私、ぜえんぶ、知っておりました。知っていて邪魔しておりましたの。だって、クリスタは私のたった一人の大事なお友達。マリウス様にだって、まだあげられませんもの」


 面食らったのはこっちの方だった。


「邪魔していた? なにを」

「ええ。邪魔しておりました。マリウス様がクリスタに話し掛ければ、会話を横取りしました。マリウス様がクリスタを見れば、視線が噛み合わないように遮るように間に入りました」

「なんでそんなことを」

「仕方がありませんわ。私にはクリスタしか居ないんですもの。学園に入ってお友達はできましたわ。でも、クリスタだけは別。クリスタだけは、私を全部絶対に許してくれる。絶対に受け入れて味方でいてくれる。そんな人、私には他に居ないもの」


 何を言っているのか、分かった。絶対に切れない繋がり。絶対的な無償の愛情。エレナはクリスタに、「母」を感じていたのだ。

 切実な訴えだった。エレナが自分の弱い部分を見せるのは初めてだった。納得した。が、何か引っ掛った。


「いや、待て。話がすり替わっている」

「あら。バレましたわ」


 神妙な態度を一変させて、エレナがくすくす笑った。このは、そういうところがあるのだ。王太子を王太子とも思わず、平気で騙そうとしたり誤魔化そうとしたりするのだから。まったく。


「でも、クリスタを取られたくなかったのは本当です。マリウス様もクリスタも、放っておくとすぐ、二人の世界に入ろうとするのですもの」


 寝耳に水の話だった。


「二人の世界?」

「ええ。とくにマリウス様です。クリスタばかり見るし、クリスタにばかり話しかけるし、クリスタの居ない今もクリスタの話しかしていません。昔っからそうですわ。これで私の方を婚約者候補にするなんて、大人は何を見ているのかしらと、ずっと思っておりましたわ」

「待て、何の話だ?」

「クリスタを妃教育に同伴させてきたのは正解でしたわね。という話です」


 またもにやりと微笑まれ、エレナの言わんとすることが漸く分かった。分かったけれど……


「待て待て待て、違う」

「あら。気付いていらっしゃいませんでしたのね。いやだ。鈍感なんだわ」

「いやいやいや、そうじゃない。そういうことじゃなくて……」


 ならばどういうことか、については、言葉が出てこなかった。


 あれ? どういうことだ?


「……普通に、接してほしいだけだ」

「クリスタに普通に会話にまざってもらって、私と三人で普通に楽しく?」

「まあ、そうだな。最初は、そうだな」

「最初? ということは、先がありますのね」

「いや、無い。最初も最後も無く、そうしたい」


 それも違う気がしたが、今はそれについて考えるのは時期尚早が過ぎる気もした。

 自分が一体何をしたいのかが分からず、頭を抱えて唸りだした俺を、エレナは冷ややかな目で見て、言った。


「私、マリウス様の本音が聞けて、考えを変えました。これからは、全面的に協力いたします」

「何をどう協力するんだ? 嫌な予感しかしない」

「私、自分が我侭だって自覚がありますの。クリスタに迷惑をかけているのも知っています。だから、そろそろ幸せになってもらうことにしました」

「さっきまでと言っていることが違うが。まだ誰にも渡さないって言ってなかったか?」

「ですから、考えを変えました、と言いましたでしょう? マリウス様がこんなに鈍感だなんて思わなかったんですもの。このままじゃ、本当に私と結婚してしまいますわよ? そうならないためにも、今から私は、クリスタとマリウス様をくっつけます」


 言い出したら他人の言葉など聞きもしないエレナが、握り拳を作って宣言したのだから、本気なのだろうとは思った。しかし、「では、明日いつもの中庭で作戦会議しますわよ」と言い残して帰って行ったエレナが、翌日の中庭で既に網を張っているとは、思いもしなかったのだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る