第23話

 カズマは思わず顔を緩めた。


「どこのメディア?」

「ニューヨーク大学の新聞」


 学生ジャーナリストと聞きカズマは少し肩を窄めた。シャーロットはそれに気付くと何とか糸口を探る。


「ここうちの近所なの。随分盛り上がってたから興味持って入ってみたらあなたの作品に惹き込まれてしまったの」


 カズマは疑うようにシャーロットの目を覗き込んだ。彼女は全くその目を逸らさずカズマの細い目の奥を覗き返す。


「もし忙しくなければ来週の記事用にちょっと話聞かせてもらえないかなって」


 カズマは頷くと騒々しいギャラリーから外へと彼女を連れ出した。夏の湿気をたっぷり含んだ外気が体にまとわりつく。熱を帯びた黒いアスファルトの歩道を、まるでキャットウォークのように洒落た服装のヒップスターが次々に通り過ぎる。


「みんなマッド•ドッグで騒いでるのになんでオレの絵なんか?」


 カズマはマリファナのジョイントを煙草ケースから取り出すとそれに火をつけ大きく深呼吸し、シャーロットに渡した。シャーロットは一瞬ためらいながらもそれを受け取り一吸いし、カズマの口にジョイントを戻してから大きく煙を宙に吐いた。


「謙遜しないで。あなたの作品の方が彼のより評判いいと思うわ」

「なんでそんな事がわかる?」

「わからないけど…。ただあなたの画は、人が長い時間かけてじっくり見ていたわ」


 悪い気はしない、カズマは少しずつ態度を緩めていく。

「それで、オレから何が聞きたいの?」

「あなたのバックグラウンドをもっと聞かせて。ギャラリーのパンフレットでは『日

本生まれ•十七歳で単身渡米』だけ。絵にも説明がない」

「絵の意味なんて見たヤツが決めればいい事だろ」


 シャーロットは子供を諭すように声のトーンを落とす。

「でもあなたの絵のほとんどは日本語で何か書いてあるでしょ?それくらい訳すべきじゃない?フェアじゃないわ」

「わかったよ」


 カズマは最後に大きく一吸いしたジョイントを道路に放り捨て、シャーロットの手をとり混雑したギャラリーの中に入った。入り口付近のマッド•ドッグを素通りし、奥の部屋にあるカズマの絵の前でシャーロットが立ち止まった。


「これはなにがインスピレーションだったの?」

 カズマは肩を少しすくめ、当ててみて、とジェスチャーをする。

「何かに対する怒りしか感じないわ」

 シャーロットは探るようにカズマを上目遣いに見つめた。


「何に対しての怒り?」

「俺にとってアートなんて単に怒りを吐き出す手段だから」

「そしたらずっと怒り続けてなきゃいけないじゃない」

 カズマはそれがどうしたと言わんばかりに肩をすくめる。

「怒りが無くなったらアートをやめりゃいい」


 シャーロットは不満そうに鼻を鳴らし、目を細めた。

「君にだって怒りはあるだろ?どういう風に吐き出してるんだ?」

「ショッピングしたり本を読んだりとか。愛があれば怒る必要なんて無いわ」

「俺にはそんな穏やかな感覚はないな。人への不信感がありすぎる」

 

シャーロットはカズマの屈折した感情と淋しさに満ちた視線から目を逸らし、隣の絵を指差した。

「あれは?」


「英語と日本語の境界線を試したお遊びだよ。記事にするほどの作品じゃない。アルファベットを崩して“Art”。カタカナを崩しても“アート”」


 シャーロットは感心して大袈裟に目を見開くと、湧き出てくる好奇心を隠そうともせずに次の作品に身を乗り出した。


「じゃああそこにあるのは?」

「あれは一つの単語『真実』の二つの漢字を混ぜ合わせて新しい文字を作ったんだ」

「『真実は一つ』って意味?」シャーロットが口をはさむ。

「いや『真実なんて誰も分からない』って」


 シャーロットは深く頷くとまるで魔法にかかったような憧憬を浮かべ周りの画を一つ一つじっくり見つめながら歩を進めた。そして一番大きな真っ青なキャンバスに描かれた抽象画の前で立ち止まると、しばらく無言で立ち尽くした。灰色の螺旋が中央に向かって細かいグレイスケールで描かれ、その中心に日本語が書かれている。


「これは?」

 シャーロットの純粋な視線にカズマは耐えきれなかった。

「ちょっと訳せないかな。日本語独特の表現でさ」

「私はあなたを記事にしたいのよ、さっきも言ったけど。それでこの絵の意味を知る事がとても大切だと思うの」

 シャーロットは口を尖らせながらカズマを覗き込む。


「なんで?」

「この絵にあなたのエッセンスがある気がするから」

 確かにその通りだった。


シャーロットの挑発的な決意に眼差しにカズマは覚悟を決め、口を開く。

『救ってほしい。許してほしい。認めてほしい。愛してほしい。』


 シャーロットは表情を変えずに頷くと口元を少しだけ緩めた。先程までの力強い眼差しは母性を伴う穏やかなものになり、彼女の吐く息の温かさがカズマの奥深くにある空洞にしっとりと浸透していった。それは行き当たりばったりでやり過ごしてきた、味方も理解者もいない一人きりの人生の中で初めての感覚だった。


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