第19話

 歯軋りをしながらハンドルを握るロニーを助手席のエドウィンは不安そうに見つめた。後ろの座席に座ったカズマは窓枠に頭を預けていびきをかいている。その隣のルーシーは相変わらず憂鬱そうに外を眺め、等間隔で目の前を通り過ぎる木製の電柱の数を数えていた。ロニーはこの旧車が出せる限界まで速度を上げ、近づいてくる

看板に向けて威勢よく大声をあげた。


「『Welcome to Virginia』ここからがアメリカの南部だぞ!ようこそ

アメリカへ!ワウ!」


 瞳孔を開きながら奇声をあげるロニーに辟易しエドウィンは自分のスマホをステレオにつなげ、静かな環境音楽を流した。ロニーはお構いなしにその音をかき消すように大きな声で話し続ける。


「なあ、攻殻機動隊って知ってるか?」

「日本はなんであんな小さいくせにアメリカに喧嘩売ったんだ?」

「彼女はいるのか?どんな女が好きなんだ?」


 エドウィンはほとんどの質問を英語がわからないふりをしてやり過ごしたが、小学生のように屈託のない表情を見ると、少し申し訳ない気がしてしまう。これが空気を読めない人間の強さだ、と思う。それでも気の無い返事をし続けるとロニーもようやく口をつぐんだ。


 高速を抜けると細い二車線に合流した。道の脇には巨大なウォルマートが圧倒的な存在感でそびえ立っている。野球場くらいの面積はあるのではないか。周りに一切店の見当たらないこの街の住民の生活はこの大型スーパーで全て成り立っているのだろう。エドウィンは一昔前の銃規制に関するドキュメンタリー映画をふと思い出した。ここでも銃を販売しているのだろう、もしかしたら隣のロニーも今銃を持っているのかも等と考えるとゾッとする。


 やがて道は一車線になり、ロニーは記憶だけを頼りに右へ左へとハンドルを切った。少し進むと辺りは荒れはてた雑木林だけになる。こんな場所で生まれ育ったらニューヨークや東京に憧れるのも無理はないかもな、とエドウィンは妙に納得した。カズマが言うように生まれ育つ環境は誰にも選べないのだ。


 やがて舗装の一切がされていない砂利道になる。暮れかけた夕陽に照らされた雑木林と、その向こうに広がる不穏な空気感を微妙に感じ取るとエドウィンは少し不安になった。


「びびんなくて平気だよ。もうちょっと行った先がオレの実家だ。トレイラーハウスだけどな。親父がそこにいるかどうかはわからないけど少なくとも家はあるはずだ」


 がたがたの砂利道を時速五十キロで進むと、大きな石を踏んだ車は奇怪な音をたてて大きく揺れた。その衝動で目を覚ましたカズマは寝ぼけながらあたりを見回す。


「ん?ここはどこだ?」

「オレのホームタウンだよ!ウェルカム!」

 ロニーがバックミラー越しに答える。


 トレイラーハウスの集落。労働者階級を扱った映画でしか見たことのない貧相な長屋が目の前に並んでいる。ピックアップトラックばかりの集落に場違いなクリーム色のビートルがゆっくり進んで行くと、外でたむろしている中年の連中が茶色の唾液を地面に吐きつけ、怪訝な視線をこちらに投げかける。爆竹をぶつけ合っているティーンエイジャー達。呂律の回らない英語で妻を罵っている男。これがプアホワイトという種類の白人なのかとエドウィンは不思議な気持ちで眺めた。


 ロニーは溜め息を噛み潰しながら車を徐行させ、ペンキが剥げてアルミがむき出しになった白いトレイラーハウスの前でブレーキを踏み、ギアをゆっくりパーキングに入れた。そして車を飛び降りると家のドアまで駆け寄ってノックする。応答は無い。カズマとエドウィンがその様子を眺めていると、後ろの席でルーシーが冷ややかに呟いた。

「多分夜逃げでもしたのよ。都合が悪くなると逃げるのは遺伝ね」


 ロニーは重い表情を改め、車の外で伸びをしているカズマに歩み寄った。

「ここで大丈夫だ。じきに誰か帰ってくるさ。もし帰ってこなくてもあんなドアは簡単にぶち壊して中に入れるしな」


 ルーシーが面倒くさそうに車からゆっくり出ると、ロニーは唇を噛み締めながら彼女の目を力なく覗き込み、その肩を軽く叩いた。そして自分のジーパンのポケットからくしゃくしゃの一ドル札の束を手づかみに出すと、それを全てカズマに差し出した。せいぜい二十ドル位だろう。カズマはその金をそのままロニーのポケットに突

っ込んだ。


「受け取れないよ。俺とお前は同類なんだから」

 ロニーは力なく微笑み、聞き取れないくらい小さな声で礼らしきことを言った。それから何か思い出したようにジャケットのポケットを漁り、くすんだ緑色の塊が入った小さなジップロック袋を掴んでカズマの手に握らせた。


「こんな自分に優しくしてくれた人間にはできるだけフェアでいたいんだ。世の中は優しくない事やアンフェアな事に満ち溢れてるし、人を平気で踏みつける連中ばかりだろ?」


 カズマは泣きそうな顔をしたロニーの汗ばんだ金髪の頭を軽く叩いたーわかるよ、オレもそうだーロニーの骨張った手を両手でしばらく握ると、カズマは決意したようにそれをほどき、エンジンがかかったままの車の運転席に乗り込みドアを閉めた。


 バックミラー越しに小さくなっていくロニーが「Banzai!」と叫んでいる。カズマは一寸笑ってアクセルを踏みながら同じ言葉を同じ声量で繰り返した。その声は湿った南部の風に溶け、ロニーまで届いたかもわからない。


 エドウィンは迷惑極まりない旅の道連れがいなくなる事に安堵しつつも、トレイラー集落に吸収されて見えなくなっていくロニーとルーシーの姿に何故か胸が絞られるような感覚を覚えた。

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