第18話
一人でこういう店に来るのは初めてで、ジェフは建物の入り口で立ちすくんだ。なぜ来てしまったのか、自分でも不可解だった。
今までどこか見下していた日本独特の水商売に、この年齢にして嵌ってしまった事を自嘲しながら、ジェフは深呼吸してエレベーターのボタンを押した。仕事の付き合いでしか行かないクラブ内はいつにないよそよそしさと妖しさを醸している。自分は日本人ではないという自覚が久々に襲ってくる。
「いらっしゃいませ。あら、今日はお一人ですか?」
ママから顔を覚えられている事実に少し気恥ずかしさを感じながらもジェフはおしぼりを受け取り毅然と頷いた。
「ご指名はございますか?」
「あの子…なんだっけ、未来ちゃんって言ったっケ」
ジェフは照れ隠しにとぼけた顔で伝えるとママはにっこり微笑み、ジェフを手前の卓に案内した。ジェフは皮張りのラブチェアに座ると、おしぼりで何度も手をふき水を一気に飲んだ。久しぶりにタバコが吸いたくなる。
「失礼します。座っていいですか?」
顔を上げると、真紅のリップを大胆に塗った小さな唇と胸元の大きく開いた赤いドレスがジェフの目に飛び込んだ。スリットからは瑞々しく細い足がのぞいている。先日と全く違う印象の未来の姿に戸惑いつつも、ジェフは平静を装い彼女を隣に座らせた。彼女はジェフのロックグラスにバーボンを丁寧に注いだ。
「来るなら言ってくれればもっと可愛くして来たのに」
「充分キレイだヨ。それ以上なったら意味がわからナイ」
未来はジェフなりの誉め言葉にクッと声を出して笑うと、ふと自分の居場所を思い出したように声を落として囁いた。
「それに、無理にわざわざ店で会わなくてもいいのに」
「それはダメだ、ルール違反」
未来は親に叱られた子供のように顔を膨らませる。
「今日は僕のグチを聞いて欲しいから来た」
未来はいくらでもどうぞ、と優しく微笑んで頷いた。
先程まで凍えていた体が暖房に当たったような温もりを感じている。未来の頼
んだマルベックと乾杯するとジェフは早速エドウィンの話を始めた。彼が家から出ないこと。家でもゲームするか変な音楽を聴いてばかりなこと。主体性がなくて自分が何をしたらいいのかもわかっていないこと。そしてエドウィンを一人で旅に送った親心。いつも以上に早いペースで酒が進んだ。
「二十年以上も一緒に住んだのに僕はエドウィン全くわかってないんダ。彼くらいの年にはもっと希望とか情熱とかたくさんあった。早く家を出たかった。でも彼はずっとこもっテル」
「家に居てくれるなんて親としては幸せなんじゃない?いくら家族だって結局は他人なんだし、自分の思い通りにはならないわ」
ジェフは首を大きく横に振り、グラスの残りを飲み干す。
「思い通りなんて期待してナイ。一人でタフになって欲しいダケ」
未来はすぐに空になったジェフのグラスを茶色の液体で満たすと、独り言のように呟いた。
「どこの親も自分の子供に満足できないのね」
「Because we love them!(それは愛してるからだよ!)」
ジェフは思わず口をついた英語に気づき声のトーンを落とした。
「君はずっとしっかりシテル。自分で稼いでアメリカ留学って。嫌なオジサン相手に我慢して仕事して」
「嫌なオジサンってジェフのこと?」
未来がからかうように言うと、ジェフは口をすぼめた。
「冗談よ、ごめん。でも嫌な仕事だとは思ってないわ。早く海外行きたいから頑張れるし。私だって何がしたいとかどうなりたいとか、立派な目標なんてないし。本人が満足してるならいいと思うけど」
「満足してるわけがないヨ、あんな単調な生活で。井戸の中のカエルになってほしくない。大きな海のことを知って欲しいんだヨ」
「その諺、続きがあるの知ってる?『されど空の深さを知る』って」
ジェフは井戸の中のカエルが空を眺めているイメージを頭の中に浮かべた。
「面白いネ、知らなかった。…でも彼は空の深さも知らないヨ」
ジェフは愚痴続きの自分に気づき、未来の興味のありそうな話題に切り替えた。アメリカの最近のドラマのトリビアやお騒がせの大統領の話などをひねり出すと最初は感心しながら聞いてくれたが、話題もやがて尽きてくる。気づけばジェフがまだ十代前半だった時立て続けに起こったケネディ暗殺、ベトナム戦争、アポロの月面着
陸、ウッドストックーそんな自分の青春時代の思い出話にすり替わってしまった。
「当時がどれほど輝いた時代だったか」「みんながいかに強い目的意識を持っていたか」ジェフの発言がそんなところに着地すると、彼女のの口数も一気に減ってしまった。
「ごめん、つまらない話ばっかしちゃって。飲み過ぎたかな?」
未来はくすっと微笑む。
「つまらなくはないよ。でも、私はジェフがこれからの時代がどうなればいいと思っているのか知りたい。だってそんな理想に燃えて行動を起こした人が作り出したのが今の時代でしょ?今の時代の問題はジェフたちの世代の責任でしょ?」
―その通りだ。資本主義に反対しコミューンを形成して愛や平和や綺麗事を唱えていた連中の多くは、結局のところ資本主義を動かす駒になりさがったのだった。もちろん自分も含めて。
「そうだね」
精一杯の短い返事をするジェフに未来がたたみ掛けた。
「産業革命が目の前で起きる中で育って、何か世界がすごくよくなるんじゃないかな、って子供の時にぼんやり思ってたの。検索サイトが世界の知識を平等にするとか、SNSで弱い人にも発言権ができたとか。でも結局は権力を持つ人間が変わっただけで人間の本質ってそれほど変わんないんだって気づいた。商社の社長もテレビ局
の社長もIT企業の社長も結局同じ、エゴのかたまり」
ジェフは頷いた。今の時代、しかも高齢者の権力が圧倒的なこの国に置いては、エドウィンのように言いなりに生きるのがもしかしたら一番賢明な選択なのかもしれない。ひきこもりやニートと卑下される連中は、彼らなりの抗議をしているだけなのかもしれない。
「そうだ、今度一緒にクラブ行かない?」
未来は微笑みながら、遠くを見るジェフの視線を手で遮った。
「クラブ?」
ジェフは心の奥を覗き込むような未来の眼差しに捉えられ、催眠にかかったように気がつけば首を縦に振っていた。
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