第13話

 カズマに導かれるがまま大通りを南下すると、やがて黒くて大きな斜キューブ型の物体が目に止まる。近辺は自己主張の強い個人経営の店が並んでいて若者が目立ち、雰囲気もタイムズスクエア付近とはガラリと変わって緩く洒落た雰囲気だ。あっちが新宿ならこっちは原宿と言ったところか。さっきまで景色として眺めるだけだった人々の輪郭が段々はっきりと浮かび上がってくる。揃いのスカーフを巻いたボヘミアンな雰囲気のカップルー顔中に刺青の入ったスキンヘッドの男―道の脇に座り込んだボロ布をまとい悪臭を放つ若者二人組。鎖で繋いだ野良犬の首に「マリファナを買う金をくれ」と書かれたボール紙をぶら下げさせている。


 セントマークス通りを進むと、散在するラーメン屋や居酒屋など日本語の看板がエドウィンの気分を少し落ち着かせた。その間に並ぶ露店では、チープなサングラスやガラスのパイプなどが所狭しと並び、昼間から酔っぱらった学生達が英語の拙い店員を冷やかして通り過ぎて行く。通りの向こう側では学生の集団が何かのデモ行進をしており、年配の男がそこに罵声を浴びせている。昨日のエドウィンの叫びを圧倒的に凌駕する声量だ。


「何のデモですか?」

「さあ、この辺はしょっちゅうやってるからなー銃規制かもしれないし、黒人差別についてかもしれない、大統領への抗議かもしれないし、街の家賃高騰に対してかもしれない」

「みんな意識高いんですね。それとも文句ばっか言うのが好きなのかな」


 エドウィンは感心と軽蔑の入り混じった気持ちで独り言の様に呟くと、カズマは急に真剣な面持ちになって答える。


「それもあるかもしれない。でも不正や許せない事があったら声をあげるのは当たり前の事なんだよ。どうせ変わらないと思って黙ってたらどうせ変わらない。一足す一が二なのと同じことだ」


 カズマの思わぬ熱量から逃れるようにエドウィンは何となしに露店に飾られたTシャツを手に取った。するとすかさず店員が歩み寄ってくる。

「二十五ダラー。オンリーフォーユー!」

 エドウィンは訛りの強い英語で語りかけるターバンを巻いた店員に愛想笑いしながら首を横に振った。

「ドゥーユースモークウィード?ドゥーユーウォント?」

 英語の意味がわからず、エドウィンはカズマの方を向いた。

「マリファナ買うかって事。こんな奴からは買わない方がいいよ。ぼったくられるだけだ」

「別に、誰からも買わないですよ」


 程なくすると「ヴィンテージ」と書かれた看板が出てくる。エドウィンがカズマの顔を伺うと、カズマは顎でエドウィンに入るように促す。カズマを後ろに従えて恐る恐る店内に入って行くと、ドア前でガスマスクと巨大バイブレーターを携えたマネキンが出迎える。せり上がったレジに鎮座した、耳と眉と鼻と唇にピアスをした店員の鋭い視線にエドウィンは目を合わないよう一目散に店の奥手まで足を進めた。


 ジーンズを一つ一つ手に取ると期待以上にいい品揃えだ。触るのも躊躇われる汚れた品も混じっているが、見たこともないリーのヴィンテージには破格の安値だーもしかしたら誰も市場価値を知らないのかもしれない。日本だったら相当儲かるだろうに。エドウィンは興奮気味にカズマに伝えようとすると、彼はまだレジ付近で店員

と談笑していた。なぜか手にはさっきのバイブレーター。


カズマを放っておく事にし、エドウィンはジーンズの色形、年代、リベットや中生地の耳の種類などを鑑定士のように丁寧に吟味た。片っ端から買いたいが、旅の荷物になるので二着までと決め、慎重に選んだ。


「新品買う金あるのになんでわざわざこんなきったねえ服買うの?全部一緒に見えるけど」


 飽きた顔のカズマが歩み寄りながらエドウィンが手にとったジー

パンを一瞥し、冷たく言い放った。


「古着の方が味があっていいんですよ。履いてた人々の歴史も感じるし。これ、二つともかなりレアなビンテージです」

 カズマは眉をひそめる。

「お前潔癖なのかと思ってたけど、結構変なヤツだよな。オレのジーパンも本物のビンテージだけど買う?俺の歴史とともに」


 カズマはペンキのシミにまみれて膝に大きな穴の開いた自分の下半身を指差した。確かに色落ち具合も含めなかなかいい味だ。でもエドウィンは顔をしかめて全力で首を横に振った。


 レジは値札にあった数字からなぜかさらに引かれてたったの六十ドルを示した。本革の長財布には日本で両替してきたピン札の百ドル札の束しか入っていない。レジの男はなぜか怪訝な表情でこちらを見ている。エドウィンが一枚出して渡すと、男は大きな目をグルっとさせて大きなため息をついた。


「うちは百ドル札は受け取らないんだ。もっと小さい紙幣はないのか?お前ら、ドラッグでも売ってるのか?」


 なぜ百ドル札が使えないのかエドウィンには理解できない。焦ったエドウィンは含み笑いをしているカズマをちらっと見る。


「すいません、六十ドルありますか?」

「あるよ」

「この百ドル札と交換してもらっていいですか?」

「交換?」


 カズマは面食らった表情でエドウィンを見るが、懇願するようなエドウィンの眼差しに思わず苦笑しポケットからくしゃくしゃになった二十ドル札を三枚カウンターに出した。


「百ドルと六十ドル交換かー。これ本業にしようかな、金金交換」


 カズマの皮肉はエドウィンの意に介さなかった。百ドル払っても欲しかったし、カズマに貸しを作りたくない。世の中生まれながら金持ちと違う人間がいて、そんな事は自分の選んだ事ではない。


「お前の感覚、ちょっと変だぞ」

 購入を終えてセントマークス通りに戻るとカズマは少し真面目な顔でエドウィンに四十ドル札を返しながらそう言い放った。


「あと、そんな立派な財布ちらつかせないほうがいいぞ。日本人がピン札の百ドル札なんて見せたら、すぐ人が群がってくるぞ」

 一万円程度の百ドル札がそんな高額紙幣だとは初耳だった。

「でもオレ、日本人に見えないし」

「そういう問題じゃない」


 カズマはエドウィンの財布をおもむろに奪うと、中から百ドル紙幣の束を鷲掴みに取り出し、紙くずのようにくしゃくしゃに丸め、それをまた広げて財布に戻した。

「何するんですか!?」

「使いやすくしてやったんだよ」

 カズマは何事もなかったかのようにまた歩き始めた。

   

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