第12話

 目的地の四十二丁目駅に着く。駅構内の人混みはブルックリンのそれと比にならないー東京の人混みよりも数は少ないかもしれない全く種類が違う。多人種が競い合うように四方八方から様々なスピ―ドで我が物顔に進んでいく。右側通行などの暗黙の了解も無ければ、皆に共通した歩きのリズムやペースも全く無いし、人混みの真ん中で堂々と立ち話をする者もいれば、紛れるように手を差し伸ばしている物乞いもいる。白人、白人、黒人。中東系、ヒスパニック、白人、黒人、不明。エドウィンは通り過ぎていく人種を無意識に頭の中で数えた。そして自分はアジア人に数えられるのか、それとも白人として数えられるのか考えたーいちいちそんな判別をする人もいないのかもしれない。今まで常に付き纏っていた、自分だけ目立っているのではないかという過度な自意識が消え去っていく。


「なんかみんな自由な感じですね」

 エドウィンはふと言葉を漏らした。

「そう?どこが?」

「周りの事なんて気にしている人がいないように思えて。ルールとか常識とかまるで存在していないみたいで」

「当たり前だろ。元々人間は自由でやりたい放題でいいんだよ、そこに問題起こす連中がいるからルールができたんだ。ルールが先にあったわけじゃない」


 エドウィンは妙に納得した。常識的な社会人になる事が自分も含め周りの多くの人間の指針だ。なのにここではやりたい事をやる事が何よりも重んじられているようだ。


 駅を出ると観光客があちこちで写真を撮っている。周りを飛び交う言語は様々で、英語での会話が少数派に感じるくらいだ。しかしどれが地元民で観光客かというのはエドウィンにも大体区別がついた。しかめ面で早歩きなのは大抵ニューヨーカー。舌打ちしながら自分の前をズンズンと歩いて進むカズマもその一人。人ごみのど真ん中を真っ直ぐ進むカズマをエドウィンは必死で追いかけた。大通りが交差する階段広場のふもとでカズマは突如立ち止まる。そして数秒遅れで追いついたエドウィンに目配せをした。視線の先にはてっぺんから爪先まで目まぐるしく光を放つ電子広告で埋めつくされた建物があった。尋ねるまでもないーこれがタイムズスクエアだ。エドウィンは派手な発色のビルボードと、その下を行き交う人々の波を交互に眺めた。洪水の様に押し寄せる情報量。飛び交う多言語。それぞれの民族独特の匂い。人々のエネルギーが脊椎を揺さぶるようだ。


「口、開いてるぞ」

 カズマは恥じらうエドウィンを尻目に、路上に折れた傘を拾うと、それを宙に振りかざしツアーガイド然でエドウィンを先導した。


「あちらの通りの向こうが劇場街。ライオンキングの看板が見えます。隣にある中華料理店は観光客目当てのぼったくり店なので、トイレなどの緊急時以外は行かないようにしましょう。その際は『トイレ借りたい』など店員には伝えず、客として当然という顔で店の奥までさーっと入っていくこと」


「あちらの土産屋で中東の方々が売っている電化製品も絶対に買わないでください。絶妙な料金設定ですが必ず二週間以内には壊れます。もちろん返品はできません」


 随分と偏ったツアーガイドにエドウィンは思わず笑った。

「以上、世界の中心ニューヨークの中心地。別に何てことないっしょ?東京の方が全然進んでるだろうし。一度も帰ってないから忘れちゃったけど」

「それってもう十年くらいですよね?何でですか?」

「飛行機代が高いし、帰るところもないしな」

 エドウィンが反応する前にカズマは話題を変えた。

「さあどこに行こう?ニューヨークの観光は今日一日だけだから行きたい所あれば」


 ジェフから聞いた話しと違う。ニューヨークには三日は滞在する予定だったはずだ。


「あ、ジェフには予算内で好きなプランを組めばいい、って言われたから全部車で移動する事にした。その方がアメリカのこともよく見れるでしょ?」


 呆れて言葉が出ない。でもよく考えれば元々プランなんかなかったのだし、どうでもいいーエドウィンはそう自分に言い聞かせる。車移動は嫌いではないし、反論するのも面倒臭い。


「で、どっちに向かう?北に行くとブランド街とかセントラルパークとか高級住宅街。南に行くと若者が多いエリア」

「どっちでもいいです」

「何か興味あるものないの?ちなみに買い物はニューヨークで済ませといたほうがいいよ。これから先は歩きでふらっと行ける場所なんてあんま無いだろうし」


 エドウィンは自分の中の数少ない欲求を模索した。

「レコードと古着が買いたいです」


 無反応のカズマを見ると、自分が定番の日本の若者の答えをしてしまったのかと少し気恥ずかしさを覚える。

「よし、じゃあ南に行きまーす!」


 雑踏の中、日本語で叫ぶカズマはエドウィンの恥ずかしさを増幅させ、折れた傘を南方面に差し、ブロードウェイを歩きはじめた。タイムズスクエアの混雑を抜けるとハングル文字がそこかしこの店の看板に見られる。


「ここが韓国人街」

 ふと気づくと韓国語が飛び交い歩行者もアジア系ばかりだ。十分ほど歩いただけなのに街の景色がさっきと全く違う。


「日本人街はないんですか?」

 エドウィンが聞くと、カズマは少し考えた。

「特にないかな。日本の店が比較的多い通りはいくつかあるけど」

 カズマによると、日本人はコミュニティを形成するのが好きじゃないそうだ。せっかく自由を求めて出てきたのにそんな窮屈な事をするのがめんどくさいのだと。


「日本人は周りと違うと不安になって人に合わせるくせに一方でコミニュティとかしがらみを嫌う、ややこしい民族なんだよ」

「カズマさんは日本人の友人とかいないんですか?」

「ちょっと前は日系の仕事してたから知り合いくらいはいるけど、つるむほどじゃないね。昔は語学学生とかよく食ってたけど。簡単なんだもん、あいつら。親のすねかじって遊びに来てるような奴ばっか。羽振りいいしドラッグ好きも多かったな」


 カズマは淡々と続ける。

「パリ症候群ってあるじゃん。あれと似たようなのがニューヨークにもあんだよ。『自由』とか『個性的』とか、耳障りのいい単語に乗せられてきちゃう奴。で現実の厳しさとのギャップで苦しくなって寂しくなったりおかしな思考になっちゃう奴がさ」


 悪びれもせず語るカズマにエドウィンは嫌悪感を禁じ得ない。

「セックスやドラッグにおぼれる自由もホームレスになる自由もここにはあるからね。『自己責任』ってやつ?日本でその言葉流行ってるんでしょ?」


 カズマの認識している日本というのは大雑把だ。その単語はもはや流行語ではなく既に定着した言葉だという事は言わないでおこう。


「オレは、今まで全部一人でゼロからやってきた。だから世間知らずの甘ちゃんを多少食い物にしてもちょっとは許して欲しいよね」

「弱肉強食」

 博愛主義者のヒッピーだった父ジェフが結局行き着いた答えはそれだった。エドウィンはふと自分は弱肉に当てはまるのだろうか、と自問せずにはいられなかった。

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