第11話

 短いニューヨーク探訪は地下の世界から始まった。ベッドフォード駅のプラットフォームの壁にはあちこち引き裂かれた広告が並び、剥き出しになった一昔前の広告とのコラージュになっている。小さなプラットフォームに多様な人種が集い、遠くから漂う饐えた匂いと、近くで飛び交う大声の雑談がエドウィンを息苦しく圧倒した。

線路では巨大なネズミが忙しなく駆け回り、ゴミを物色している。


 カズマの話によれば駐車するスペースもなく、渋滞で常に詰まっているこの街で車に乗るのは無意味だと言う。ではなぜ車なんて持っているのかーエドウィンは延々とこない電車を待ちながらカズマを少し恨んだ。頭上の電光掲示板は「五分後到着」と記したまましばらく変わっていない。


 地下鉄L線は二十分ほどしてやっと到着する。プラットフォームはいつの間にか人で溢れ返り、ドアが開くや否や降客も待たず人が四方から乗り込んでいく。列に並ぶという概念はないのだろうか。カズマに押し込まれるように車内に入るが、ドアが閉まらない。隣の車両でドアを抑えて家族に早く乗り込むように叫ぶ父親の姿が見

える。すると三人掛けソファを抱えた二人組が入っていった。すると今度は乗り過ごしに気づいた中年の女性が閉まるドアをこじ開ける様にして出ていく。これでは電車が遅れるのも当然だ。


 エドウィンはカズマとともに座る場所を探した。青い座席はあちこちが薄汚れていて、唯一空いた席にはガムがこびりついている。カズマは床に落ちた紙屑を拾うとそのガムを覆い、その上に構わず腰を下ろした。エドウィンはカズマの行為が恥ずかしく周りの乗客を見回すが誰も気には留めていないようだ。


 駅を出発して五分ほどすると何の前触れもなく一時停車する。周りの乗客は「またか」とため息をつき、随分と慣れた様子だ。車内アナウンスが流れるがノイズが激しく内容が全く理解できない。エドウィンはカズマの方に目をやるが、カズマも他の乗客も皆首を傾げてお互いに聞き取れた内容を確認しあっている。


「人身事故ですかね?」エドウィンはカズマに尋ねる。

「人身事故ってなんだっけ?」

「その、人が飛び込んだとか…」

「電車に飛び込むヤツなんていないよ。整備トラブルかなんかだ、どうせ。しょっちゅうあんだ、こういう事」


 エドウィンはこれからアメリカを発展途上国として胸に刻むことにしたー何が「世界の首都ニューヨーク」だ。


 しばらく動かない電車に乗客の苛立ちが見え始める。すると見計らったように隣の車両から黒人のティーンエイジャー三人組が意気揚々と踊りながら現れた。リーダー風の長身の男がラジカセを肩に抱えて、車内に向けて大声でアナウンスする。


「Ladies and Gentlemen, Please give us your attention!(皆さん、注目!)」


 ハイジャックするかのような威勢でそう叫ぶと、脇にいた二人が車両の真ん中に立っている乗客達を脇にどかせる。ラジカセからシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ•ディライト」のベースイントロが鳴る。誰もが知るヒップホップのアンセムに乗客の一部は手拍子を始めた。


 まずは細身の少年が汚れた床に勢いよく手をつきブレイクダンスをかます。一小節分が終わるとリーダーが電車の手すり踏み台にバク宙を繰り返す。いつの間にか動き出した電車の揺れもお構いなしだ。乗客から歓声が上がる。エドウィンは夢見心地に黒人三人組の姿を心に焼き付けた。日本でもこれくらい踊れる人間はたくさんい

るーでも何なのだろう、この感じたことのない高揚感は。


 次駅への到着と共に彼らのパフォーマンスは終了を告げるとカズマは「鑑賞料」を徴収にきたメンバーの差し出すヤンキースのキャップに一ドル紙幣を何枚か入れ景気づけるように少年の肩を軽くこづいた。


 エドウィンはこの短時間に起こった事を咀嚼していた。大胆不敵なパフォーマンスとそれに引けを取らない乗客のリアクションー歓声を浴びせ続ける集団―感慨深げに目を細め見守る老夫婦―一緒に踊り出すかのようにノリノリの黒人カップルー一人一人がニューヨークという舞台にいる大事な演者のように感じた。


 間違いだらけのくせに勢いだけで自信満々に暮らしているように思えるこの街の人々。真面目に言われた事をこなしてるのに自分自身を認める事もできずない我が国の人々。広い世界は不可解だーエドウィンはそう思った。そして気がつくと自分の顔が綻んでいた。

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