第9話:意思の静寂と憑依者の脈動(1/10)

 数週間前から、憑依召喚の魔導書の使用が始まった。その影響は徐々に、村人たちの意識や行動に顕著な変化をもたらしていた。静かになる者や無意識のうちに奇妙な行動を取る者が増え、日常は少しずつ歪んでいった。


 例えば、普段は明るく話好きな青年が魔導書を手にした後、一言も発することなく、ただひたすらに村の広場を歩き続けるようになった。この異変は、憑依者が彼の声を封じ、彼を利用していることを物語っている。さらに、冷たい印象のある女性が突然、他人に親しげに接し、場違いな質問を繰り返すように変わった。これもまた、憑依者が彼女を通じて隠された欲望を満たしている証だ。


 魔導書の使用は使い手の肉体、感情、そして思考に深刻な影響を及ぼす。感情の極端な変動や思考の混乱は、スキルの使用が重なるごとに人の精神を侵していく結果である。この現象は憑依召喚の魔導書の誓約によるもので、召喚された存在のスキルを使うたびに、使用者の体の一部が一時的に憑依者の支配下に置かれるのだ。


 この過程は、憑依者が魔導書使用時に使い手の肉体に宿り、感情を操り、思考を遮ることで、憑依者の意志に服従させる。この支配は個人差があり、完全な支配に至る速度も様々だ。


 

 レンは憑依召喚について聞き取りをしていると、山口が不意に現れた。彼は二十代後半に見えるが、その瞳には既に多くを経験した者の落ち着きが宿っている。彼とレンの間では、気の良いやりとりが交わされる。だが、その表情の陰には、魔導書に秘められた怪異に対する深い恐怖が潜んでいた。彼の目は静かながらもその奥底には、この不可思議な力への畏敬と、それがもたらすかもしれない未知への恐れが映し出されていた。この微妙な感情のバランスが、彼の顔に複雑な表情を作り出していた。


 彼はゆっくりと、しかし力強く言葉を紡ぎ出す。「本当にな、この感覚を言葉で説明するのは、難しいんだよ」と山口が始めると、彼の声には畏敬ともとれる静かな重みがあった。「憑依者に体を乗っ取られるっていうのは、ただの恐怖じゃない。自分の体が、自分のものじゃなくなる感じでよう。自分のな、思考や感情が、何か他のものによって歪められていくんだ。それがどれほど恐ろしいか、想像もつかないだろう?」


 彼の言葉は、ただの物語りではない。それは、肉体を奪われ、心まで侵される恐怖の証言だった。山口の目には、経験に裏打ちされた深い悲しみと、生き延びるための決意が同居している。


 山口はさらに続けた。「そして、社会からの孤立感……。誰も信じてくれない。狂ってると思われる。でも、それが現実なんだ」


 彼の言葉には、ただの語りではなく、憑依者による苦しみと闘いの重さが込められていた。


 彼が真剣な面持ちでレンに迫った。「お前、まだ『憑依召喚の魔導書』使ってないよな? 使わないほうがいい。マジで」


 レンは心配そうに問い返した。「どうしてですか? 最初はその力を手に入れて、喜んでいたじゃないですか」


 彼は苦笑いしながら言った。「そうだったさ。でもな、毎日毎日、頭の中で聞こえるその囁きを想像してみろ。耐えられたもんじゃない」


 レンの興味は尽きない。「具体的にどんな影響があったんですか?」


 彼は感謝の意を示しながら話し始めた。「ああ、ありがとな。誰もこんな話、興味を持って聞いてくれる人がいないからよ」


「みんな、怖すぎて話題にもしたくないみたいだ。だから、みんな黙って我慢してる」


 レンは気遣いを見せて、「俺の方こそ、話を聞かせてもらってばかりで悪いです」と伝えた。


 彼は先輩らしくアドバイスを送る。「いや、いいんだ。使わないほうがいい。さっきも言ったけど、話した以上に、恐ろしいことが起きてるんだからな」


 レンが興味深げに尋ねると、彼は頭を振りながら深刻な表情で語り始めた。「夢遊病みたいになってな、俺の意志とは関係なく体が動き出すんだ。止めようとしてもダメなんだよ」


 レンはその症状が、いつから始まったのかを尋ねた。


 彼はため息をついて言った。「始めからだよ。それでさ、徐々にコントロールできない時間が長くなってな。最初はビックリしたさ、一日経ってようやく動きが止まったからな」


 レンは驚愕し、彼の耐え忍ぶ姿勢を賞賛した。「一日も耐えられるなんて、すごいですよ」


 彼はちょっとした自慢をする。「まあ、俺くらいになるとな。でもな、体が不思議な感覚を感じるんだよ」


 レンはさらに詳細を求めて尋ねた。「どんな、感覚なんですか?」


 彼は身振り手振りを交えて、自分の体験を詳しくレンに説明した。

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