第3話 戦わなければならない

 舞獅巡は戦慄しており、その身体と精神を凄まじい恐怖に包み込まれていた。それもそのはず巡の目の前には、映画や漫画でしか見たことのないような、人の体に無理やり鳥をくっつけたような酷く醜悪な、そして冒涜的な怪物がそこにはいたからだ。


 しかも怪物はただそこにいる訳ではない。人を自らの爪で引っ掻き脳髄や腸を取り出して殺し、それを啄んでいた。巡にとって人の死体を啄む鳥というのは、チベット仏教の風習の一つである鳥葬の資料でしか見たことのない光景だったため、それよりも遥かにグロテスクな現象を目の前で見せられては、巡はもはや正気ではいられなかったのだ。


 しかし巡は幸運なことに、その忌まわしき怪物を倒す手段を持っていた。だがそれを使うことは今の正気を失いかけている彼には到底不可能なことであったし、そもそも使い方など知らないのであった。


 巡は絶望した。自分自身がそのような状況であることに。そしてその絶望は、巡の精神を更に深く暗い海の中へと押し込んで行くのだった。

 ―――――――――――――――――――――

 時間はしばし遡り、全身が赤いコーデの男と遭遇した次の日。巡はてくてくとこの春から通うこととなった私立大学への道を歩いていた。その日に受けるべき講義は午前中で済んだため、大学を出てすぐ側にあったファストフード店に立ち寄りハンバーガーを食べ手短に昼食を済ませたあと、怪しげな路地裏を店の近くに携えた喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら予め持ってきていた小説を読むという時間を2時間ほど過ごし、店の中の空気が自分に対して帰れと言葉を投げかけたのを察して店を出た。


 そうして巡は駅へと向かい帰路につこうとしたのだが、街にぞろぞろといる人間の中に明らかな異常行動をしている者がいたので、巡の注目はそれに取られた。


 その人間は小刻みに上下左右に体を揺らしながら、まだ歩行に慣れていない産まれたての動物かのようなピョコピョコとした歩き方をしており、おまけに小さな声で極めて何らかの精神病質を彷彿とさせる、その個人の内側でしか通用しない言語体系を用いて呟いていたので、一層巡は注目した。最もその人間に対して注目の眼差しを向けていたのは、巡に限った話ではなかったのだが。


 しかしそれだけだったのなら、単に街中に少し奇妙な人間がひとりポツンといたというだけの話であった。だが現実はそこまで単純なものでも、生易しいものでもなかった。


 その人間はピョコピョコと歩みを進めているうちに、急に歩みを止め、


「謌代?繧「繝ォ繧ォ繝翫?謌ヲ螢ォ繧堤李繧√▽縺代@繝帙Β繝ウ繧ッ繝ォ繧ケ縲ゅ♀縺頑?縺御クサ繧医?∽サ翫%縺晄?縺ォ縺昴?蜉帙r荳弱∴邨ヲ縺医?」


 訳の分からない言語での独り言を終えたあと、その人間は急に発狂したので、何が起きたのだと周囲の人間の目は精神病質の奇妙な歩き方をする人間にますます釘付けになった。


 精神病質の人間は不可思議な言語での独り言と発狂を終えた後、ガタガタとその身体を震わせた。段々とその震えは強まっていき、気が違っているかのようなその震え方はその場にいた多くの人々を恐怖させた。巡もそれは例外ではなかった。


 ふとその人間の震えが止まったかのように思えた。その時、その人間は再度発狂した。さっきよりも強い発狂だ。そうしているうちにその人間の身体には段々とヒビが入り、それは白く発光している。


 ヒビにより身体が痛むのか発狂はさらに勢いを増し、遂には周囲の人間すらその冒涜的な発狂の渦に巻き込まれ気を変にしたのか発狂し始めた。

 声にならぬ声をあげ続ける民衆に巡は恐れた。恐怖が彼の心に巣食い始め、彼を民衆により作り出された発狂の渦に巻き込もうとしていた。気が変になりそうだった。


 ふと巡は先程まで発狂していた人間――この地獄を生み出した元凶――に目をやった。ヒビまみれになったあの人間にもはや人間としての面影など無くなっていた。ヒビが光と化し、その人間は包まれた。光が止む頃にはかつて人間だったものは、人と鳥とを雑にくっつけたかのような化け物へと変貌していた。その光景は巡の心をより深い恐怖の溝へと落とした。


 そうして状況は冒頭へと戻る。

 ―――――――――――――――――――――

 自身のズボンのポケットの中に巡は手を入れた。いつもスマホを入れている右ポケットの反対側のポケットだ。そこにはあの全身赤コーデの不審者から貰った謎の物体が入っていた。巡はそれを、なにかのパスらしきものだと形容した。


 眼前を見る。さっきまで自分と共に発狂していた人間が食われている。発狂の渦はさらに強まり、至る所から来るはずのないヒーローに救いを求める声が聞こえる。


 自分がなにか、特撮ドラマやアメコミに出てくるヒーローのような、なにか特別な、悪を成敗し人を救えるような、そんな力があればと、巡は強く望んだ。


 ふと自分にあのパスらしきものを託した男の言葉を思い出す。ソイツがお前を変えてくれるだろう、という言葉を。


 巡は確信した。あのパスには人間を食い殺すあの化け物を倒すための、なにか特別な力があると。

 根拠は無かった。しかしこの予感は真実であると思った。


「願い、か」巡は勢いよく叫ぶ。


「俺の願いは、あの化け物を倒して人々を救うことだ!そのためなら命など惜しくはない!俺は変わりたかったんだ、変われるチャンスを寄越せ!」


 その願いに神が答えたのか、巡の腰にはどこからか特撮ヒーローが変身に使うためのベルトのようなものが巻きつかれた。


 使い方など、とうに分かっていた。巡は紅く塗装されたパスをベルトにかざした。


『Alcana Rise! Magician!』


 紅き仮面を付けた魔術師がそこにはいた。


 魔術師は鳥の化け物と元へと走った。ある程度の所まで距離を詰めたあと、魔術師は飛び上がり、そこから落下エネルギーを利用した蹴り技を化け物の顔面にぶつけた。惨い音を立てながら化け物の顔面は爆発し、化け物は死んだ。


 魔術師は変身をとき、巡へと戻った。生き残った民衆から、ぽつりぽつりと黄色い声援が届いた。数秒それを楽しんだあと、巡はその場を去った。巡の心には満ち足りたものがあった。







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