見慣れた文字
ピチョンと水が垂れる音で目が覚めた。薄暗い牢屋の中、しかも外は雨。私が初めてこの牢に閉じ込められた時と全く同じ環境だった。
一晩脱出の方法を考えたけど、良い方法は思いつかなかった。窓に嵌められた格子は頑丈で外れそうもないし、丁度よく牢の鍵穴を開錠出来そうな針金が落ちているなんてベタな展開はなかった。穴を掘って脱出出来るような構造でも無い。
……あえて言うなら、ドレスを裂いてロープ状にして格子に通せば、首を吊るくらいはできそうだ。
贄になるのがマシか、自害するのがマシか。
何故あんな馬鹿王子のせいで、こんな究極の二択を迫られなければならないのか。どうせ死ぬのなら、リヒト様に解剖されて死ぬ方が遥かに有益でマシだったように思う。あの時に志願して解剖されておけばよかった。
……いや、あれは比喩だったのだろうけど。
「おい、そっちじゃない! 全くこれだから外国人は」
看守のおじさんが何やら騒いでいるのが聞こえる。どうやら新しい牢獄仲間が出来たようだ。おじさんの声以外の、外国語が聞こえてくる。
女性……しかも声が高いからまだ子供かもしれない。
子供を牢に入れるなんて……と思ったが、今の私にはそんな事を考えている余裕は無いのだ。ひとまず、いつの間にか配られていた配給のパンを手にとる。
「配給のパンのお皿……は割れないやつか。どうしようかな……」
リヒト様のように、看守を買収する? でも私は一文無し。日本から持ってきていた化学の参考書ですら、リヒト様の部屋に置いてきてしまった。
他は召喚された時に来ていたふわモコの部屋着があったはずだが、それは前回牢に捕まった時の騒動でどこかに無くしてしまったし。……多分離宮に置いてきたから、処分されていると思う。
色々と考えていると、例の看守のおじさんが回ってきた。
「ほら、さっさと皿返せ」
案外回収が早い。とりあえずお皿だけ先に返そうと思い片手でパンを持ったまま、もう片方の手で皿を牢の格子になっているドアの下を通す形で返却する。すると、回収された皿の代わりに、2枚の折り畳まれた紙が差し入れられた。
「え?」
おじさんは慌てて「シー!」っと人差し指を口の前に立て静かにするように合図する。
「……対価は桃色の子から貰った。やっぱり大事にされてんだな」
こそこそとそんな事を話しながら、おじさんは立ち去っていった。それを確認してからこっそりと紙を開く。
一枚目は、見慣れた文字だった。私に毎日のようにこの世界の文字を教えてくれた、マリーちゃんの字。
『近くに居ます。必ず助けますから、どうか身の安全を一番に考えてください』
……まさか。先程外国語を話しながら牢に入ってきたのはマリーちゃんだったのだろうか?
何故外国人のフリをしたのかは私には分からないが、ここから遠く離れたクルークハイト伯爵領で働くマリーちゃんがこんな場所にいるということは……間違いなくリヒト様が動いている。
「……マリーちゃん?」
小さな声で彼女の名をつぶやくと、偶然かもしれないがどこかの牢で物を落とす音が聞こえた。
疑念が確信に変わった。
私は……リヒト様を、皆んなをこれ以上巻き込まない為に、一人で王子についてきたのに。
私は急いでもう一枚の紙を開いていく。
二枚に分かれているということは、もう一枚に具体的な指示が書かれているかもしれないと思ったからだ。もし……その指示が彼らの未来に大きく影響を与えてしまうものだったらどうしよう。
不安に思いながら紙を広げると、目に入ったのはまさかの日本語、ひらがなの文字列。
『きらが わたしをきらいでも
わたしは ずっと きらを あいしているから』
……誰が書いたのかは明確だった。
そもそもこの世界で平仮名が書けるのは、リヒト様しか居ない。私が今までに使ってきた文字を学びたいと言ってくれた彼だけ。私にしか読めないように書かれたラブレター……こんなのって。
リヒト様を遠ざける事が最善だと思っていたけど、私は彼の気持ちを汲めていただろうか?
今後こう動けといった類の指示書でもなく、こんなラブレターをわざわざ賄賂を渡してまで……マリーちゃんが牢に入ってまで届けに来る程に。……リヒト様が伝えたかったのは、これなんだ。
「……ごめんなさいリヒト様」
ぽたりと涙が紙に落ちた。
――私だって、本当は愛しているの
でも今の私には……それをリヒト様に伝える手段は無かった。
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