王子(仮) 2
「このお部屋の主は、クルークハイト伯爵領の当主、リヒト様の婚約者様です! 王子様とはいえ、それを奪い去るような行為は許されないと思います」
「何だこの可愛げの無い使用人は。奪い去ってでも、欲しいものは手にする。それが神に倣った生き方だ」
そう言いながら王子はマリーちゃんを床に押し倒し、刃物を振りかざす。慌ててトーマスさんが止めに入るが、流石にご老体では若者は止めきれない!
「さぁ。勉学が好きで、クルークハイト領並びにヴァイゼ侯爵領に異国の技術をもたらした異端の聖女様。貴女が出てこないのであれば、この使用人の命は無い」
「「駄目です!」」
マリーちゃんとトーマスさんの声が被る。きっとこれは……私への「出てくるな」のメッセージ。
「異端聖女を匿った罪で、クルークハイト伯爵からは爵位を取り上げ、この土地は近隣貴族で分割し重税を課そうか。今すぐに出てくれば……貴女だけで済む話だが?」
領地で出会った、リヒト様を慕う領民。
笑顔がかわいかった子供達。
私に優しくしてくれたこの屋敷の人達。
ずっと不器用な優しさで私を包んで、隠し守ってくれたリヒト様。
皆を人質に取られてしまったら。
……この世界で唯一私に良くしてくれた人達を酷い目に遭わすなんて、私にはできない。
これ以上迷惑はかけれない。私だけが犠牲になれば済むのなら……それで守れるのなら。
それで、大好きな人の未来が途切れないのなら。
……私は覚悟を決めた。
きっと私がいなくとも、リヒト様は上手くやってくれる。
活版技術も、活性炭フィルターも。リヒト様は原理を理解して指揮してくれている。私が抜けても問題ない。
……大丈夫。
きっと私の役目は、この大好きな人達の礎になることだったんだ。
だから……出番の終わった私は、退場してもいい。
私は中からクローゼットの扉を押し、外に出た。
「やはりいらっしゃいましたか」
「それでご用件は? あと、ちゃんと出てきましたから、その子は解放してください」
王子(仮)はマリーちゃんを投げ捨てるようにして解放した。トーマスさんが急いでマリーちゃんに駆け寄る。……どうやら怪我はないらしい。本当に良かった。
「ええ、約束通り貴女だけで済ますつもりだ。異端聖女である貴女が抵抗なく私と共に来るならば」
解放されたマリーちゃんがこちらへ近づいてこようとするが、王子(仮)は今度は私の首元に刃物を当てて威嚇する。
「全員、変な真似はしないように。少しでも動けば、お前たちが大切に隠してきたこの異端聖女の命は無いと思え」
「マリーちゃん、トーマスさん……ごめんね」
……この王子(仮)について行けば、無事では済まないかもしれない。それでも、私はここを出ることを自ら選んだ。
私を匿ってくれた優しいこの屋敷の人達。自然豊かな土地に暮らし、勉学に偏見のなかった領民達。……私を愛してくださったリヒト様。
私の問題にこれ以上彼らを巻き込んではならない。――だから。
「トーマスさん、リヒト様に伝えてください。私は自ら出て行きましたと。ここでの監禁生活にはもううんざりで、二度と戻りません。リヒト様なんて……嫌いになったんです。私の事は忘れて、どうか幸せに暮らしてください」
本当はうんざりなんてしていないけど……こうでも言わねば、また私を助けに来てしまう可能性がある。それだけは避けたい。だから……わざと傷つけるような事を言った。
心の中でだけ「本当は愛している」と呟いて。
――リヒト様、ごめんなさい。
「さあ行きましょう王子(仮)」
「な……(仮)!? 私は正式なこの国の王子で!」
心の中での呼び名がつい口から出てしまうくらいには、私の気は動転していた。
そして私は自らの足でこの屋敷を出る。久しぶりに吸った外の空気は、もうすっかり冷たくて冬の匂いがした。
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