活性炭フィルター作戦 2

 まだシャツを脱ごうとしている途中だったリヒト様の背中にそっと近づいて、その広い背に顔を埋めた。



「私のせいで、ごめんなさい」


「それはどのような意味での謝罪だ? 私が居ない間に別の男とこういう事をしたという報告で無いなら謝罪は不要だが」



 する訳ないでしょう?


 実際ほぼ監禁されているのだから……暮らしていてリヒト様とトーマスさん以外の男性に会うことなど無い。それはリヒト様だって理解しているだろうに。



「えっと……私のせいで沢山お金を使わせてしまったのとか、忙しくなってしまったのとか。あと、私も外に出てお手伝い出来たらよかったのに、それも無理だから……」



 そして最後に「決して浮気なんてしていませんからね!」と付け足すと、その広い背中が僅かに揺れた。少し体をずらして視線を上げ、リヒト様の表情を確認すると……嬉しそうな微笑と視線が交わる。



「キラ、私は幸せなんだ。同じ価値観を持つ稀有な存在である君が、安全な場所で私だけを待っていてくれる。それだけでも十分なのに、こうやって毎日私に愛情を示してくれるようになって……もはや幸せすぎて怖い。あぁ、そうだ。幸せにしすぎてごめんという謝罪なら受け取ろうか」


「え? えっと、じゃあ……ごめんなさい?」



 ここは私は謝るべきだったのだろうか。幸せなら謝るべきではない? それとも幸せのせいで怖いのなら謝るべき?

 ……もうよく分からなくなってきた。



「他人の視界に入ると私のキラが減るから、絶対に外には出ないでくれ。私が望むのは私だけのキラで、どこにでもついて来てくれる部下じゃない」



 ……なんて真剣に頼まれるので、私はもう頷くことしかできなかった。

 人間、他人に見られたぐらいでは減らないのに。


 ……いや、私の場合は火に焚べられ死ぬという意味なら、減る可能性があるのか。案にリヒト様はその事を言っているのかもしれないと一人勝手に納得する。



「それでも気になるというのなら……いや、やめておこう」


「え? 何ですかリヒト様」



 リヒト様が言いかけて辞めるなんて珍しい。きっと重大な要件のはずだと思って問いかける。



「何でもない。それよりも後ろにくっつかれるとシャワーを浴びに行けないのだが?」


「あ、ごめんなさい……!」



 慌てて離れると、リヒト様は「すぐに戻るから」と言い残して、部屋から出ていった。



 この国の人は元々、汚れたと感じた時だけお風呂に入るのが常識らしいのだが、毎晩二人で一緒に寝るようになってからは……リヒト様は必ず汗を流してからベッドに入るようになった。

 仕事帰りでもそこまで汚れているようには見えないので理由を聞いてみた事があるのだが



「そのまま一緒に寝て、キラを汚したくないから」



 とのことだった。

 ……だから、汚れているように見えないんだってば!


 微妙にズレた回答ではあったが、私がお風呂大好き日本人なので……リヒト様が無理して私に合わせているのでなければ、別に構わない。私が必ずお風呂に入ってからリヒト様をお出迎えしているのは、決してリヒト様もシャワーを浴びてくれというメッセージではないのだ。そこを勘違いされてしまっては困る。


 それに入浴後の方が体温が上昇しているせいか……抱きしめられた時に感じるリヒト様の香りが強くなっているような気がして、とても心臓に悪いのだ。私の心拍数はそれを思い出すだけで跳ね上がってしまう。


 どうにか心を落ち着けようとゆっくり髪の毛を梳いてから、ベッドに腰掛けて髪の毛を三つ編みにしていく。すると突然後ろから誰かの腕に捉われた。誰かなんて確認しなくとも、もはや香りで分かる。



「……早いですね、リヒト様。髪の毛濡れてますよ?」



 セットされていない濡れた髪からぽたりと雫が落ちて、私のナイトウェアの肩に染みを作った。私を捉えていた手の片方が眼鏡を外し、カチャリと音を立てて脇に置かれる。



「ではキラが拭いてくれるか?」



 まるで子供のようなお願いにクスリと笑って。振り返ってリヒト様の頭をタオルで包んで優しく拭いてあげた。



「そういえばリヒト様は私の髪の毛をセットするのも上手でしたよね。あれはどうやって習得したのですか?」


「ああ……メーティス姉上だ。幼い頃は、クルークハイト伯爵領は貧しかったからな。なんでも自分達でやったものだ」



 ……なるほど。怖がってないで、もっと早くに聞いてみるべきだったな。



「好きな女の子相手にずっと練習していたのかと思って、嫉妬しちゃいました」


「は? ……言っておくが、私はキラ以外の女性は好きになった事が無いし、興味も無いし、欲情することもないからな。キラが誰かに嫉妬する機会なんぞある訳が無い」



 そんな事を言いながら今度はじゃれついてくる犬のように私の腹部に顔を埋めてきて。

 ……こんななんでもない触れ合いがとても幸せで、ずっと続けばいいのにと感じていた。

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