この国をもっと知りたい 4
「あら、もしかしてそれが噂の聖典? とてもカラフルで綺麗ですわね」
椅子に再度腰掛けてパラパラとページを捲っていく私を、メーティス様は横から興味深げに眺めている。
……何かヒントになるような事が書いていないかと探すが、あまり参考になるような記述はない。
「……ちなみに排水はどうやって処理を?」
「排水? 川に直接流しているわ」
ではその排水を川に流さなければ済む話である。でも、それをずっとプールしておくわけにはいかない。そのうち溢れてしまうから。……考えても方法が思い浮かばない。
化学の参考書を持つ手が震えた。
知識はあるのに、使いこなせない。
これでは必死に勉強してきた意味が無い。
私がこの知識を使いこなせる事ができれば
メーティス様は、赤ちゃんに会えるかもしれないのに
他にも、中毒症状で苦しんでいる人たちが減るかもしれないのに
私だって「問題が解決したから聖女なんてもういらない」と火に焚べられる事も無くなるかもしれないし
公害が一つ減れば……それだけリヒト様が指を刺される事が減るかもしれないのに
腿の上、ドレスのスカートにぽたりと涙が垂れ、丸い染みを作った。
学校で、応用問題ができなければいい点が取れなかったように
知識は、それを応用できなければ現実世界では役に立たない。
それがなかなかできず、志望校がD判定だった私は
……この世界でも、役に立てない。
――義母が言うように、本当に私は失敗作で駄作だ。
「……泣かなくていいのよ。そもそも異世界から召喚されたキーちゃんには、私たちを助けなければならないという義務は無いの。だから……そうね、リヒトの不眠を直してくれただけでも御の字なのよ? 今からは教えてくれた活版技術も、どんどん活用していくし」
メーティス様は私の頭を優しく撫でてくれる。まるで子供にするように。
弟であるリヒト様が25歳なので、もしかしたら私より10歳以上年上のお姉さんなのかもしれないが……なんとなく死んだ母を思い出した。よくこうやって頭を撫でてくれていた事を……懐かしい記憶が蘇ってきて。余計に涙が溢れた。
「……ちょっとだけ、抱きついてもいいですか?」
「ええ。だってリヒトは貴女を手放さないでしょうから、義妹ですもの。」
化学の参考書を自分の太ももの上に置いて。そんな優しいメーティス様の方に手を伸ばしたが……私の腕は届かなかった。
「――キラ!」
息を切らしたリヒト様が、椅子に座っていた私を攫うように抱き上げた。太ももの上に乗っていただけの化学の参考書はバサリと音を立てて床に落ちる。間に挟まっていた暗記用赤色フィルムがスーっと床を滑っていった。
突然の事に驚いてしまったが、急に目的地を失ってしまった伸ばしていた腕を、とりあえず引っ込める。
「メーティス姉上! 友人として接するのは結構だが、身体的接触は無しだ。キラは髪の毛の先まで私だけのものだ」
「あら、友人ではなく家族として接しているのよ。だってリヒト、その子を手放す勇気なんて無いのでしょう?」
ハアハアと肩で息を吸うようにしているリヒト様は、一体どこから駆けつけてくれたのだろう。確か今朝別れた時に、今日は仕事で外に出ると言っていた気がするのだが。
そこはかとなく視線を感じ廊下の先を見ると、隠れるようにしてこちらを見つめるマリーちゃんとトーマスさんの姿があった。もしや2人がリヒト様を呼んできたのだろうか。
「……姉上はそうやって話をすり替えないで欲しい。そもそもなんでこんな埃っぽい廊下で椅子まで用意して……キラ? どうして泣いているんだ。まさか姉上に酷いことを言われたのか?」
メーティス様は悪くない。私が勝手に泣いてしまっただけだ。首を大きく横に振って否定するが、リヒト様は姉であるメーティス様を睨みつける。
少し前につい想像してしまった、姉弟の醜い争いを思い出してしまい……慌ててリヒト様に声をかけた。
「ち、違います。私が……役立たずな自分を悲観して勝手に落ち込んで。メーティス様はただただ優しくて……私が小さい時に死んでしまった母を、少し思い出してしまっただけなんです」
そして、その優しさを母と重ねてしまっただけだ。メーティス様は何も悪くない。……そりゃ、話し込む場所は悪かったかもしれないけど、この国の事をほとんど何も知らない私に沢山の情報をくれた。
「だから、勝手に泣いてごめんなさい。役立たずは役立たずなりに……もう少し考えてみます。もしかしたら自力で鉛を除去する方法がわかるかもしれないし」
もしくは鉛中毒になっても治るようないい方法が思いつくかもしれない。そう思いながら手の甲で涙を擦った。
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