この国をもっと知りたい 1

 翌朝。無事何事もなく解放された私は自分の部屋に戻った。一晩中緊張していた影響で若干の寝不足感はあるけど。


 ……そして軽くストレッチしながら今朝の事を思い出す。




 私が目が覚めた時、リヒト様はまだ寝ていた。しかも昨日寝始めた時から寝相すら変わっていない。それもそのはず……だって一晩中私を抱きしめていましたからね。おかげで私まで体が痛い!



「……リヒト様、起きて下さい。もう朝です。今日はお仕事無いんですか?」



 彼の予定は全く把握していないので分からないが、一応……仕事に遅れてはならないので声を掛ける。それに私も体が痛すぎるのでそろそろ拘束から解放されたい。


 私の声に反応したのかリヒト様がうっすら目を開けた。目の悪い人特有の、眉間に皺の寄った細目。それがなんだか可笑しくて、少しだけ笑いが溢れた。



「……なんだキラか。夢か」



 リヒト様はそれだけ呟くと、また私を強く抱き直して眠りにつこうとする。ゆっくりと髪を梳くようにして頭を撫でる指が心地良い……って!



「だからリヒト様! 夢じゃ無いです現実ですから!」



 ……その後、起こすのに結構苦労した。だから今こうやって部屋でバキバキになった体をほぐす為にストレッチをしていたのである。




 そして徐々に陽が高くなってきた日中、私はお手洗いに行くために自分の部屋を出た。行動範囲が制限されている為、部屋から出る時は必ず使用人の誰かが付いてくる。

 今日は私が仲良くしているマリーちゃんが来てくれたので二人で楽しくお話しながら廊下を歩いていると、突然後ろから誰かに抱きつかれた。視界の端に映ったシルバーの髪で、あぁそういえば今日もお会いする約束だった……と思い出してしまう。リヒト様のお姉様である、メーティス様の事を。



「おはようございます、メーティス様」



 今日もキスされて弄ばれるのかと警戒したが、その銀色の女神は普通に私を解放して朝の挨拶を返してくれる。



「それで? 昨日のリヒトはさぞお楽しみだったのでしょうね」 


「そうですね。快眠出来たと満足そうでした」



 含みのある笑顔で私に問いかけて来たメーティス様は、私の返答に目を丸くした。



「……一晩一緒に、同じ部屋で、同じベッドにいたのよね? 朝から使用人達の間でもその話で持ちきりなのだけど」


「そうなの? マリーちゃん」



 隣にいたマリーちゃんに確認すると、こくこくと頷かれる。



「でも……朝一番にお手洗いに付き添った際、聖女キラ様の衣服に乱れなどはありませんでした。一瞬だけ拝見したリヒト様も同様です」



 よく見ていてくれたマリーちゃん! おかげでメーティス様に提出する身の潔白の証拠が出来た!



「え? ではリヒトは姉である私にあれだけのキスを見せつけておいて、その後は何もせず一緒に寝ただけ?」



 まぁその後にも散々キスはされたんですけどね。それを言うと恥ずかしいので誤魔化すことにする。



「どうやら私の歯列に興味があったようで、夢中で調べていましたよ」

「は?」


「歯です」

「……はあ」



 メーティス様の反応は、完全に昨晩の私の反応と同じだった。リヒト様があまりにも当然のように歯の話をするから、この世界ではそれが当たり前なのかと勘ぐったけど……違ったようで良かった。あれが当たり前だったらどうしようかと思っていた。



「リヒト……何故歯なの。あの子なら言いそうな事だけど、何故歯……」



 メーティス様が頭を抱える。……まぁその気持ち、分からなくは無いですけど。



「おかげで私、昨日お風呂に入り損ねました。昼間はずっとメーティス様とお話してたし、夜はリヒト様が物理的に離してくれないし」



 どうやらこの国の人たちは、お風呂は汚れた時に入るもの、くらいの感覚らしい。

 でも私はお風呂が大好きな日本人。できればシャワーではなく毎日湯船に浸かってゆっくりしたい。水資源が乏しい……とかなら納得し諦めるが、このクルークハイト伯爵領は比較的水資源豊かな土地のようなので、贅沢させてもらっている。監禁生活での数少ない楽しみの一つだ。

 ……唯一の欠点は、扉の前まで使用人付きじゃないと入れない事。



「でもお風呂に入り損ねたキーちゃんには申し訳ないけど、不眠気味なリヒトがよく寝ていたのなら……結果的に良かったのかも知れないわね」



 リヒト様が不眠気味だったなんて初めて知った。だから初めて会った頃に睡眠の大切さをあれほど必死に説いて来たのか……と納得がいく。私が抱き枕になることによって彼の安眠が保たれるのであれば、その役を買って出てもいいのだけど……。


 あ、もちろん私の身の安全が保障されるのならですが。



「ちなみにキーちゃんは今からお風呂? 私も一緒に入っても良いかしら」


「いえお風呂は後で……って、一緒には入りませんよ!?」


 女性同士であったとしても恥ずかしい。完全に赤の他人ならまだしも、リヒト様のお姉様で……こんな女神のような美人と一緒にお風呂に入るだなんて。どこに視線を持っていったら良いのか分からなくなりますから!



「残念……リヒトより先に私がと思ったのに」



 ……何だか怖い一文が聞こえた気がする。これ、許可すると……メーティス様だけでなくリヒト様まで乱入してくるタイプの事件が起こりますよね? 昨晩の二の舞になってしまう。流石にお風呂は駄目だ。



「……というのは冗談だけど、私もクルークハイトに居るうちに滝のようにシャワー浴びて帰ろうかしら」


「メーティス様が嫁がれたヴァイゼ侯爵領は、あまり水が豊かではない土地なのですか?」



 冗談には聞こえなかったので、話題をそらそうと試みる。単純な興味もあったが、この国での標準というか……他の土地の状況も聞いてみたかったから。



「これは話せば長くなるのだけど、ヴァイゼ侯爵領とその近辺の数カ所の領地は水質汚染が問題になっているの。安全な所から水を引いてきて使っているのだけど、どうしても不足気味になってしまって困っているのよ」



 ……全然知らなかった。私はやっとこの国の文字が不自由なく読めるようになったばかりで、この国の現状もかろうじでクルークハイト伯爵領の事が分かるだけ。私のこの国に対する知識は……リヒト様が教えてくれた事だけだった。



「……あの、聖女キラ様?」


「ごめんねマリーちゃん。もう少しだけメーティス様に聞きたい事があるの」



 お手洗いに行っていたので私の側にはマリーちゃんが付いている。彼女も洗濯など他の仕事がある中来てくれているので、その作業を中断させてしまうのは心苦しいのだが……私はもう少しだけこの国の事を教えてもらいたかった。だからマリーちゃんには申し訳ないが、立ち話を続けることにした。


 ――好きな人が暮らすこの国の事を、もっと知りたい。

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