コンマ以下すらゼロの 2
気がついた時には私の体はソファーから移動して、背中は柔らかなベッドに埋もれていた。
――あ、これは流石にいけない展開だ。そう気がついて深い口付けの合間に声をかける。
「駄目……リヒト様、今日はこれで終わりに……」
私の言葉が聞こえていないのか、聞く気もないのか。
片手で眼鏡を外しベッドサイドに置く仕草すら、私の心臓の音を大きくする。
「……終わりだと?」
そんなの有り得ないと言わんばかりの態度で、私の頬に添えられる長い指先。長時間ペンを持つ人特有の、一部だけが固くなった指先が実にリヒト様らしい手だった。
眼鏡越しではない鋭い眼光に捉われてしまった私は、もうこれ以上静止の言葉を掛けれなかった。そして諦め全てを受け入れるつもりで瞼を下ろしかけた、その時。
「まだ右下の歯が確認できていない。終わるのはせめてそこを調べ終わってからだ」
「……は?」
歯なだけに。
……そんな冗談を言うつもりはなかったのだけど、思わず抜けた声が出てしまう。
は……歯? ちょっと待って……何故ここで歯が出るのか。
つい先程までかなり甘い雰囲気でキスしてたよね? まさに今ベッドに押し倒されて、そういう雰囲気だったよね?
「歯だ。やっと愛する人の歯列や形を全て確認出来るチャンスなんだから邪魔しないで欲しいのだが」
歯列……歯の並びね。あー、成る程キスで歯の形を……って、そんな理由!?
「……はあ」
呆れてそれしか言葉が出なかった。それでも、欲に流されただけではなく本当にリヒト様らしい理由であった為……考えれば考えるほど、呆れは面白さに変わる。そして耐えられなくなり笑い声が漏れた。
「何がおかしい?」
「だって、普通初めてのキスで歯なんて考えないでしょ」
歯が唇にぶつかった! とかならまだしも。
私があまりにも笑うせいか、リヒト様は気まずそうに私のすぐ隣に横になった。
「キラは、歯を調べられるのが嫌だったのか?」
「いいえ。あまりにもリヒト様らしくて面白かっただけです。普通はキスの次は性欲とか……考えません?」
そう問われたリヒト様は、ここでやっと納得がいったらしい。「確かに全く考えなかった訳ではないが」と補足しつつ、手を伸ばして私の体を抱き寄せる。コツンと軽く額がぶつかり、さも愛おしそうに擦り付けられた。
「せっかく許しをもらえたのだから、まずはよく調べてからだ。先に進むのは全てを調べ尽くしてからでいい」
その言葉にホッと胸を撫で下ろした。
……やっぱりリヒト様は私が嫌がることはしない。きっと私が先に進むのを怖がっていると分かった上でこう言ってくれているのだろう。
「でも……私、リヒト様を好きと言っただけで、調べて良いとは言っていませんよ」
「好きであれば、いくら調べても構わないだろう。キラも存分に私を調べると良い。どこから調べる?」
待って、調べるのは決定なの?
そして、まずは眼鏡の度数でも調べるか? と眼鏡を手渡してくれるので、試しにかけてみるが……かなりくらくらする。ベッドの上の天蓋が歪んで見えたので「うぅ……」と呻きながら眼鏡を外した。
「キラは目が良いのだな。また一つ新しい事を知れた」
「私も、リヒト様がこんな度の強い眼鏡を使っているとは思っていませんでした」
だって、度が強い割に目が小さく見えない。安いレンズにありがちな事であるが、眼鏡の度数が強くなればなる程、目元は小さく見えるのだ。
もしかしてこの国の眼鏡、物凄く質が良いのでは……?
私の手元から眼鏡を回収したリヒト様は眠たそうに欠伸をし、私の髪に顔を埋める。その吐息が微妙に首筋に当たってくすぐったい。
「ふふ、リヒト様の欠伸が見られる日が来るなんて。じゃあ私は自分の部屋に帰ります。おやすみなさいリヒト様」
「……キラはここで寝てくれ」
冗談も程々にしてほしい。でもリヒト様の事だからきっと冗談なんかではなく本気でそういっているのだろう。好きな人の腕の中で一晩過ごすなんて、私の心臓が持ちませんからね!?
「何もしないから……。キラがこの屋敷に来てから、よく眠れるようになったんだ。だからこうやって抱きしめて眠れば……」
……その言葉の続きを待ったが、それが紡がれる事は無かった。
「リヒト様?」
私の問いかけに対して帰ってきたのは、スウスウという小さな寝息。
……寝ている。この状況で、普通に寝ている。
「嘘だぁ……」
両思いだって分かって散々キスをして。押し倒しておいて、歯が何やら言い出したかと思えば……抱きしめて寝る。
なんて健全な人……いや、健全ではない。あれだけキスしたのだから健全な訳ない! そして右下の歯を調べてからだと言っていたのに寝てしまった。
もしかしてこれ、to be continued……右下の歯は明日に続く! な、展開じゃないよね?
「うん……やっぱりリヒト様って、変な人」
それでも私は、そんなリヒト様の事が心の底から大好き。
その思いで、私を抱きしめたまま眠る大好きな人の背に腕を回した。
……その後。せめてリヒト様にお布団をかけなければ。と、自由に動かせる足だけで布団を引っ張り上げたのは秘密です。
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