研究対象から教師へ 2

 話が難しかったかな、と焦って本から顔を上げると、テーブル越しにリヒト様の両腕が伸ばされ、がっしりと両肩を掴まれた。そして眼鏡の奥のアクアシルバーの目は少年のように輝いている。



「素晴らしい!! キラがいた世界ではそのような知識が一般的に学べるというのか!」

「そうですね。これより1つ下のレベルまでは義務教育と言って、強制的に勉学するシステムになっていました」



 それがきちんと身についているかは別として、日本では中学生までは義務と言う形で知識の海に浸かることができる。




「では、キラはいかにして雨が降るのか知っているのか」

「地上から水分が空に上がっていき、雲になります。そしてその雲が抱えていられなくなった水分が落ちてくるのが雨です」



 中学校の理科で習った内容だ。寒気と暖気がぶつかって出来る前線についての問題がよく問われる分野だ。



「では、凍えるような寒さの中で水が凍る理由は何だ」

「物質には、気体になる温度と固まる温度があって、水は固まる温度が0度です。だから寒いと凍ります」



 同じく中学校の理科の内容だった。このような簡単なことでも、この世界では原理不明な現象になるのかと……不思議な感覚に陥った。国全体がこのレベルならば、人間を火に焚べるという謎行動に走ってしまうのも、理解できなくはない。



「なんだと……? やはり神の恩恵や妖精の類では無いのだな」

「そうですね、それが私が学んできた自然の摂理です。……ちなみにガラスは固体に見えますけど、液体ですよ」



 私の余計な一言は、余計にリヒト様を悩ませてしまったようだ。……どう見ても液体ではないのだが、と窓ガラスを見つめたまま固まって悩んでしまった。

 しかし「やはり神の恩恵や妖精の類では無い」と発言したということは、リヒト様自身はこの国の定義に疑問を抱いていたのだろう。トーマスさんが、リヒト様のことを『神を信じず目の前の現象だけを信じる』と評した理由が分かったような気がした。


 

「……むしろ私が、キラのいた世界に召喚されたかった」



 残念ながら今の日本には人間を贄にする習慣は無いので無理だろう。


 それでも日本に召喚されてしまったリヒト様を想像してみたが、周りにある物体・機械全てに驚いて原理を知りたがって……説明するのが大変になってしまう事間違いない。全てネットで調べてくださいと言いたくなるだろう。そしてそのネットにも感嘆の声をあげるに違いない。


 そこまで想像してしまい、思わず小さく声を出して笑ってしまった。


「キラ。笑っていないで、この化学の参考書とか言う名の聖典の中身をもっと教えてくれ。あと、私にもキラがいた世界の文字を教えてくれないか。この参考書を自分で読めるようになりたい」



 この人の知的好奇心は止められない。私は観念してそれに付き合う事にした。だって……何であれ勉強するのは尊い事だから。



「わかりました。では日本では10歳くらいの子が学ぶ内容から始めましょう。それがわからないと、この参考書の中身なんて絶対分かりませんからね。文字は……日本語は覚える文字が多くて難しいので、まず平仮名という種類から始めましょう」



 そうして毎晩行われていた身体計測は、勉強会へと進化した。 

 ただの研究対象だった私は、リヒト様の知識を増やす為の教師へと格上げされたのだった。

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