研究対象から教師へ 1
トーマスさんのおかげで私は生還出来た。リヒト様の下から抜けるのが先か、私の心臓が止まるのが先かの、生死をかけた厳しい戦だった。
後頭部から倒れてしまったマリーちゃんはトーマスさんに回収されていった。大丈夫だろうか?
そしてトーマスさんに「研究もほどほどにしてくださいね」と笑顔の圧をかけられてしまったリヒト様は、私の正面のソファーに座りコーヒーを飲んでいる。
勿論、私によって全開にされたシャツを自らきちんと整えて。
「……どちらかと言えばキラの方が研究熱心に迫ってきた気がするのだが、何故私だけ注意されるのか理解が及ばない。本当は解剖してしまいたい程に全てを調べ尽くしたいのを我慢しているのに」
そりゃあ、あんなシーン見てしまったらそう注意せざるを得ないよね……と思いつつ私もコーヒーを一口飲んだ。
……いや、待って。冷静に考えると、解剖してしまいたい程に全てを調べ尽くしたいってどういう事? 解剖されたら普通に死ぬからね!?
流石に比喩的表現だと思いたい。っていうか、私は解剖しなくては人間だと判別出来ない物体だと思われていたの? それはそれで悲しい。
「……リヒト様はそこまでしなければ人間と確信が持てない物体に、その研究目当てで求婚したんですか? 結構勇気ありますね」
私なら無理だ。例えば、いきなり日本にやってきた宇宙人と結婚したいかと問われればNoだし、その宇宙人を調べる為に宇宙人と結婚するかと問われてもNoだ。いくらその宇宙人の見た目が人間そっくりだったとしても抵抗はある。
「キラであれば人間でなくとも構わないと思った。しかし体の構造などが一緒か調べておかなければ何かあった時に困るだろう? だから隅から隅まで調べたい」
私は、ついニヤけてしまいそうになる口角を全力で下げた。
違うの。リヒト様のこの物言いには含みなんて全くなくて、私を調べたいだけの発言だから!
リヒト様は、気になったことは納得するまで自分で調べたいタイプ。私に気があるような発言に聞こえるけど、絶対に違うから勘違いしてはならない。ただ研究対象として興味があるという意味なだけ。……と、自らを納得させる。
うん、そうだよね。好きな人を解剖したくなる欲求に駆られる人なんていない!
「そういえば、キラは聖典を持ってきていただろう。少し見せてくれないだろうか」
聖典と言われようとも、実際の中身はただの化学の参考書だ。別に減るものでもないし、リヒト様であれば乱暴な扱いはしないとわかっているので、何の抵抗もなく参考書を差し出した。それを受け取ったリヒト様はテーブルに参考書を置き、パラパラとページを捲る。
そういえば王宮にいた時……数日間暮らした離宮では、この化学の参考書、もとい聖典に書かれてあるという万物の理を求め様々な人が私の元を訪れた。
だから一時はインチキ占い師になるしかなかったのだが、このクルークハイト領に来てからは皆全くそんなそぶりも無い。おかげで今リヒト様に見せてくれと言われるまですっかり参考書の存在を忘れていた。
これもリヒト様が統率してくれているおかげなのか。それとも皆自分の勉強に忙しくて聖典とされる化学の参考書なんて興味がないのか。
「文字は読めないと思いますが、写真だけでも結構楽しめますよ」
「……確かに何を書いてあるかは全く分からない。しかしこのページだけやけに色が多いな」
どこを見ているのかと思い逆側から参考書を覗き見ると、炎色反応の部分を見ていたようだ。特定の元素を炎の中に入れると特定の色を出す反応のことで、参考書なのでそれぞれの元素ごとに綺麗に色分けして記載されているのだ。
「炎色反応っていう現象について書いてあります。炎の中に塩を入れると黄色、銅を入れると青緑になりますよーとか書いてます」
高校の化学の授業で実験した事を思い出しながら説明する。色が変わった瞬間に実験グループの皆んなで歓声を上げたのが懐かしい。
「炎の色が変わるだと!? そんな神の領域の技法……」
確かに炎色反応は日本人でも驚きが大きい分野かもしれないが、花火など日常生活にもこっそり溶け込んでいる知識だった。
「別に神様は関係ありません。私がいた世界では、この本に書いてあることは当たり前に日常生活に流用されていて、全て先人達が研究し突き止めた自然の摂理ばかりが書いてあります」
確かにこの参考書に書いてあることも、先人達が突き止めるまでは神の領域の分野だったのだろう。
そう考えると、いかに勉学が大切か、それを何代にも渡って受け継ぎ更に発展させる事の大切さがよく分かる。
「自然の摂理か……例えば他にどのようなことが書いてあるんだ?」
例えばと言われても、高校の化学はそこに至るまでの小・中学生時代の基礎知識がないと理解は難しい。何を説明したものかと悩みながら、簡単に原子について説明することにした。
「例えば、目の前にある物質全ては細かく刻んでいくと……最終『原子』という目に見えない小さな粒となり、それは何十かの種類があります。その原子達がどのように組み合わさるかによって、どのような素材・形状の物が出来上がるかが変わります」
そんなことを説明していると、リヒト様がコーヒーカップをカチャンと音を立てて置いた。
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