好きな人の香り 1

「申し訳ございませんでした。リヒト様は興味ある対象を見つけると隅々まで調べたくなるという性癖――ンッ! いえ、研究熱心な側面を持っておりまして」



 もう襲われる寸前なのでは? という状況を助けてくれたのは、この屋敷の使用人だという1人の老執事だった。


 彼が部屋に入ってきて「聖女様は昨日あまりお眠りになられていないのでは?」と言った瞬間に、リヒト様は態度を変えた。睡眠を疎かにする者は〜……と大真面目に睡眠の大切さを説き、部屋を出て行ったのだ。

 真面目そうな見た目のリヒト様は、睡眠にも真面目に取り組む人である……覚えておこう。

 そしていざという時に使おう。



「助かりました、ありがとうございます……えっと」


「私はトーマス・ベルガーと申します。どうかトーマスとお呼びください、聖女キラ様」



 私が聖女であることはまだしも、何故名前まで? と疑問に思ったのがバレたのか、トーマスさんは「リヒト様のお声ならば、どこに居ても聞き取れますよ」と笑っている。


 リヒト様限定ではあるが、この人は人間盗聴器か。

 この国、もっとまともな人間はいないのだろうか。



「さてさて。不器用なリヒト様を代弁し補助するのが、執事である私の仕事。聖女キラ様はさぞ混乱されているでしょうから、何でも私に聞いてください」



 私を助けてくれたリヒト様のお屋敷の執事なのだから、きっと何を聞いても軽蔑も迫害もされないだろう。


 せっかくの機会なので気になっていた事をなんでも聞いてしまおうと考え、まずはトーマスさんにお願い事をする。



「じゃぁ、私だけ座っているのもお話しにくいので……トーマスさんも座っていただけますか?」


「……そのようなお願いをされたのは、今までの人生で初めてでございますね。では座って、ゆっくりお話しさせていただきましょうか」




 その後私はトーマスさんから様々な事を聞いた。



 リヒト様は現在25歳だという事。


 7年前……今の私と同じ年齢の時に先代である父を亡くして、若くして伯爵の座を継ぎ領主となった事。


『勉学が悪とされる世界』において、自ら納得するまで調べ、自らが動くことが好きだという事。


 そしてその勉学が未来を開くと信じ、己が背徳者、悪辣の統治者と言われようとも……それを領民に広めている事。




「この屋敷、全く掃除が出来ていないと思いませんでしたか?」



 思いました。


 聞きにくい事を相手から切り出してきてくれたので、思わず大きく頷いてしまう。



「これはリヒト様が決められた事なのです。使わない部屋の掃除をするくらいなら、1つでも多くの知識を増やせと。ですので私、この歳になって新たに建築を学びはじめましてね」



 それ、執事が学ぶ事なの? と思ったが、まぁ興味の対象は人それぞれなのでいいと思う。



 とりあえず、掃除するだけの人員が足りなくて……とか、使用人を雇う資金に困って……なんて話では無かったのだ。


 そんな陳腐な発想しか出来なかった自分を恥じると同時に、勤務時間中に勉強してお給料がもらえるなんて、日本人の感覚からすればホワイトな職場だと思った。

 床面も埃でホワイトなので、ある意味超ホワイトな職場だ。



「どうしてリヒト様はそこまで勉学に強いこだわりを持っているのですか?」



 自らが悪辣の統治者と言われようとも、常識を無視し勉学を推進する理由が見えない。私が同じ立場であったとしたら……周りからの反発や偏見の目に耐えられない気がした。



「それは機会があれば是非リヒト様本人に尋ねてあげてください。とにかく、リヒト様は勉学こそ未来を掴む近道だと信じられております。神を信じず目の前の現実だけを信じる我が主人は……相当変わり者ですが、聖女様は気味が悪いとお思いになりませんか?」



 気味が悪いとは思わない。むしろその点に関してはこの国で唯一同じ価値観を持つ者かもしれない。


 ……でもね?


 気になるからって、服の下まで確認しようとするのは無しでしょ!



「そこは全く気にならないのですが、このリヒト様の部屋に滞在するというのはちょっと気が引けます。助けていただいた身でこのようなお願いするのも申し訳ないのですが……別の部屋はありませんか? 勿論掃除は自分でしますから!」


「部屋自体は掃除をすれば沢山ありますよ。ふふっ……あぁ失礼。きっとリヒト様はそう理由付けて、手元にキラ様を置いておきたかったのでしょう」



 手元に置いておかれると、また隅から隅まで調べられそうになる予感がするから嫌なんですっ!


 そんな思いを全力で目力に込めてトーマスさんを見つめると、彼は本当に可笑しそうに笑った後に口を開いた。



「あぁ可笑しい……ふふ、誠に失礼いたしました。この隣の部屋なら、リヒト様も納得されるかと。私達で掃除はさせていただきますので、その間キラ様はこちらの部屋でお休みになってください」


「そんな、申し訳無いので私が掃除します。トーマスさんは建築の勉強でもしていてください!」



 なんせ義理の家庭では私がずっと掃除当番だった。


 お屋敷の掃除なんてやったことはないけど、きっとそこまで大きな違いはないだろう。違うのは掃除機の有る無しくらいだと思う。



「リヒト様はキラ様がぐっすり眠る為に部屋を出ていかれたので、寝ていないと気がつかれればまた同じ目に遭うかと」


「ごめんなさいすぐに寝ます。今すぐ寝ます、おやすみなさい」



 食い気味に返事をするとトーマスさんはまた楽しげに笑った。



「しかし、ここまで長旅でお疲れでしょう。良かったらシャワーでも先に浴びますか? その方がリラックスして眠れるでしょうから」

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