前言撤回 1
リヒト様は優しかった。戸惑いの表情を見せつつも、涙をこぼした私の顔にタオルを押し付けてきたのだ。
「これで私は君の顔が見えない。水分も吸収される。よって君は泣いていないに等しい。嗚咽は……雨だからな、カエルが歌っているだけだ」
不器用すぎる優しさに、つい笑ってしまった。
◇◇◇
馬車で何時間か走って、暗闇だった外が明るくなる頃。クルークハイト領にある、リヒト様の屋敷に到着した。
私が召喚されたのは『聖女召喚の儀』と呼ばれ、通常はその後すぐに『聖女占いの儀』がある。そして聖女は即座にあの大きな燭台の火に焚べられるものらしい。
化学の参考書が聖典とみなされたお陰で一旦は難を逃れたけど、異端聖女とされた私が火に焚べられるのは時間の問題と見られた。
そのため王宮や城下町近辺に滞在していては身に危険が及ぶかもしれないということで、彼の領地で秘密裏に保護してもらう事になったのだ。
牢から助けてもらった上にこの先も保護してもらえるなんて、なんとありがたい話なのだろう。
つい馬車の中でうたた寝をしてしまっていた私は、リヒト様に声を掛けられ目が覚めた。そして若干眠さでふらつきながら、馬車を降りるために参考書を手に取る。
「雨上がりで足元が悪い。私が抱えていこう」
先に馬車から降りたリヒト様が、参考書を胸に抱えたまま慣れない馬車からゆっくりと降りようとしていた私に手を差し出した。
「え!? 重いですし、自分で歩けるので」
申し訳ないのでお断りするが、有無を言わせず抱きかかえられ馬車から降ろされる。
人生初のお姫様抱っこで、嬉しさやら恥ずかしさやら驚きやらがゴチャ混ぜになって、どんな表情をすれば良いのか分からない!
……とりあえず百面相しておこう。あ、参考書で顔は隠した方がいいかな?
「キラ、君の服が汚れると使用人達の洗濯の仕事が増える。よってここは私が抱えた方が実に効率的だ」
「あー……そうですね。やっぱりそういう理由ですよね」
きっちり七三分けに整えられた髪に、メガネの奥には髪と同色のアクアシルバーの瞳。そして背は高くスラっとしており、知的な印象漂うリヒト様は……正直格好良いと思う。助けてもらった補正無しでも格好良い。
だからこそお姫様抱っこの理由が明確すぎて……がっかりしてしまった自分がいた。トキメキの乙女心返してください。
そしてリヒト様は私を抱えたまま屋敷に入っていく。物語りにありがちな出迎えの使用人の列なんてものはなく、実に殺風景だった。
「もう室内なので自分で歩きますよ」
「却下する。理由は、屋敷の清掃が不完全な為だ」
抱かれたままぐるりと周りを見渡すと、確かに立派なお屋敷だけどいくつかの窓には蜘蛛の巣が張ってあるし、隅には巨大な埃が見える。お世辞でも綺麗とは言い難い。
確かここは伯爵領だと言っていた気がする。伯爵は爵位の中では比較的良い方という認識だったのだが……?
気にはなるが、牢獄から助けておいてもらって、招かれた屋敷の清掃状況を問う勇気は無い。招かれた友人宅で「掃除できてないよね?」なんて言える人いる?
私は無理です。現状、友人ですら無いし。
リヒト様は屋敷の2階にあるとある一室のドアを、私を抱えたまま器用に開ける。そして部屋の中にあるソファーに私をおろした。
どうやらこの部屋は綺麗に掃除されているようだし、日常的に人間が使用している感じがする。調度品も貴族らしい雰囲気の物が揃っており、この部屋だけ見れば私がイメージする普通の貴族の館だ。
「すまないが、普段使わない部屋は掃除していなくてな」
はい、見れば分かります。
喉元まで上がってきた言葉をゴクンと飲み込む。使用人がとても少ないとか、きっと理由があるのだろう。
「数日は私の部屋にいてくれ」
「はい分かりました。……え!? 一般庶民である私が、伯爵様であるリヒト様の部屋なんて使えません!」
ついつい話の流れで頷いてしまったが、普通に考えたらそうだろう。領主を押し除けて部屋に泊まるだなんて、不適切極まりない行動だ。
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