吾輩と鼠と暖温箱

一帆

吾輩と鼠と暖温箱

 吾輩は魔王である。


 しかしだ。魔女マーリンが『勇者ってイケボなのよおぉぉぉ』というくだらん理由で勇者側に寝返り、吾輩に猫になる呪いをかけ、異世界に飛ばした。


―― くそ。忌々しい。魔女マーリンめ、今度、あったら、問答無用で裸のまま氷漬けにして見世物にしてやる。…………、いや。


 手の中で弄んでいた鼠をしげしげと眺める。


―― 鼠にしてやるのもいいかもしれん。


頭はそのままで体を鼠にして、吾輩の手の中で、いたぶり、拷問する。


―― 魔女マーリンの苦悶する表情を見るのが楽しみだな。


吾輩は、頬を緩ませて目を細める。そして、がぶりと鼠にかぶりついた。ふわりといい香りが口の中に広がり、その何とも言えない満足感が押し寄せる。鼠は悲鳴すらあげられず、なすすべもない。吾輩は口から鼠を放すと、今度は転がして、前足で踏みつけた。思わずピンと吾輩のしっぽが立ってしまい、吾輩は慌ててミサキを見た。


「クロ、そのおもちゃ、気に入ってくれた?」


 暖温箱に覆いかぶさっていたミサキが、吾輩に声をかけた。暖温箱とは、魅了属性と炎属性を兼ねそろえた魔術箱だ。ある日、突然、この部屋に現れたかと思うと、あっという間にミサキを魅了した。暖温箱が現れてから、ミサキは、ほとんどの時間をそこで過ごしている。本を読む時も、食べ物を口にする時も、眠りにつく時さえ暖温箱から離れない。


 ―― 吾輩も気を緩めると魅了されてしまうからな。ただの人間にすぎないミサキが魅了されないわけがない。


 吾輩は暖温箱に魅了されないよう細心の注意を払い、用心深く、ミサキのそばに近寄った。もちろん、鼠を口にくわえたまま、すぐに逃げ出せるように。


「みゃあ」


 吾輩の意思とは関係なく、ぽとりと鼠がミサキの前に落ちた。不覚にも吾輩は暖温箱からはみ出している布の柔らかさに思わず驚いてしまったのだ。吾輩は鼠をくわえなおすと、しっぽを大きく左右に振る。


「ふふ。……、そんなに喜んでもらえるなら、もう少し早く編めばよかったかも。……、ねえ、クロ。私ね、最近、何か新しいことを始めたいって思っているんだ。できるなら、家でできることで、クロも私もはっぴぃになれるようなこと。それで、私とクロが生活していけるだけのお金がもらえること。それでね、猫用の編みぐるみおもちゃってどうかな? 私、編み物大好きだし、クロが喜ぶおもちゃだったら、きっと他の猫ちゃんも喜んでもらえると思うの」


 ミサキが手に持っていた棒を暖温箱に置くと、吾輩の背中を優しく撫ぜた。吾輩の喉が勝手にゴロゴロとなる。お尻の力がふにゃりとなくなる。ぺたりとお尻をついてしまった。


「実はね、その中に、キャットニップっていうハーブが入っているの。ハーブの授業で習ったんだけど、キャットニップって日本では犬薄荷ともいうんだって。猫と犬の両方の名前がついている不思議なハーブなんだけど、お茶にて飲んだらリラックスできるんだって…………」


 ―― まずい。このままだと魅了される……。


「………それでね、キャットニップって、人間だけじゃなくて、猫にもリラックス作用があるんだって。その話を聞いたときに、私にもクロにもいいハーブだったら、使ってみたいなぁって思ったんだ。でもね、ほら、ハーブって相性みたいなものがあるじゃない? だから、クロにはどうかなって思っていたけど、………………気持ちよさそうでよかった……」


 ミサキが暖温箱の毛布を少し持ち上げた。ふわりと温かい布の感触が吾輩を包む。

 

 ―― ま……ず………ふみゃぁ…………吾輩は……魅了…………され……。


「………、今度は、お魚のけりぐるみを編んでみようかな。………………あれ? クロ、寝ちゃったの?」






                             おしまい



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吾輩と鼠と暖温箱 一帆 @kazuho21

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