4章:決着

対人戦

 視界が真っ赤に染まる。爆発したこの感情を名付けるのなら、恐らく『怒り』なのだろう。


 鞘から剣を抜き、レイの髪を切った男性に振り下ろす。しかし、相手は魔法で見えないはずの私の剣を、いとも簡単にその刃物――ナイフで止めた。


「おやぁ? ここにもひとり、可愛がる相手がいたか」


 レイの魔法が解けた。私の姿をしっかりと見つめて、男性が自身の唇をねっとりと舐める。


「ユーバー・リヒか?」

「ははっ! 俺と遊びたかったのかい、可愛い子たちよ!」


 深夜だというのに、大きな声を上げる。どうやら、レイの作戦は成功したようだ。


 だけど、レイの髪が切られた。


「――許さない」


 ぽつり、と言葉がこぼれる。


 知らなかった。――私に、こんな『怒り』の感情があったことを。


 ユーバー・リヒは私よりも身長が高く、筋肉も私よりあるように見える。力比べではこちらが不利になるだろう。


 ――ならば――!


 剣を素早く振り続ける。キィン、キィンと剣とナイフがぶつかり合う音が、月夜に響く。


 素早い攻撃を続けていると、私の視界にレイが入る。髪が無作法に切られ、長さがバラバラなのがわかる。そしてなによりも――彼は目を大きく目を見開いて、私を見ていた。


 呆気に取られたようなその表情は、徐々に喜びを示すように紅潮し、口角を上げる。


「サポートするぜ、トレヴァー!」


 レイがパチン、と指を鳴らす。


 キィン、と金属がぶつかり合う音。


「チッ!」


 レイの補助魔法を受けて、不利だった力比べが対等になった。そのことに気付いたのだろう、ユーバー・リヒが舌打ちをする。素早さはこちらが勝っている。だから――大きく剣を振り、彼の持っていたナイフを弾き飛ばすことができた。


「ギャァァアアアッ!」


 耳をつんざくような声が、静寂の中に響き渡る。カラン、とナイフが地面に落ち、乾いた音を立てた。


 ナイフの他に、彼の腕も斬りつけた。腕から血を流し、痛みに耐えるように斬られた場所を手で覆う。ドクドクと勢いよく流れる血を見ても、私の視界は赤いままだった。


「――罪を認めよ。女神はいつでも、お前を見ている」

「ひ、ヒヒッ! 女神だぁ?」


 痛みで思考回路がおかしくなっているのか、ユーバー・リヒが笑いだす。


「そんなもん、ただの偶像でしかないだろう! 現に女神は姿を見せない! だから、人間はやりたい放題できるんだ! そう美しい髪を集めることも、美しい顔を歪ませることも! すべて人間に許されていることだ!」


 身勝手な言葉を吐くユーバー・リヒに、苛立ちを隠せない。ぎゅっと強く剣のグリップを握りしめ、彼の喉元に突き付ける。


「――許されてなど、いない」


 自分でも、驚くほど低く冷たい声が出た。


「人は互いを支え合い。生きるもの。やりたい放題したいのなら――その命、簡単に消されると思うな」


 喉元に突き付けていた剣を、庇っている腕に振り下ろす。


「ぐぁぁアアッ!」


 ただ淡々と、表情を変えずに。痛みだけを与え続ける。


「お、おい、トレヴァー?」


 肉を斬る感触など、二度と味わいたくなかった。


 だが、自分が大切だと思っているひとの 髪を切られて、なにかが壊れたかのように、怒り以外なにも感じないのだ。


「――許しを請うか?」


 痛みに耐え、言葉も発せられない状態になってから問いかける。


 ユーバー・リヒは何度もうなずいた。血が大量に流れている。このままでは気を失ってしまう。


「――ならば、罪を認め、二度とこのような罪を犯さないと、女神に誓えるか?」


 その問いにもうなずいた。私は彼に手を伸ばし、ガシッと頭を掴む。ジュッと音がして、手を離すと彼の頭に女神の紋様が刻まれた。


「誓約は交わされた。……あとは、好きにして良いよ、レイ」


 レイは信じられないものを見た、とばかりに目を見開いていたが、私とユーバー・リヒを交互に見て、呆れたように肩をすくめる。


「……いや、これオレが攻撃したらオーバーキルだろ」


 パチンと指を鳴らすと、しゅるしゅるとツタのようなもので彼を縛り上げた。


「念のため聞いておくけど、死んでないよな、こいつ」

「たぶん、そろそろ失神はすると思う。――あ、もうしてるね。じゃあ……」


 女神はこういう人にも平等だ。女神像を握って、ユーバー・リヒに対し回復魔法を使う。路地裏に血痕は残ったが、彼は五体満足、傷ひとつないと姿になる。意識はまだ戻っていないけれど。


「アフターケアつき」

「はぁ、なんだかどっと疲れちゃった」


 まだ心臓がバクバクと大きな音を立てている。胸元に手を置いて、落ち着かせるために何度も深呼吸を繰り返していると、ポンっとレイが私の肩に手を置く。


「それにしても、まさかお前がメインになって戦うとはなぁ。オレ、補助魔法しか使ってないぜ?」

「……ああ、うん。レイの髪が切られて……視界が真っ赤に染まってね。あ、はは……、今頃震えているや……」


 胸元に置いた自身の手が、震えていることに気付いた。剣を握っていたときは、かなり強く握りしめていたから……。


「大丈夫、か?」


 眉を下げて心配そうに問われ、小さくうなずく。


「大丈夫。それより、レイのほうは大丈夫なの? 髪以外は無事?」

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