第2話 お昼の時間
「さあさ、上がって」
「おじゃまします…あの、ほんとに大丈夫なんですか?」
私が玄関を開けてどうぞーと中へ促すと、結衣ちゃんは少し躊躇いながらも中へ入ってくれた。入るとき、ぺこっと会釈する。奥ゆかしい。
「一人暮らしだから親とかもいないし、気兼ねしなくて大丈夫だよー。私の方こそなんか無理やり連れて来ちゃったけど嫌じゃなかった?」
「それは大丈夫なんですけど…」
結衣ちゃん入ったの確認して、扉を閉める。彼女は靴を綺麗に揃えて脱ぎ、持ってた傘とともに家に上がった。
「あのこれ、きちんと汚れは落とすので中持ってっても大丈夫ですか」
「あー、全然いいよ。ほんとに大切にしてるんだね」
「はい。ありがとうございます」
後で、結衣ちゃんの傘の話も聞いてみたいなあと思った。
私も靴を脱いで上がる。手洗いうがいだけ済ませてリビングへ歩いていくと、結衣ちゃんもそれに倣った。
私の家に帰ってきた!家大好き。いつも1人だから、誰かいるのがなんだか不思議だ。
結衣ちゃんと一緒に帰ってたら、なんやかんやでお昼をごちそうすることになったのだ。
「おおー……綺麗なんですね」
洗面所からリビングに入ってきた結衣ちゃんは、感心するように私と目を合わせた。
「あっ、なにかなそんな意外そうに!」
からかってんのかと思ってじっと見る。
「あっいやそんなつもりはなくて…!うちがあんま綺麗じゃないから、片付けてるの偉いなーって」
「え、てっきり結衣ちゃん綺麗好きかと思ってた」
へーなんか意外だ。出会って間もないけど、なんだか勝手にそんなイメージを持っていた。
「もちろん綺麗な方が好きですけど、定期的に片付けるのってなかなか難しくないですか…?」
「あーまあそれは分かるなあ」
私の場合家に何も無いから片付けるものも無いと言うのがほんとのところだ。生きていくのに必要最低限のものしか置いてない。他はギターと…そんくらいか。
「じゃあ早速作るからちょっと待っててね、結衣ちゃん。ソファとか座ってていいからね」
「私も手伝います、悪いですから」
「あそう?別にいいのに」
結衣ちゃんはキッチンまで行く私を追ってついてきた。
「おーありがとう、じゃお願い。何がいい?」
「いえごちそうしてもらうのにそんな…何でも大丈夫です」
「そうかあ」
何でもいいが一番困るんだよなあ、やっぱり。
「じゃあいいや、カレーとかで大丈夫?すぐできるし」
「はい、ありがとうございます」
結衣ちゃんが頷いたのを見て、そのあとキッチンの棚から大きめの鍋を取り出す。
ご飯は朝セットして炊けてるから、カレールーだけ作ればいい。
お米足りるか怪しいけど私のを減らせば大丈夫でしょ。
今度は冷蔵庫から野菜たちを取り出す。中が少ないからそろそろ買い出しに行かないといけないな。
じゃがいも、人参、玉ねぎ、それに牛肉。材料がね、もう既に美味しそう。カレー考えた人天才だと思うよほんとに。
「それじゃやろっか…って言っても、ご存知の通りこれらを切って鍋に入れるだけなのよね」
「じゃあ私、材料切ってます。その間にお鍋の準備とか、しといてください」
「おっけー分かった」
まな板と包丁を取り出して、結衣ちゃんの前に置く。野菜の皮は既に剝いてある。自分で言うことでもないけどめんどくさがり屋だから、いつもまとめて処理してしまっているのだ。
「結衣ちゃんはさ、どうしてあの傘あんな大切そうにしてるの?」
鍋を取り出しながら訊いてみると、ちょっと驚いた声で返される。
「えっそれもう訊きます?」
「あれっだめだった?」
「いやいいですけど…」
いいんかい。気になっていたことだから早めに知りたかったのだ。
取り出した鍋を置きながら、キッチン越しに、向こうに立てかけてある結衣ちゃんの傘が見える。赤くて可愛らしい和傘。
「あの子、ゆずちゃんって言うんです」
「傘のこと?名前つけてるの?可愛いねー、なんでその名前?」
「えっと、あの傘、死んだ妹の形見なんですよ。だから妹の名前のゆずちゃん」
「え…?」
一瞬にしてさっきまでの穏やかな空気感ががらっと変わった気がした。結衣ちゃんの包丁を落とす音がやけに大きく感じる。
「まあ冗談なんですけど」
「えっ?冗談なの?」
「はい。私一人っ子です」
私はぽかんと口を開けたままだったけど、結衣ちゃんは対照的に微笑んでいた。
「なんだー!焦ったっ、結衣ちゃんのことだからほんとなのかと…」
「なんですかそれ」
そうすると結衣ちゃんはえへっと悪戯っぽく笑った。かわい…いや待て、私を騙せて嬉しいのか。結衣ちゃんそういうことする子なの!?
私が末恐ろしく思ってると、結衣ちゃんはその空気をこほんと、咳払いで正した。
「…まあ、ほんとの妹のように大切にしてるのは本当ですよ。確か私が小学生くらいのときに京都行ったときに見かけて一目惚れして、それで買ってもらって。それ以来ずっと大好きなんです。喩えるなら恋人のようなものなんですよ」
「へー…そうなんだ」
一目惚れかあ。でもいくらその傘が好きだからといって、いつ何時でも、肌身離さず持ち歩くほどの理由にまでなるのだろうか。結衣ちゃんはそういう子だ。いやでも好みも感性も人それぞれだし…
私が考えあぐねていると、怪訝な顔してしまっていたのか知らないけれど、結衣ちゃんは私の顔を覗き込んで優しく微笑んだ。
「吉野さんにも、恋人くらい大切なもの、1つくらいあると思います」
「うーん…たしかにあるっちゃあるか」
私の場合は結衣ちゃんほどの執心ではないけどきっとギターがそれにあたる。朝以来触れていないからちょっと遊びたくなってくる。愛の度合いが違うだけでそういうことなのだろうか?
「そうですよね」
結衣ちゃんは野菜を一通り切り切り終わったようだった。必要以上に詮索するのは良くないのかもしれない。傘が大好きな、ちょっと変わった女の子ということにしておこう。
「かんせーい!美味しそうだねー、結衣ちゃん」
「はい…!カレーなんて久しぶりに食べますよ」
えっそんなことある…?と思ったけどそうだよ、なんか結衣ちゃん勘当されたみたいなこと言ってた。その話も知りたい気もするけど、これこそ多分、あまり訊いてはいけない。
一連の思考を口にする代わりに、私は炊けていたご飯をお皿に盛り付けた。
「あれっ吉野さん食べないんですか?」
私が一皿しか用意しないのを見てか、彼女は疑問そうに尋ねてきた。
「あー私はあんまお腹空いてないからまだいいかな。朝いっぱい食べちゃってさー、だから後で食べるよ」
「そうなんですね」
結衣ちゃんはどこか寂しそうな声だった。これは仕方なくて、私の分しか炊いてなかったから足りないのだ。
ご飯をよそったお皿に、さっき作ったカレールーをたっぷりとかける。家庭の味って感じの、美味しそうないい香りがする。おなか空いてくる…
「運ぶから、結衣ちゃんあっち座ってていいよ」
「あっはい、分かりました、ありがとうございます」
結衣ちゃんをテーブルに座らせる。それで、スプーンと麦茶とと、一緒に持って運んでいく。
「どうぞ召し上がってくださーい」
「はい、ありがとうございます…いただきます」
私がわくわくしながら見てると、結衣ちゃんは一口すくって食べた。
「おいしいです…!」
「ほんとー?よかったよかった」
一口食べるなり結衣ちゃんはそう言ってくれた。
結衣ちゃんは目を輝かせてカレーを食べている。そんなに喜んでもらえると作った甲斐があるってもんだ。2人で作ったものではあるけれど。
見てるとこっちまでお腹減ってくる…けど、我慢我慢。今は結衣ちゃんをお客さんとしておもてなししているのだ。私のことを気にしてはいけない。
うん、そうそう。
「吉野さんも食べればいいのに…」
そんなこと思ってると不意に結衣ちゃんはそうやって、ぼそっと口にした。
「……えっ?いやいや、私は結衣ちゃんが食べてるの見てるだけで満足だよー、美味しそうに食べてて可愛いっていうか」
「さ、さっきからなんなんですか…その、可愛いとか言うの」
結衣ちゃんが少し恥ずかしそうに私の方をちらっと見る。
さっきからというのは、朝のことだろう。あんま思い出したくはないのだけれど。
「そりゃあ、結衣ちゃん可愛いからね」
そう言うともう少し、顔を赤くして目線を下げてしまった。まだあんまり親しくないのに、褒めすぎるのも変かなと思うけど、本心なのだ。
恥ずかしそうに照れてるのもまたいいと思った。あまりこういうこと言われるの、慣れてなさそう。
うーんこの艷やかな髪、穏やかな顔立ち。やっぱり可愛いのだ。なんかタイプというか…
「なんかね、小動物の可愛さというか」
「へ?小動物?」
突然そんなこと言ったから目を丸くしてもう一度見上げられる。
「そうそう。なんかずっと触ってたいっていうか…あ、ごめんね変なこと言って」
なんだか、結衣ちゃんが傘なら私は結衣ちゃんに一目惚れまであるかもしれないと思った。なんかずっと頭撫でてたい。恋愛感情ではないのだけど、愛着が湧く。お腹空いてカレー美味しそうに食べてるのとか、見てて微笑ましいんだよな。
「…吉野さんもなかなか変な人なんですね」
結衣ちゃんは呆れるような口調で言った、ものの、ちょっとだけ嬉しそうだった。
「へへ、それほどでも」
「褒めてないですよ」
結衣ちゃんはまたくすっと笑ってくれた。私も少し恥ずかしくなる。
「あーあとさ、友達なんだからさ、さんって、言わないでほしいな。仄ちゃんとか…」
「そっそれはちょっと恥ずかしいですね…」
私は出会ったときから勝手に結衣ちゃんと呼んでたけど、結衣ちゃんは私のこと名前で呼んでくれない。ちょっとどこか、寂しくなってしまうのだ。
「じゃあ、仄さんでどうですか?」
「おーありがとう!じゃそれでお願い!」
結衣ちゃんはそう提案してくれる。いったん妥協点を見つけた感じがする。
これはこれで、もっと親しくなったらちゃんとか、呼び捨てで呼んでくれそうでわくわくするから良いかも?
そんな風に思った。楽しい時間だ。
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