第25話 最終回

 玄関に出て行くと、遥斗がいた。

 後ろには、三十代後半と思えるカップルが立っている。遥斗や環奈よりも少し年上といった感じだ。共稼ぎの夫婦らしく、仕事の合間にやって来たのか、二人共スーツ姿だ。


「何やってんの?」

 黄色いバランスボールを抱えた環奈を、遥斗が怪訝な表情で見た。

「そっちこそ。どういうこと?」

 不動産屋の戸田もやって来た。

「お邪魔します。こちら、今回この家にご興味を抱かれている林田さんです」

 紹介された二人が、にこやかな笑顔で頭を下げる。環奈は黙ったまま、遥斗を睨みつけた。

「どういうこと?」

 途端に、遥斗に腕を掴まれて、廊下の端に連れていかれた。


「あのな、急だったんだけど、うちを見たいって言われてさ」

「そんなの、聞いてない」

「だから、急だったんだよ。いいだろ?」

「よくない」

 大体、環奈は家を売ることを承諾していないのだ。それなのに、こんなやり方は間違っている。

 環奈が納得していないのを見てとったのだろう。戸田が声を上げた。


「林田さんには、お庭の事情もお話してあります。林田さんは、もし、ご購入の際には、庭全体をコンクリートで埋め、その上に、ウッドデッキを敷き詰める案をご提案させていただいています」

 冗談じゃない。小人たちはどうなるのだ。

「ともかく」

 そう言ってから、遥斗はわざとらしい笑顔を、玄関の三和土に立ちすくんだ三人に向けた。

「今日のところはさ、頼むよ。環奈は何もしなくていいから。案内は僕がするから」


 勝手にはさせない。

 環奈はボールを抱えて遥斗を振り切ると、三人の脇を通って外へ出た。

 こっちは今、それどころじゃないのだ。小人たちの戦争を止めさせるために、今、決定的な攻撃を仕掛けようとしている。


 庭に出ると、焼夷弾の雨は、さらに激しくなっていた。足元のレンガの上には、小さいながらも焼け焦げた痕が付き始めている。

 焼夷弾をかいくぐりながら、環奈は庭の物置へ進み、その棚からバーベキュー用のライターを取り出した。

 火を点けるのは、ボールを転がす場所へ行ってから。どこから転がすのがいいだろう。どこからが、いちばんインパクトがあるか。


 と、環奈は棒立ちになった。

 フェンスがある。白鷺さんの庭との間には、フェンスがあるのだ。それをすっかり忘れていた。火のついたボールを転がすなんて無理じゃないか。


 我ながら迂闊だったと、環奈は唇を噛み締めた。


 ピシュッー。

 焼夷弾が環奈のすぐそばへ落ちた。


 急がなくては。このままではやられてしまう。

 背後で窓を開ける音がした。振り返ると、お義母さんが不安げな表情でこちらを見ている。


「危ないわよ、環奈さん」


「だいじょうぶです。お義母さん、見ててください。すぐに決着をつけますから」


 ともかく、環奈はボールに火を点けた。火はすぐに点いた。じゅくじゅくと、黄色い布に広がっていく。

 布の下のプチプチに燃え移る寸前、計画どおり、環奈はボールを投げた。熱くて持っていられなかったためでもある。


 ボールは燃えながら、フェンスを超えていった。予測したとおり、火はあっという間にプチプチに燃え広がった。


 ボン!


と何かが弾ける音がした。続いて、真っ赤な炎が、白鷺さんの家の庭に立ち上がる。


「やった!」


 環奈は思わず叫んだ。大成功だ。炎は白鷺さん自慢のシマトネリコの木の辺りに立ち上った。あのあたりには、敵の小人たちの重要な拠点がある。


 彼らは、空から降ってきた巨大な爆弾に度肝を抜かれただろう。これで、もう、隣の庭へ侵攻して来ようなどとは思わないだろう。


「キャッ――!」


 叫び声を上げたのは、白鷺さんだと思ったが、そうではなかった。家を見に来たカップルの女性のほうが叫んだのだ。

「おい、環奈! 何してるんだよ!」

 見上げると、二階の窓に、身を乗り出してこちらを見ている遥斗たち四人がいる。

 真っ赤な炎は衰えを知らず、次々と木々に燃え移っていく。煙も立ち上った。


「きゃああ!」


  叫び声が響いた。今度こそ、白鷺さんの声だ。続いて、ガラガラと窓ガラスが開けられる音。まわりの家々が、炎や煙に気づいたようだ。

「どうしたんだ―!」

 崖下の家の窓から、男の怒声が響いた。

 火は木々を伝って、こちらへも迫ってきた。枝の広がりを防ぐために木々に使われているプラスチックの紐が、火を誘引している。ものが焦げる臭いもひどくなった。


 庭には、思っていた以上に、人工物が多いのだ。鉢やホース。パンパンと爆発しているのは、虫除けの薬剤が入った缶スプレーだろう。

 

 とうとう、火はフェンスを越えてきた。

「どういうことだよ、これは!」

 庭へ出てきた遥斗に怒鳴られたが、環奈は呆然と火を見つ続けた。

 

 これで、おしまい。

 もう、小人たちは戦いを止めるだろう。

 

 そのとき、どこからか、きゅうきゅうと小さな叫び声がした。

 歓喜の声だ。それは、誰かが通報してこの家に向かっている消防車のサイレンにかき消されそうではあったが、環奈にははっきり聞こえた。

 

 戦いたくない。 

 小人たちの叫び声は、きっとそう言っている。

「だいじょうぶよ、もう」

 環奈は叫んだ。

「おい、環奈。何言ってんだよ」

 遥斗に腕を掴まれた。

「離して!」

「なあ、どうしたっていうんだよ!」


 遥斗を振り切って、しゃがみこみ、草の陰を分け、環奈は小人たちを探した。いない。

 どこにいるのだ? 生きているなら、姿を見せて欲しい。

 斜面を下り、ローズマリーの林をまたぎ、グミの木の下まで下りていく。

 家の表のほうで、消防車のサイレンが大きくなった。人のざわめきも聞こえてくる。

 グミの木の下にしゃがみこんで覗いた。

 やっぱり、いない。

 小人たちの姿がない。ジョーも、あの女兵士も、そして兵士の家族たちも掻き消えている。


「どこ? どこに行っちゃったの!」


 コツンと、環奈の額に、グミの真っ赤な実が落ちた。

 環奈はすーっと意識が遠のいていった。


             エピローグ


「きれいな花ねえ」


 お義母さんは、そう言って花に顔を寄せた。

「いい匂い。なんて名前の花なの?」

 さあと環奈は首を振った。庭から積んできた水色の小さな花びらが重なった花だった。

 

 環奈はこの花の名前をほんとうに知らない。はじめ、この花は、土砂崩れのあった場所に、ほんの二、三本生えていた。それがいつのまにか、庭を覆うほどに広がって、いまでは斜面全体が水色一色になっている。

 小人たちがいなくなった庭に、どこからか飛んできた種が根付いて、きれいな花を咲かせたのだ。

 花は、環奈の家の庭だけでなく、白鷺さんの家の庭まで広がっている。


 花瓶は、施設の介護士さんが、環奈が持ってきた花を見て用意してくれた。家を売ると決まって、引越しの日よりも先に、お義母さんは施設に入った。環奈たちが新しく借りるマンションに近い、小規模な施設だ。

 花を生けた花瓶を、窓際に置くと、透明な花瓶の水が、窓からの光に反射してきらきらと輝いた。


「眩しくないですか」

 カーテンを閉めると薄暗くなってしまうが、部屋には眠っている入居者もいるから閉めたほうがいいかもしれない。お義母さんは四人部屋の窓際のベッドだ。

「優しいお嫁さんだわねえ」

 入口に近いベッドの老女が、笑顔を向けてきた。

「だあれ、あの人」

 環奈に顔を寄せて、お義母さんが呟く。引越しが決まった頃から、お義母さんの認知症の症状は重くなった。ボーッとしている時間が長くなったし、物忘れもひどくなった。

 その理由が、ふたたびきっちり薬を飲み始めたからなのか、環境の変化によるものか、環奈にはわからない。


 施設を出ると、冷たい風に煽られた。そろそろ三月に近いが、まだ風には冬の名残りがある。

 駅までの道は長かった。家は思っていたよりもずっと安くしか売れなかったから、新居は不便な場所になった。

 引越しの日まで、あと二日。台所を汚したくないから、寄ったスーパーではすぐに食べられる惣菜を買った。


 遥斗の帰りは早いだろうか。

 借金を精算して、きっぱり投資をやめたおかげで、仕事に熱意を感じ始めているようだ。若干、新型コロナウィルスの流行もおさまってきている。遥斗の勤める会社の業績も少しずつ上向きつつあるらしい。

 惣菜の入ったエコバッグを片手に、玄関の鍵穴に鍵を差したとき、隣のフェンスの間から、白鷺さんの顔が覗いた。


「今、おかえり?」

 白鷺さんとは、和解している。

 庭を燃やし、消防車まで呼んだ騒動だったが、火を放ったのはお互い様だったこと、煙は大きく立ち上ったものの、木を数本焦がしただけで、建物には延焼しなかったことで両家だけの話し合いで終わった。

 なぜ、火を放ったのかについては、環奈同様、白鷺さんも口をつぐんだせいで、誰も真相は知らない。隣同士のいざこざで落ち着いている。


「お引越しは明後日よね」

「はい」

 今日も白鷺さんは、庭の手入れに余念がないようだ。片手に剪定バサミを持っている。環奈はちょっとさびしく思った。新居のマンションに、庭はない。

「明日、ご挨拶にまいります」

 すると白鷺さんは、左右に首を振ってまわりを伺ってから、声をひそめた。


「あなただけには言っておくわ」

 家の中に入ろうとして、環奈は顔を戻した。

「なんですか」

「小人たちのことよ」

 黄色い爆弾を造って騒動を起こして以来、環奈は小人たちを見ていない。

「うちの小人たち、始めてるのよ、また」

「――始めてるって」

「だから、戦争。崖下の家の庭の小人たちと戦い始めてるの」

 そう言った白鷺さんの目の中に、歓喜の光を見た気がして、環奈は呆然と立ち尽くした。

                          了


 ~最後までお付き合いいただきありがとうございました~

                               








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小人戦争 popurinn @popurinn

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