第16話
振り返ると、お義母さんは、素知らぬ顔で、手元の布団からはみ出た糸くずを丸めている。
ふたたび環奈は、穴に顔を戻した。
小さな穴には、土や砂が溜まっていた。天井部分には、薄く蜘蛛の巣もかかっている。そして、床から続くミミズの足跡のような筋が、砂の上に続いている。何かが通った跡であるのは間違いない。通った者は、床からこの穴を通って外へ出てる……。
それは、小人たち?
ジョーたちが、お義母さんの薬を盗って、外へ運び出している?
まさか。
認知症を遅らせる薬が、どうして小人たちに必要だというのか。
小人たちが何を栄養として生きているのかわからないが、おそらく、庭にいる数多の生き物同様、花の蜜や毒のない根、そして小さな虫を捕まえて食べているはずだ。
人間が服用する薬を飲むとは思えない。大体、ドネペジルの直径は五ミリほどある。小人の小さな小さな口には入らない。
もちろん、砕けば、飲めないこともないだろうけど。
いや、飲むはずがない。飲んだら大変なことになるはずだ。
医者が初めて処方してくれたとき、簡単な説明をされた。成分は忘れてしまったが、副作用としてめまいや徘徊、むくみも出る場合があると聞いた。心筋梗塞や脳出血なんていう恐ろしい症状に至る場合だってないとは言えないらしい。
そんな薬を、小人たちが飲んだらどうなる? 副作用だって、人間の数十倍となって現れるはずだ。
「あ」
穴の出口に、環奈は白い半円を認めた。腕を伸ばして、手に取ってみた。
ドネペジルだった。欠けてしまっているが、お義母さんの錠剤に間違いない。
お義母さんは正しかったのだ。そしてお義母さんは、それが小人たちの仕業だと知っている。
錠剤の欠片をジーンズのポケットに入れ、環奈は部屋を飛び出した。ほんとうに、小人たちが錠剤を持ち出しているのか、自分の目で確かめなくては。
目指すは、グミの木だった。その下のセンリョウの陰。そこにジョーたちは隠れているはずだ。
斜面を駆け下りて、環奈はグミの木の下に立った。即座にしゃがみこんで、センリョウの葉を掻き分ける。
小人たちはいなかった。代わりに、細い車輪の跡が、ぐるぐると土の上に模様を描いていた。戦車もどきはここまで来たのだ。
どこに隠れているんだろう。
全滅したとは思えない。思いたくない。
一台の戦車もどきが、砕かれたまま放置されていた。筒の部分は折られ、車体は穴が空いている。激戦だったのだ。ジョーたちが必死で戦ったのかわかる。
グミの枝に捕まってつま先立ちになり、斜面のさらに下を覗き込んでみた。斜面は傾斜の角度を鋭くし、溝へ続いている。この辺りの住宅に必ず設置されている、雨水を流すための溝だ。幅は二十センチほど。コンクリートでできている。
ツワブキの葉が溝を覆っていた。艶々した大きな丸い葉で、溝の底は見えない。ところどころに花の蕾が見えた。もう少し季節がすすんだら、黄色い花を咲かせるだろう。
溝に隠れているとは思えなかった。雨が降れば、溝には勢いよく水が流れる。基地には不向きな場所だ。
となると、どこだ?
戦車もどきがやって来られない場所を選んでいるはずだ。
そのとき、一枚のツワブキの葉が大きく揺れた。
一人の小人が、一枚の葉の下から別の葉の下へ通り過ぎていった。あの女兵士だった。胸の前に肉厚な葉を丸めて抱え、何やら慌てている。
やはり、基地はこの辺り。
ツワブキの葉をどけて、女兵士の行方を知りたい衝動にかられたが、じっとしたまま様子をうかがった。
風がひと吹きし、その後、ふたたびツワブキの葉が揺れた。別の小人だ。今度は数人、彼らも胸に肉厚の葉の包みを抱えている。
そっと、ツワブキの葉に触れ、小人たちの行先をたぐった。
溝に下りた小人たちは、枯れ草が落ちた溝の底を進んでいった。その間、ツワブキの葉が屋根となって、注意深く見なければ小人たちの移動はわからない。
どこへ行くのだろう。
意外にも、小人たちが進んでいるのは、白鷺さんの庭がある方角だった。せっかく離れた場所に隠れていたのに、また危ないほうを目指している。
溝は環奈の庭の最低部の境界線となっている。うねうねと曲がりながら、白鷺さんの庭の溝につながる。
途中、溝の底のわずかな土から己生えしたナンテンがある。小人たちはその脇を通り、縦横微塵に伸びたクマザサの密集地に入っていった。
このクマザサの密集地は、二等辺三角形に似た形をしている。もわもわとクマザサが生えただけの、隣の白鷺さんの家の庭とも環奈の家の庭とも、趣きの違う一帯だ。辺の長さは大人が両手を広げたぐらい。
クマザサの密集地まで追いかけるのはためらわれた。この場所は、厳密に言えば、環奈の家の庭ではないのだ。この土地を買ったとき、図面を見たから間違いない。
環奈の家の庭は、台形だ。二等辺三角形の地面は、台形の土地の端に尻尾のようにくっついている。
では、白鷺さんの家の土地かといえば、そうでもないようだ。フェンスは途切れているものの、もし、彼女の家の地面だったら、クマザサの手入れがされているはずだ。
おそらく、斜面の途中にある、小人たちが墓地にしているという、ヒメジオンの畑のように、市の所有地なのだろう。
でも。
環奈は記憶をたどった。二年ほど前、市のナントカ課の職員二人が、傾斜地の調査でこの庭を訪れたとき、彼らは、ヒメジオンの畑は測量していったが、クマザサのほうはしなかった。ということは、市のものでもないのかもしれない。
では、誰のものなんだろう。
環奈は枯れたモミジの根っこに腰を下ろした。庭の手入れをするとき、休憩場所としてこの根は座るのにちょうどいい。
続々と小人たちが溝を伝ってやって来た。戦車もどきにやられっぱなしの環奈の庭の小人たちだったが、まだまだこんなにいたのだ。頼もしかった。安心した。
あのクマザサの密集地に、うちの家の小人が多く集まれば、この場所はうちの家のものになったりして。
既成事実というやつだ。
やだ、そんなこと、嬉しくもなんともない。こんな端っこの尻尾のような地面など、手に入れたってなんの得もない気がする。
立ち上がって、クマザサを掻き分けようと腕を伸ばした。言葉が通じるなら、こんな前線に近い場所にうろうろせず、白鷺さんの庭から離れた場所へ逃げたほうがいいと言いたい。
いた。たくさんの小人たち。ところが、ほとんどの小人は、横たわっている。
負傷兵?
ずきんと、胸が痛んだ。
この場所は、負傷兵を休ませる場所なのだ!
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