第15話

 女兵士を救おう。


 それは自分にしかできないんじゃないか。

 隣の庭には、白鷺さんという強力な後ろ盾がいるのだ。あの白鷺さんに対抗できるのは、自分しかいない。


 何か、決定打となる武器を。


 環奈は考え続けた。お義母さんの食事を作りながら、お義母さんが汚した洗面所のマットを洗いながら。小人たちへ差し出す武器について頭から離れなかった。


「ねえ、環奈さん」

 何の策も浮かばないまま二日が過ぎたとき、お義母さんが言った。朝食を終え、ベッドのサイドテーブルの上の食器を片付けている最中だった。

「わたしの薬はどこ?」

 以前、泥棒に盗まれたと言っていた、認知症を遅らせる薬―ドネペジルのことだ。

 たしかにあのとき薬は見つからなかったから、環奈は仕方なく、お義母さんが通うデイサービスに来る医師に、事情を話して処方箋を書いてもらった。

 新しい薬はすぐに手に入った。よくあることのようで、医師は取り立てて質問もせず、処方箋を書いてくれた。


 あれから、薬は環奈が管理している。サイドテーブルに置いた薬ケースの中には入れず、お義母さんが手の届かない、壁の棚の上に薬袋ごと置いている。

 小柄なお義母さんが、椅子にでも上がらない限り、届かない場所だ。


 環奈は疑っている。薬がなくなったのは、お義母さんが多く飲んだからだと。

 いや、疑っているんじゃない。確信している。

 多く飲んだお義母さんの症状に変化はなかった。ほんの気休め程度の薬なのかもしれない。

 多く飲んで、副作用が出ないのはおかしい。頭の中は日に日に呆けてくるが、お義母さんの体はいたって健康だ。


「今、用意しますね」

 そして環奈は、棚に手を伸ばした。袋を開けた。

と、空っぽだ。


 どういうこと? 

 環奈はお義母さんを振り返った。


 椅子を持ってきて取った?

 

 まさか。

 お義母さんが椅子の上に立ち上がるなんて、できっこない。

 大体、ここに薬があるとお義母さんは知らないはず。


「ないの?」

 声をかけられて、環奈はびくりとした。

「ないんでしょ? やっぱり」

 確信を持った言い方だ。環奈は不審に感じて、お義母さんの顔を見据えた。お義母さんは皮肉っぽく口元を歪めている。


「だから言ってるじゃないの。盗まれてるのよ」

「そんなこと――」

 有り得ない。

 冷静にならなければと、環奈は思った。お義母さんは病気なのだ。脳のどこかの部分、海馬だかなんだかが萎縮し始めている。そのせいで、有りもしない出来事をでっち上げているだけだ。そのでっち上げにいちいち反応して本気になってはいけない。


 中身だけがなくなった理由は、いろいろ考えられるはずだ。

 地震によってこぼれ落ちたとか。ううん、このところ、横浜に地震は起きていない。


 風に吹かれて落ちたとか。

 ううん、それなら、袋ごと落ちるはずだ。

 

 環奈は床を見渡した。何はともあれ、落ちたとすれば、床のどこかに転がっているはずだ。

 

 見当たらなかった。

 いったい、どうなっているのだ。こっちまで頭がおかしくなりそうだ。

 

 と、フローリングの床に、細い筋があるのに気づいた。ミミズが這ったような、幅二ミリほどの筋。たどっていくと、その線は、壁に開けられた猫の出入り口の穴につながっている。

 

 なんだろう。

 

 穴は今日も、扉が開いたままだった。この前しっかり閉めたはずなのに、お義母さんが開けたに違いない。どういうつもりでこの扉を開けるのか見当もつかないが、ほかに開ける者はいないのだから、お義母さんの仕業に決まっている。

 

 穴に顔を近づけた。


 そのとき、背後で、お義母さんが声を上げた。

「困った小人たちよ」

 え。

 穴を覗き込んだまま、環奈は息が止まりそうになった。

 

 小人たち?

 

 今、お義母さんはそう言わなかったか?

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