第8話
家に戻って、環奈は小人たちの武器になるものを探し始めた。
どんなものがいいだろう。
小さな物でなくては。なにせ、小人たちが使うのだから。
キッチンに立った。
タイルの壁に掛けてあるお玉や小鍋。菜箸に計量スプーン。まな板に包丁。
包丁の刃に目を留めて、環奈はぞっとした。
包丁の刃が振り回されて、たくさんの小人たちがなぎ倒されるイメージが頭に浮かんでしまったのだ。
そんな恐ろしいこと……。
いや、怖がっていては、白鷺さんの庭の小人たちに、うちの小人たちがやられてしまう。躊躇している場合じゃない。
――勝たなきゃ意味がないでしょう?
あれは、白鷺さんから環奈への宣戦布告だったのかもしれない。
庭では小人たちが戦っているが、ほんとうは、白鷺さんとうちとの戦い。
そう。代理戰爭?
やだ、どうかしてる。
包丁から目を逸らし、環奈はブルルッと首を振った。なぜ、白鷺さんと戦わなくちゃならないのか。白鷺さんはいいお隣さんだ。何ら問題はない。戦わなくてはならない理由はない。
といって。
このままうちの庭の小人たちが負けるのをただ見ているのは、悔しい。始まっているのだ。戦いが始まっている以上、勝たなくては。
そう思ったとき、テレビの横に置いてあるペン立てに目が行った。ペン立ての中には、ボールペンやホチキスといっしょに、マイナスのドライバーが差してある。
「あっ」
環奈はバスルームへ走った。
洗面所の前でしゃがみこむ。
洗面所の抽斗のいちばん下を開けた。ごちゃごちゃと、大工道具が入っている。
「これよ」
つまみ上げたのは、釘の入った箱だった。蓋を開けると、思ったとおり、二センチほどの長さの釘が並んでいる。数十本はあるだろうか。
釘を持って、環奈は急いで玄関に向かった。庭へ出るなら、お義母さんの部屋からのほうが近いが、何か訊ねられては面倒だ。一刻を争う。
庭に出て、耳を澄ました。あのキュウキュウという雄叫びの声を探す。
「あそこだ」
雄叫びの声は、白鷺さんの家の庭との境界線あたり、枯れて茶色い茎だけになっているアジサイが植わった場所のあたりから聞こえてくる。
環奈は斜面を下って行った。カシャカシャと小さな箱の中で釘が踊る音が気持ちを昂らせる。
もうちょっと待って。すぐに行くから。
環奈は心の中で叫びながら、雑草を踏み分けて進んでいった。
釘はきっと武器になる。
人間だって、この尖った先端で刺されたら痛いし、下手をすると大怪我になる。ましてあの小人たちなら、致命傷になるはずだ。こんな強力な武器、相手方は持ち合わせていないだろう。
輪ゴムだなんて。
白鷺さんの武器を思い返して、冷たい笑いがこみ上げてきた。
たしかに輪ゴムは、弓矢の弦とするのは草の蔓よりはいいかもしれないが、小石を投げていることに変わりはない。
そこで、釘よ。
雄叫びを繰り返しながら、交じり合って戦う小人たちの上で環奈は仁王立ちになった。足の間で、小人たちが放った矢がトンネルをくぐるように行き交う。
ジョーはどこ?
釘はジョーに渡すつもりだった。リーダーに渡せば、全隊に行き届くんじゃないか。
環奈はジョーをリーダーと決めつけている。庭で見かけた小人たちのいちばん立派な顔をしていると思えたし、行動も堂々としているように思えたからだ。
なかなかジョーの姿は見つけられなかった。倒れたり、また起き上がって進んでいったりを繰り返す小人たちは、土にまみれて見分けがつきにくい。
別の場所で戦っているんだろうか。それとも、安全な場所で隊を指揮しているんだろうか。
早く渡したいのに。
環奈は焦った。これを使えば、決着が着くのだ。うちの小人たちに勝利が約束されるのに。
陽の光が強くなった。額が熱い。こめかみに滲んだ汗を指先で拭った。
仕方ないわ。
環奈はしゃがみこみ、味方側の小人たちが控えている後方に、数十本の釘をぶちまけた。
ちゃらちゃらちゃら。
釘は金属的な嫌な音を立てて地面に落ちた。途端に、小人たちが飛び退く。蟻の子を散らしたように、小さな顔を恐怖に歪ませて逃げていく。
「待ちなさい、待って!」
釘の音に驚いたのか、戦闘は瞬間止まった。白鷺さんの庭の小人たちも動きを止める。
草の葉の後ろに隠れた味方の小人たちに向けて、環奈は叫んだ。
「これを使って!」
聞こえたのかどうか。大体、言葉が通じるのか定かではないのに。
そのとき、
「失礼しまーす」
と、玄関で聴き慣れた声がした。リハビリの先生の槇原だ。
環奈は家を振り返って、部屋の壁の時計を見た。十時を過ぎている。
「今、行きます」
慌てて玄関に走った。今日はお義母さんにリハビリの先生が来ることをすっかり忘れていたのだ。
「おはようございます」
玄関に立った槇原は、今日もさわやかな笑顔だった。といっても、マスクをしているせいで、口元がどうなっているかはわからない。すっきりとした二重の目を見てそう思うだけだ。体育大学の学生時代、ラグビーをしていたと聞いた憶えがある。きっと女の子に人気があっただろう。
挨拶を返し、あたふたとスリッパを出す。
「美智子さんのご様子はいかがですか」
そう言われても、わからなかった。小人のことで頭がいっぱいで、お義母さんに朝食を出したときの記憶が抜け落ちている。
環奈の返事がなくても、槇原は気にするふうもなく、慣れた様子で廊下を進んでいく。槇原はベテランの理学療法士だ。年齢は、おそらく四十代後半。お義母さんが通うデイサービスから、派遣されてくる。やさしい声音とあたたかい言葉使いで老人たちに評判がいいらしい。お義母さんも嫁の環奈に向けるよりもいい笑顔になる。
「おやおや、今朝はご機嫌がいいですねえ」
部屋に入るなり、槇原はそう声を上げた。
「あらあ、先生。おわかりになる?」
「わかりますよぉ。背中もしゃんと伸びてる」
リハビリに使う道具が入った肩かけのビニールバッグを床に置くと、槇原はお義母さんのベッドに近づいた。慣れた手つきでお義母さんを抱き起こす。
「だって、しゅんちゃんがね」
甘えたような声でお義母さんはテレビのほうに顔を向けた。
ベッドの脇に置かれた大型テレビには、お義母さんお気に入りの男性歌手が大映しになっている。
しゅんちゃんこと、五十歳をいくつか超えた、環奈にしてみれば派手な太めのオジサンにしか見えない、人気歌手幸田しゅんの特集番組のようだ。お義母さんは、数年前からこの歌手の大ファンで、彼の出演する番組はすべて見ている。
「すてきな男性を見ていると、体の調子も上がりますからねえ」
「うふふ。こんなおばあさんがファンじゃ、しゅんちゃんも嫌だろうけど」
「美智子さんはまだまだおきれいですよぉ」
今日も調子のいいことを言っている。逆立ちしたって、自分には言えないセリフだと環奈は思う。
すっかり気分を良くしたお義母さんは、槇原の言われるまま、素直に手足を動かし始めた。
不思議だ。
食事のときなど、テーブルの上のちょっとした物を取ってくれと言っても、腕が上がらないと言って動かそうとしないのに、今、お義母さんは、軽々と頭の上に両手を挙げている。
ぼんやりと二人の様子を眺めてから、環奈は視線を窓に戻した。お義母さんの部屋からは、庭がよく見える。
釘はどうなっただろう。
ちゃんと武器として使っただろうか。
テレビ画面から流れてくる幸田しゅんの男性にしては高い声と、
「はい、もう一度伸ばしましょう」
と繰り返される槇原の励まし。スー、スーと規則的なお義母さんの息遣いの音。
いつもと同じ、弛緩した空気が流れる部屋。
その部屋のすぐ向こう、窓の外では、小人たちの死闘が繰り返されているのだ。
と、目の前のテーブルにあるスマートフォンが目についた。何かあったときのために、遥斗がお義母さんに買い与えたが、一度として使われる機会がなかったスマートフォン。
遥斗は買ってきたとき、熱心に使い方を教えた。お義母さんは素直に聞いていたし、触ってもみたけれど、使いこなすところまではいかなかった。結局、料金だけ払って、環奈が毎日充電して、まるで置物のごとくテーブルの上に置かれている。
もし、遥斗が、何度も目の前で使い、根気よくお義母さんが使うのを手伝ってやったら。
もちろん、それは環奈がやってもよかったのだろうが、お義母さんも使えるようになったかもしれない。
無理、無理、そんなの。
お義母さんに説明したときの遥斗を思い返して、環奈はため息をついた。
「だから、そこに指をふれちゃいけないんだって」
何度遥斗が説明しても、お義母さんは余計なタップを繰り返した。多分、画面に触れて動かすという意味がわからなかったんだろう。
遥斗の声が徐々に苛立っていき、お義母さんは瞬きを繰り返して、どうにか涙をこらえているように見えた。愛する一人息子の遥斗が相手だから、お義母さんもかんしゃくを起こさなかったが、教えたのが環奈だったら、最後まで話を聞いてもらえなかったと思う。
教えるというのは、世話を焼くことよりこちらの忍耐が要求される。世話を焼くだけなら、別のことを考えながら、ただ機械的に体を動かすことが可能だ。
ところが、教えるとなるとそうはいかない。相手が理解したのか確認する必要があるし、一度だけというわけにはいかない。
とすると。
環奈は焦った。
小人たちだって、教えてやらなくては、釘の使い方はわからないんじゃないか?
「じゃ、今日はこれくらいにしておきましょう」
槇原の声に、環奈は我に返った。
「次は、来週」
上の空で、
「はい」
と返事をした。
現物を造って、使い方も示さないと。
造るのに必要なものは。
のろのろと槇原を玄関へ送っていきながら、環奈は弓の造り方を考えた。
まったくわからない。
想像もできない。
弓のことなど、自分の人生で考察した憶えがない。
でも、ネットで調べればきっとわかる。
「ではまた」
靴を履きながら、槇原が屈託のない笑顔で言う。
ぎこちない笑顔しか返せなかったが、槇原は気にならないようだ。
多分、槇原は、お義母さんと環奈をセットで見ている。お義母さんと同居するおとなしい嫁。外で会っても、環奈をほかの誰かと識別できないんじゃないか。
「ちょっと、環奈さん」
お義母さんの声が響いてきて、同時に玄関のドアがぱたりと閉まった。
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