第7話
こんなにたくさんの数。
ヒイラギに近づいて、環奈は目を見張った。
カイガラムシのように、小人たちが、ヒイラギの枝や葉にびっしりとつかまっていた。彼らの胸にもマークがあった。C。白鷺さんが言ったように、彼女の庭の小人たちは、Cのマークを付けている。
それぞれの小人たちは、手に細くて短い枝を持っている。
根元には厳しい表情をした小人たちが、きれいな隊列を組んで、枝に登る順番を待っていた。
ヒイラギのいちばん上の葉から、小枝が投げられている。キュウキュウという音は、小人たちが発している雄叫びだった。小人一人の叫び声はかすかだが、これだけ集まっていると一つの音となって聞こえてくる。
つま先立ちをして、自分の家の庭を見た。
いるいる。
Jのマークを胸につけ、枯れ枝になっているアジサイにへばりついて応戦している。
「今日の戦闘はいつもより大きいみたい」
白鷺さんは、嬉しそうに言った。
あちこちから、キュウキュウという雄叫びが上がる。前線はヒイラギが植えられている場所だけでなく、あちこちにあるようだ。
「わあ、やっぱりうちの小人たちは強いわ」
「数が違います」
思わずムキになって、環奈は返した。ちょっと目にしただけでも、Cマークの小人の数が明らかに多い。どんなにJマークの小人たちが精鋭部隊を率いていたって、圧倒的な数の違いは不利だろう。
見る間に、環奈の庭の小人たちは、バタバタと地面に倒れていった。ヒイラギの枝から、白鷺さんの小人たちが飛び降りるのがわかった。前線が徐々に環奈の庭のほうへ進んでいく。
「あっちのほうも見に行きましょ」
白鷺さんに誘われるまま、白鷺さんの家に近いシマトネリコの木のほうへ向かった。木材チップが敷かれた小道を進むと、激戦地に入った。
Jマークの小人たちは、必死に抵抗を繰り返している。ここでは、Cマークの小人たちも苦戦していた。地面に倒れている小人の数も同じくらいだ。
しばらく息を詰めて戦闘を眺めた。
いくら眺めていても飽きない。
いつのまにか、拳を握り締めて応援をしてしまう。
「もう、いいわ」
すっくと白鷺さんが立ち上がっても、環奈はまだしゃがみこんで小人たちの戦いを見つめていた。
「おもしろいけど、あんまり長く見ていると疲れちゃう」
「えっ」
環奈は白鷺さんを見上げた。
おもしろい?
そういうんじゃない。そんなふうには思っちゃいけない。小人たちは必死で戦っているのに。
「よかったら、お茶をいかが?」
白鷺さんは、環奈の返事も待たないで、家のほうへ向かっていく。
「スコーンを焼いたのよ。お嫌いじゃなかったら」
立ち上がると、白鷺さんの家の中が見えた。朝日に照らされた心地良さそうな部屋が見えた。白い北欧風のテーブルに、硝子の花瓶が置かれ、水色の花が生けられている。
「じゃ、お言葉に甘えて」
ふと足元を見ると、前線へ運ぶためか、小石を詰んだ大きなヤツデの葉を、数人の小人が運んでいる。
ひょいと、小人たちをまたぎ、環奈は白鷺さんの後を追った。
アロマだろうか。
玄関に招き入れた途端、甘酸っぱい香りがただよってきた。白で統一された玄関は、きれいに片付けられ、塵ひとつない。
「どうぞ」
スリッパを出され、庭の土がついた靴を恐縮しながら脱ぐ。
廊下を進むと、光が溢れた居間になった。
この界隈の住宅街は、ほぼ似たような造りの家が並んでいる。スペイン風の瓦屋根に、白い壁。外観が似ているから、中も同じようなものだろうと思っていたが、違った。きっと大幅にリフォームしたのだろう。環奈の家の居間よりも、開放感がある。
高い天井。庭に面した窓は大きく、庭の緑がインテリアの役目を果たしている。インテリア雑誌の写真みたいだ。
夫婦二人の暮らしだからだろうか。生活感がなかった。モダンな白いテーブルとソファ。壁際の背の低い棚に飾られてあるのは、簡素な石の置物。そのすぐ横には大きな鉢に、観葉植物が枝を広げている。
「ね、座って。すぐにお茶を持ってくるから」
「ありがとうございます」
革張りのベージュのソファに、遠慮がちに座ると、どこからか、小さな茶色い犬がやって来た。白鷺さんちのペットの小型犬、ココアだ。ときどき、抱き抱えて近所を散歩している白鷺さんを見かけた憶えがある。
思わず抱き上げると、楽しげにじゃれついてくる。
「ココア、いい子にしてね」
白鷺さんが叫んだが、ココアは容赦なく環奈の手を舐めてくる。ずいぶん、人なつっこい犬だ。
居間の隣の、タイル張りの壁に覆われたキッチンが見えた。広くはないが、使い勝手がよさそうだ。
シューッと、お湯の沸く音がして、焦げたバターの香りもただよってきた。きっとスコーンを温めているのだ。
「あ、あの、お手伝いします」
「あら、いいのよ。くつろいで待ってて」
キッチンから白鷺さんはそう声を上げ、それから続けた。
「観戦してて。よく見えるでしょ?」
観戦?
環奈は部屋の中を見回した。部屋のインテリアに邪魔にならないよう、さりげなく置かれたテレビは消されたままだ。観戦って、何を見るというのか。
白鷺さんがやって来て、環奈の目の前にお茶のセットとスコーンをのせた皿を置いた。そして白鷺さんは、環奈の横に座る。
「ほら、ここに座るとよく見えるのよ」
白鷺さんの視線を追った。窓の向こう、庭へ。
「ほんとだ。よく見えます」
環奈は思わず腰を浮かして呟いた。
小人たちがいる。かなりの数だ。
小人たちの戦闘場所は、環奈の家の庭との境だけではなかったのだ。居間の大きな窓硝子のすぐ先、灰色のレンガが敷かれたポーチの向こう、シマトネリコの木の根元で、何十もの小人たちが戦っているのだ。Jのマークがついた環奈の庭の小人たちと、白鷺さんの庭の小人たち。
見たところ、戦況は互角。
「多分、あの場所は重要な戦闘場所なんだと思うわ。木の根元が平らになっているでしょう? 大掛かりな戦闘に向いてるんだと思うわ」
さっきまで環奈が見てきた戦闘は、いってみれば、小競り合い。ほんとうは、こういう戦い方をするのかもしれない。
「いつもあの場所で?」
「そうね。ほら、よく見て。両陣営の間に川が流れているでしょう?」
「川? 水の川ですか?」
白鷺さんは、こっくりと頷いた。
「地面の上をよく見て。水の流れの筋ができているの」
たしかに、水の筋ができていた。昨日の今日だ。ところどころに、水は細い筋となって流れている。川と言われればそうなのかもしれない。
そう。小人たちにとっては、大きな川に見えるのかもしれない。
「あそこは、いつも水が流れてる場所なの。木の根元のところ、少し川幅が太くなっているのがわかるかしら」
白鷺さんの言うとおりだった。小人五人分ほどに、水の筋が太くなっている。
「いつだって、どこだって、同じね」
そう言いながら、白鷺さんは、スコーンにフォークを刺した。
「同じって、何がですか?」
「両陣営は、川を挟んで向き合う。学校の歴史の授業で習わなかった? 大抵、戦闘っていうのはどこの国でだって川を挟んでするものじゃない?」
そうなんだろうか。そう言われれば、歴史の授業で、そういうシーンを教師が黒板に書いてくれた記憶がうっすらある。日本の古い話。たしか、長野県あたりの話だったような。
もぐもぐ口を動かして、白鷺さんはスコーンを食べた。環奈もごちそうになる。蜂蜜がたっぷりかけられているせいで、妙に甘かった。生クリームが添えられているが、足す気がしない。
「あらあら、今日は激しいわねえ」
白鷺さんの声に、スコーンから庭へ視線を移すと、小人たちが入り混じってぐちゃくちゃになっていた。
まさに、混戦。どっちがどっちとわからないほど、両軍入り乱れて乱闘になっている。
「がんばれ、うーち!」
白鷺さんが、フォークを振って応援した。「うち」というのは、うちの庭の小人たちという意味だろう。
声にこそ出さなかったけれど、環奈もスコーンを咀嚼しながら、Jマークの小人たちを応援した。
負けないで。ほら、もうちょっと踏ん張って。
心の中の応援が功を奏したのか、Jマークの小人たちは粘り強く応戦していた。川を挟んで、一旦はカタバミの群生している場所まで後退したが、ふたたび歩を進めて川へ戻っている。
わずかに、Jマークの小人たちが勢いを得た。ピチピチと鳴る弓矢の音が連続する。爪楊枝よりも短くて細い棒が、川の上を飛び交う。
見ていると、いじらしくなった。明らかに、環奈の庭の小人たちは、数でも装備でも、白鷺さんの小人たちに比べて劣っている。それなのに、士気はおそらく環奈の小人たちのほうが優っている。
統制は取れているし、何しろ、前線にいる小人たちに怯む様子がない。
「こら、進め!」
上品な奥さまとは思えない叫び声を、白鷺さんが上げた。
白鷺さんの小人たち隊列の端っこが崩れかけている。中には、逃げ出そうとしている者までいる。
「ちょっと待っててくれる?」
ふいに、白鷺さんは、立ち上がった。
隣の部屋に向かった白鷺さんは、ドアの向こうでしゃがみこみ、何やらゴソゴソと始めた。
「あった、あったわ」
そんな独り言が聞こえる。
その間にも、戦闘はますます激しくなった。
環奈の庭の小人たちが、川を渡ろうとしている。その隊列に向けて、白鷺さんの小人たちは、大きな――といっても、園芸用の小型のスコップほどの大きさもないが――、頑丈そうな弓矢で小石を連続して投げ始めた。
「すごい、あんな武器もあるんだ」
思わず呟いたとき、白鷺さんが戻ってきた。
見上げると、白鷺さんは、束になった輪ゴムを手にしている。
「それ、どうするんですか」
「これはね」
そう言いながら、楽しげに微笑む。
「小人たちに渡してるの」
「え」
「小人たちは庭に生えてる蔓で弓を作ってるんだけど、それじゃあ、あんまり飛ばないのよ、小石が」
「はあ」
「輪ゴムならね、すごく飛ぶ弓が作れるのよ」
「武器を供給してあげてるってことですか」
環奈はふたたび庭に目を向けた。今、白鷺さんの小人たちが使い始めた弓矢は、まさに、この輪ゴムで造ったものなのだろう。たしかに、よく飛んでいる。軽々と川を超えている。
「この輪ゴムのおかげでね、うちの小人たちは強くなったのよ」
そんなのずるい。
白鷺さんの援助で強力な武器が手に入るなんて。
それじゃあ、小人たちだけの戦いじゃなくなってしまう。
輪ゴムは小さな束に分けられた。小隊ごとに渡すつもりかもしれない。
「小人たちの戦いを見てわかったの」
器用に指先を動かしながら、白鷺さんが言う。
「戦闘の勝敗を決めるのは、武器よ。当たり前かもしれないけど、強力な武器を持ったほうが、勝つの」
「でも……」
「戦っている以上、勝たなきゃ意味がないでしょ?」
釈然としないものの、環奈は輪ゴムを見つめながら同意した。
白鷺さんは、にっこりと笑顔になる。
「そうなのよ。うちが勝てば、お宅の小人たちには申し訳ないけど、早く戦闘にカタがつくわ。そうしたら、また平和な庭に戻るのよ」
そうだろうか。
白鷺さんの考えに疑問を感じるのは、強力な武器を目にして、環奈に闘争心が湧き上がってきたからだった。
Jマークのうちの小人たちの戦いに、何か提供できるものが何かないだろうか。新しい武器があれば、白鷺さんの庭の小人たちに負けやしない。
シマトネリコの根元で、小さな土埃りが上がった。環奈の庭の小人たちが後退を始めたのだ。
環奈は思わず唇を噛んでいた。
ああ、自分も協力していれば、もっと互角に戦えたのに。
「ちょっと庭へ出てくるわね」
白鷺さんはそう言って、庭に出る窓を開けた。
「あの、わたし、失礼します」
環奈も立ち上がった。
「あら、もう帰るの?」
「ええ。お義母さんが心配ですから」
嘘だった。このまま、Jマークの小人たちが負けるのを見過ごせない。何かしなくては。
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