第4話
第二章
台風一過の翌日は、青空と決まっている。
空には目が覚めるような澄んだ青が広がっていた。地上は陽の光に輝き、鳥の声も生き生きと響き渡る。
遥斗を送り出してから、環奈は洗濯機を回し、その間に掃除機をかけた。
朝食を終えたお義母さんは、ベッドから起き上がって大音量でテレビを見ている。
洗濯物を干しに二階の庭側にあるベランダへ出た。
物干し竿に、昨日の雨の雫が残り、キラキラ光っている。雑巾で拭いて網籠を取ろうとして、ふと庭を覗いた。
庭には、台風の痕が生々しく残っていた。低木が何本かなぎ倒され、どこからか飛んできた白いレジ袋が、べちゃっと潰れて草の間に見える。
斜面に沿って伸びるレンガの小道は、飛んできた無数の葉で埋められていた。この町内は庭を持つ家ばかりだ。そのせいで、まわりには樹木が多い。
小人たちの姿は見えなかった。といっても、ここからでは、集団でいない限り見つけるのは難しい。
昨晩、小人たちの存在を幻覚だと結論づけたくせに、やっぱり姿を探している自分に呆れた。気持ちの奥のほうで、小人を見たのは、一つの奇跡だと思おうとしている自分を自覚している。
あれが視えるのは、自分だけ。特別な自分だけ。そう思うと、鬱々とした日々に光が差す気がする。
と、草に覆われた地面に、奇妙な模様ができているのに気づいた。
目を凝らしてみる。模様は、散らばった草を上手に分けて出来上がっている。
まるで、細い蛇が通った痕のようだった。蛇の通った痕を見たことはないが、想像してみると、あんなふうに長い紐を無造作に投げたような形になるんじゃないか。
あれはなんだろう。
手早く洗濯物を干し、環奈は庭へ下りた。
まだ地面は濡れていると予想して、長靴ではなく古いスニーカーを履いてきた。
ベランダから見えた細い模様は、斜面のいちばん上のレンガの小道の、そのすぐ脇から始まっていた。
小道にしゃがみこんで、模様に顔を近づけてみる。
畝のようだった。畑に作物を植えるとき、土を盛り上げて造る土の堤防みたいなもの。高さは五センチほど。幅は均一だった。蟻が巣を掘るとき、砂粒が地面に積み上げられているのと似ているが、湿った土のせいか、もっと強固に見えた。
しかも、土の中に、細かい枯れ草がある。どうやら、枯れ草を編んだあと、土で塗り固めたようだ。
なぜ、こんなものができているんだろう。
畝は、長く続いていた。雑草を上手に分けて続いていると思ったが、畝を辿って草をどけてみると、しっかり草の下に造られてあり、途切れはない。
虫が造ったんだろうか。
虫が畝を造るなど、小学校の理科でも習った覚えはない。だが、虫の生態に詳しいわけではないのだ。知らないだけで、そんな虫もいるのかもしれない。
それは、どんな虫で、なんのために?
そう問いかけながら、心の奥底で、あれだよ、あれに違いないと、もう一人の自分が囁きかける。
一旦目を閉じて、それから目を開けた。
ジョーの姿を探す。
この畝は、ジョーたち小人が造ったのだ。ジョーだけなら、大変な作業なのかもしれないが、昨日見た集団で手がけたのであれば、可能なんじゃないか。
なんだか、環奈は楽しくなってきた。指先でなぞりながら、足のつま先の畝を先へたどっていった。
畝は行ったり来たりしながら、ローズマリーの林のところまで続いていた。ローズマリーの林は、昨日、ジョー以外の小人がいた場所だ。
「わ、なにこれ」
環奈はローズマリーの葉の束をどけた。
ロースマリーの根元に、レンガほどの大きさの四角い土の塊があった。さらに顔を近づけてみると、ところどころに穴が開いているのがわかった。四角い、言ってみれば窓と言える穴。そして、中は空洞になっている。
まるで、建物だ。
そう。中に人が入ったら、外が覗けるような。
人って……。
ここに入れるのは、小さな小さな人しか無理だろう。
ピチッ。
環奈の頬で何かが弾けた。
「イタッ」
頬に当たったものが、足元に落ちる。枝だった。まっすぐな枝。二センチほどしかないが、先にトゲがくくりつけられている。
飛んできた方向は、真正面だった。土の塊の建物から。
「あっ」
ジョーだった。土の塊の小さな建物のてっぺんで、仁王立ちしている。
その小さな胸の前には、弓矢のようなものを抱いている。こちらに向けている顔が真っ赤だった。目は輝き、怒りに燃えている、と見える。
「違う、違うの」
慌てて環奈は叫び、両手を顔の前で振った。どうやら目の前の小さな土の塊は、小人たちが造ったものらしい。それを壊されるとでも思ったのだろう。
せっかく謝ったのに、相手には伝わらなかったようだ。ジョーの後ろから、何人もの小人たちが、建物のてっぺんに登ってきた。相当な数だ。やっぱり、この庭には、たくさんの小人たちがいる。
小人たちの数人が、膝を立ててしゃがみ、弓矢のようなものを構えた。
ピチッ、ピチッ。
短い枝が、環奈に向けて飛んできた。大したことはないが、針でつつかれるほどの痛みは感じる。
「撃たないで」
言ってみたが、小人たちには通じなかった。前列の者が小さな矢を投げ終えると、次の隊が前に出て、構える。訓練された軍隊のようだった。
ということは。
環奈は両手で頬を覆いながら、畝に視線を戻した。
これは、城壁?
となると、この土の塊の建物は、砦?
そう思って眺めてみると、まさに小さな畝は、万里の長城のようだった。
どこまで造ったのだろう。
砦から伸びる城壁は、まだまだ先へもつながっている。
踏みつけないよう注意しながら、環奈は先へとたどっていった。城壁は曲がりくねりながら、徐々に庭の下へと向かっていく。
と、城壁が左へ折れた。
モミジの枝に捕まりながら、急斜面を進む。
お隣さんの白鷺さんの庭との境に近づいた。
白鷺さんの庭との境には、高さ一メートルほどのフェンスがある。格子のアルミのフェンスだ。
フェンスの下へたどり着くと、経年劣化のせいか、フェンスが破れている部分があった。その場所で、城壁は二重になり、高さも増している。
まるで、敵の侵入に備えているかのようだ。
ということは、隣の白鷺さんの庭に、敵がいる?
体を屈めて、フェンスの向こうをもっとよく見ようとしたとき、頭の上から声がかかった。
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