第55話 茶会

 執務室で釣書を見てから数日経った頃。アシュリーは家のガゼボで紅茶を嗜んでいた。

 アレクサンドルの事や新しい婚約の事で慌しかった事もあり、庭のガゼボでゆったりとお茶を飲む時間など無かったアシュリーだったが、この頃やっと一息つくくらいの時間は取れるようになっていた。


 今回飲んでいるのは果物茶の新作、葡萄を使用した紅茶である。最近は新作ということもあり葡萄をよく飲んでいた。

 

 

 飲んでいた紅茶が半分ほどに減った頃。この時間を満喫しようと読書に精を出してたアシュリーの元へと近寄る影が現れた。

 彼女はその事に気づき顔を上げると、目の前にはエディーが立っていた。アシュリーも立ち上がる。


 

「お兄様、ありがとうございました」

「はは、俺に掛かれば朝飯前だから問題ないさ。じゃあ、俺は仕事に戻る。アシュリー、あとはよろしく頼むよ」

「お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 

 

 アシュリーが軽くお辞儀をして頭を上げるところを見たエディーは、すぐに姿を消した。そしてエディーの後ろにいた人物――サイラスがこの場に残されたのだ。



「ここまでお越し頂き、ありがとうございます」

「多忙の中……時間を取らせてすまないな」

「いえ、最近は落ち着いておりますので、お気になさらず」



 そう言って微笑んだアシュリーをじっと見つめながら、サイラスはアシュリーの座っていた椅子へ向かい、軽く引いた。「ありがとうございます」とお礼を伝えて椅子に腰掛ければ、サイラスも案内された席に着く。

 サイラスにもアシュリーと同様の果物茶が注がれる。彼女の紅茶も取り替えられ、侍女たちが去ったところでアシュリーはサイラスに声をかけた。



「先日は助けて頂き、ありがとうございました」



 そう述べて頭を下げる。

 あの後アレクサンドルは衛兵たちに拘束され、アシュリーとは別の応接間の一室に監視付きで軟禁する事になった。応接間の一室になったのは、証拠隠滅をされないようにするためであろう。

 アレクサンドルはサイラスの指示により、手に縄をかけられた状態で衛兵に連れて行かれる事になった。その時の彼の表情は、牢屋の時に見た感情が抜け落ちているような表情をしており、不気味に感じたのを覚えている。


 そしてアシュリーは応接間に向かう彼の背が見えなくなった頃、ヘナヘナと床に座り込んでしまったのだ。彼女は薬物の原液を飲まされていたが、ここまで逃げることはできたのは、火事場の馬鹿力というやつだったのだろう。

 アレクサンドルが彼女の前から居なくなった事で緊張状態が途切れ、力が抜けたのだ。


 そんな動けない彼女に肩を貸し、アレクサンドルとは別の応接間で休ませてくれたのが彼だった。休んでいる時に今までの恐怖がどっと押し寄せてきたのか、小刻みに震えるアシュリーの背中を優しくさすり、彼女が動けるようになるまで隣にいたのである。

 ちなみにサイラスのいた応接間には絶えず兵士による報告が上がっていたため、彼はアシュリーの様子を見ながら報告へと来た兵士に的確に指示を出していた。また彼女の前には側近のエリオスも座っていて、上がってきた報告を紙に要約し書き付け、報告書を作成していたので二人きりではない。

 

 頭を下げたままサイラスからの言葉を待つが、声をかけられる気配がない。疑問に思って顔を上げると、額に手を当てて俯いている彼がいた。



「殿下、どうか致しましたか?」



 心配になって声をかけてみるが、サイラスは俯いたままだ。ティーカップの中を見てみると、果物茶が少々減っている。紅茶が口に合わなかったのではないか、と思ったアシュリーは侍女を呼ぶ前に彼へと頭を下げた。


 

「大変申し訳ございません! もしかして紅茶がお口に合わな――」

「いや、違う。この紅茶は美味しいから気にするな」

「ですが……」

 


 アシュリーから見て、今日のサイラスはどこかいつもと違う。もしかしたら体調が優れないのではないかと考えた彼女は、「医者を呼びます」と言いながら立ち上がり、彼に背を向けようとした。


 だが、それはサイラスによって阻まれる。彼がアシュリーの手首を掴んだからだ。

 彼の温もりを感じてようやく頭が動き始めたアシュリーは、しばらくしてからやっとサイラスが彼女の手を握っていることに気づく。離れようと軽く腕を引っ張ってみる。幸い加減されているのか手首に跡が付く事もないだろうが、なかなか強い力であるため、逃げ出す事はできないだろう。

 

 そのため、彼女は弱々しい声で抗議する事しかできなかった。


 

「サイラス様、どうして――」

「……本当に無事で良かった……」



 そう言ってサイラスはアシュリーの手を握りしめた。その手や声が少々震えている事にアシュリーは気がついて、彼女はやっと彼が自分の事を心配していたと察する。



「サイラス様、無事だったのは貴方のお陰ですわ」

「ああ……」

「本当にありがとうございました」

「……ああ」

 


 ここは諜報員を抱えるサンタマリア侯爵家の屋敷。誰かに見られる事もないだろう。アシュリーはもう一人の兄として慕っているサイラスに、感謝の意を込めて空いていた手を彼の手の上にゆっくりと乗せた。

 

 

 幾許か経ち、最初に感じていたサイラスの手の震えもなくなった頃。

 兄貴分であるサイラスとも言えども、ずっとこの状態でいるのは問題だった。アシュリーはそろそろ、と何度か離れようと試みるも、彼の手によって阻まれていた。力ではサイラスに勝てないので、どうすべきかと悩んでいたその時。



「はいはーい、殿下。そろそろ離れて下さいね?」


 

 サイラスの身体で見えないが、彼の方向から手を二回叩く音と共に声が聞こえた。そしてその声が聞こえた後すぐに、サイラスの手がアシュリーから離れていく。彼女の目の前には、エリオスがニコニコと笑いながら立っていた。

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