第54話 婚約白紙

 その後迎えに来た使用人によって待合室へと案内されたアシュリーは、サイラスの手当てが終わり、筆記者から提出された報告書が両陛下の手に渡った頃に応接間へと呼び出される。


 彼女が部屋に入ると、既に数人が部屋の中央にあるソファーで眉間に皺を寄せて書類を読み進めていた。

 アシュリーの正面には両陛下が、左側には父である侯爵、右側には陛下に近い方から、王太子、サイラスそして宰相が座っている。アシュリーは侍女から父の隣に座るように指示され、音を立てないよう座った。


 最初に報告書を最後まで読み終えたのは陛下だった。言葉が出ないのか報告書をずっと見つめている。



「最初侯爵から報告があった時、禁止薬物を入手しているのはてっきり夫妻の方かと思っていたが……まさか評判の良いアレクサンドルが入手していたとは思わなかったな」

「ですが陛下、考えてみれば納得の話でしょう。公爵夫妻はお金に対して強欲ですから、無駄な事にお金は支払わない性格です。夫妻が息子を病弱に仕立て上げたところで、利益はなくむしろマイナスではありませんか。ソロモン殿が病弱になる事で一番利益を得るのは、アレクサンドルかと」

「確かに、宰相の言う通りだな。 誰に対しても物腰が柔らかく、爽やかな貴族令息だという評判は耳に入れていたが……まさか人間の皮を被った獣だったとは。人とは分からないものだな」


 

 陛下と宰相は二人でうんうんと頷き合っている。

 その横で報告書を読み終えたらしい王太子は、隣で機嫌の悪いサイラスを見て両肩を上げた。

 


「父上の仰る通りです。私も彼に対する評価は高めでしたが……一方でサイラスは以前から彼を内心嫌悪している事を知っておりました。私はてっきりサイラスがアレクサンドルに嫉妬して敵意を向けているのかと思っていました……けれど改めて考えれば、アシュリー嬢と婚約する前から彼の事を『いけ好かない』と言っていた気がします」

「本当か? サイラス」

 


 目を丸くして尋ねる陛下に、サイラスは眉間に皺を寄せながら返事をした。



「ええ。以前から彼の目が気になっておりました。彼の目は温かみがなく、周囲の人間を駒としか見ていなかったと思います。彼が両親や弟、婚約者であるアシュリー嬢やルイサ嬢の話をする時でさえも、変わりませんでしたから。ですから――いえ、何でもありません」



 余計な言葉まで口から出そうになったサイラスは口を閉じる。アシュリーは彼が閉口した理由が分からなかったが、周囲はそれが理解できているのか、微笑ましい雰囲気を醸し出していた。サンタマリア侯爵を除いて。

 侯爵は空気を戻すために咳払いをした。

 

 

「不幸中の幸いなのは、彼の執着が王位に無かった事でしょう。もし彼が狙っているのが王位であれば……」

 

 

 それ以上は言うまでもない。

 自らの欲望のために禁止薬物へ手を出し、簡単に他人に盛る事ができたアレクサンドル。今回はルイサやアシュリーを手に入れるため使用していたが、もし王位を狙っていたのであればこの被害者は王太子や第二王子に手を伸ばしていた可能性もあった。


 彼らは侯爵の言葉でその事に気がついたのだろう。特に両陛下と王太子殿下の顔色は悪く、今回サイラスや侯爵に説得されて強制逮捕に至ったが、その判断は妥当だったと後々両陛下が胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。


 そんなどんよりと重くなった空気を破ったのは、応接間の扉を叩く音だった。

 扉が開き現れたのは、王太子殿下の隣に座っている宰相の補佐官だ。彼はサイラスの側近であるエリオスの兄である。


 彼は宰相に耳打ちし、何かの伝言が書かれた紙を渡して扉から出て行く。宰相は紙を一瞥した後に、陛下へと渡した。

 

 

「アシュリー嬢の面会が功を奏しました。アレクサンドルがポツポツと供述を始めているそうです。現在彼の処罰は表向き病死で進めておりますが……供述によっては彼の罪を公開し、そして公開処刑も考えられますね。まあ、報告書を見る限り、表向き病死の毒杯になるでしょう」

 


 両陛下や侯爵もその言葉に同意なのか、首を縦に振る。そしてその後はアシュリーとアレクサンドルの婚約解消の公表についての日を決めた後、アシュリーは応接間を退出した。




 数日後。先日の話し合いで決めた日にアシュリーとアレクサンドルの婚約白紙が発表された。


 父である侯爵の元には積み上げると天井に届くのではないか、というくらい多くの釣書が届いている。

 侯爵家から男爵家と幅広く釣書が届いており、爵位が低い者の中では『もしかしたら……』という奇跡に賭けている家もあるのだろう。


 父と兄エディーは仕事そっちのけで、アシュリーの婚約者候補を絞り込んでいる。だが、彼らは諜報員で貴族に関する情報量は他の貴族より桁違いに多い。

 つまり二人の手に掛かれば、婚約者候補を見極めるのも朝飯前なのだ。


 ほんの一時間ほどで父の執務机に目一杯置かれていた釣書は二人によって選別され、釣書は三枚まで減っていた。

 

 満足そうに微笑むエディーと眉間に皺を寄せている父から、封筒に入れられた釣書を受け取った。アシュリーが封筒を受け取ってお礼を伝えると、眉間の皺をさらに深くした父が声をかけてきた。


 

「もし、まだ婚約について考えられないのであれば、その三件には返事待ちの連絡をしておくが……」



 と心配そうに話す父の横で、エディーは「父がアシュリーを手放したくないだけでは」と薄目で睨んでいる。侯爵は彼の指摘が図星だったらしく、珍しく狼狽えていた。

 アシュリーはそのやり取りに既視感を覚えつつ、微笑みながら答えた。

 


「ご心配ありがとうございます。ですが……先日の面会で私、胸のつかえが下りましたので問題ありません。部屋に戻った後、内容は確認させて頂きます」

「分かった。もし、釣書の三人が気に食わないのであれば、また選び直す。その時は教えてくれ」


 

 アシュリーの笑みに公爵もつられて微笑む。そんな二人を満面の笑みで見ていたエディーは、彼女の肩を軽く叩いてから「仕事に戻ります」と言って去っていった。彼なりの激励だ。

 アシュリーもエディーを見送った後、続けて父の執務室から退室する。


 婚約者に関しては、アシュリーの意志次第だ、と父や兄からも言われていた。陛下も次のアシュリーの婚約には口を出さないと仰っている。

 最初は全ての釣書を見て決めようかと彼女も考えていたが、当主である父の意見は参考にしたいと思ったからだ。釣書の量が多すぎて、困惑したこともあるが。

 

 彼女は三枚の封筒を抱きしめて、自分の執務室へ向かう。


 執務室に着いたアシュリーは執務机ではなく、来客用のローテーブルに封筒を置く。そしてルーシーに依頼して、ローテーブルの片隅に紅茶を用意してもらった後、執務室で一人になった彼女は一番上に置かれていた封筒の中身を取り出した。

 

 一人目は隣国の公爵家の次男だった。

 隣国は最近王位争いが落ち着いてきたと話は聞いているが、まだまだ長引くであろうと父が話していた事を思い出す。

 この公爵家は王位争いから一定の距離を置いてはいるが、いつ彼らの状況が変化するかは分からない。それを考慮した上で、我が国にパイプを造ろうと申し込んできたのだろう。同盟国の、しかも格上からの釣書だ。無碍にはできないのだ。

 まあ、普通のサンタマリア家であれば受け入れただろうが、諜報という仕事を担っている以上、他国に知られるような失態は犯したくない。なので、アシュリーとしては、彼とは婚約できないと判断を下した。

 


 一通目の釣書を元の封筒に戻して、二通目の釣書を手に取った。二通目はサンタマリア家と懇意にしている伯爵家の次男である。

 アシュリーと彼は何度か顔を合わせた事がある。それもその筈。サンタマリア侯爵が「有能だ」と彼の頭脳を認めていたからである。万が一、アシュリーが公爵家に婿入りとなった場合、侯爵は彼を呼び寄せて当主候補として教育しようと考えていたほどだという。


 彼なら婿入りしても問題ないだろう。


 

 釣書を封筒に戻した後、三人目の封書から釣書を取り出す。すると一番上に一通の封筒が入っている事に気がついたのだった――。

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