第53話 面会後

 地下牢と地上を繋ぐ階段を登り終え、目の前にある扉を開く。アシュリーたち全員が扉を通り抜けると、最後尾にいた護衛が鍵を取り出し南京錠の鍵を掛け、二人の護衛と書記官たちは両陛下への報告書作成のためにその場を後にした。

 残ったのはアルスと、先に牢を出てアシュリーを待っていたサイラスだ。

 

 サイラスは射抜くような視線を送っていたが、アシュリーはその視線を逸らす事なく彼に優雅に微笑みかける。そしてしばらくの間二人は見つめあっていたが、耐え切れなかったのかサイラスが顔を背けた。


 

「殿下、私の我儘を叶えていただき、ありがとうございました……あの、無礼を承知の上で申し上げますが、手を見せていただけますか?」



 サイラスの右手はマントに隠れており、アシュリーから見る事はできない。

 だが、彼女は確信していた。後方で聞こえた音は彼が壁を殴っていた音だいう事に。

 

 彼はアシュリーの言葉に肯定も否定もしない。だが、その場から逃げる事もしなかった。

 だから彼女は沈黙を肯定とみなし、恐る恐る隠されていた彼の手を取り優しく触れると、彼の拳面は血で真っ赤に染まっている。隠していたためか、マントの内側にも血が付いてしまっている事に気づいたアシュリーは、持っていたハンカチを拳面に優しく押し当てた後、取れないようにと掌で軽く結んだ。


 

「殿下、早急に宮廷医師へと見せに行きませんと……」



 そう言って先触を出すように指示をしようと、サイラスに背を向けたアシュリーだったが、その瞬間彼に手首を掴まれ後ろに転倒すると思ったが……その前に、背中が軽く何かにぶつかる。

 気づけば後ろからサイラスに抱きしめられていた。誰か見ている可能性も考え、「殿下?」と声をかけながら慌てて周囲を見たが、父がつけた影は既に部屋におらず、偶然見えたアルスも扉から出ていくところだった。


 パタン、と扉が閉まり、部屋が静寂に包まれる。どうして良いか分からないアシュリーはもう一度恨めしい声で「殿下」と呼びかける。

 そんな彼女の言葉に応えるかのように、身体を抱きしめている手には力が入り、アシュリーの右肩や右頬にサイラスの色艶のある髪が触れている。


 もう一度苦情の意味を込めて「殿下」と声を掛ける前に、サイラスが彼女の耳元で口を開いた。



「アシュリー、本当に無事で良かった……」


 

 その言葉で気づく。彼の手が少々震えている事に。

 アシュリーは震える手に自分の手を優しく添える。そして子どもをあやすような優しい声色で彼に話しかけた。


 

「ラス様、ご心配をお掛けしました。もう大丈夫ですよ」



 その言葉を聞いても無言を貫いたサイラスだったが、少し心が落ち着いたのだろう、彼の腕の震えはなくなっていた。




 暫くすると扉の開く音がし、アシュリーは誰かに見られたら……と思い、慌ててサイラスから離れようと腕を離そうとする。そこから現れたのはアルス

だったため、胸を撫で下ろす。

 しかしいつまでもこのままでいられないから、と身をよじるもサイラスの力が強く、なかなか離れないためアシュリーは困惑した。

 そんなアシュリーに助け船を出してくれたのがアルスだ。

 

 

「殿下、医師に連絡が取れましたので、医務室へ参りますよ」

「……」



 サイラスは彼の言葉など聞こえていないように、アシュリーに抱きついたままだ。アルスはため息をつき、アシュリーにこの状態を放置した謝罪をしてから、サイラスの襟を掴み、耳元で声を上げた。



「聞こえませんか、殿下。医務室へ参りますよ」

「……ぃやだ」

「なに駄々を捏ねているのですか、早く行きますよ」

「アシュリーが折角寄り添ってくれたのだから、まだ離れたくない」

 

 

 顔をアシュリーの肩に埋めてアルスを見ようとしないサイラスに、彼はもう一度ため息をついた後、再度声を上げる。



「アシュリー様の婚約白紙はまだ公表されていないのですよ。今回はこれでも大目に見たのですから……」

「別に見られたのなら、俺が責任を取るから問題ない」

「大有りです。アシュリー様の醜聞にも繋がりますし、何より私も候補の一人ですから正々堂々と勝負をして下さい」

「え?」


 

 アシュリーは思わず声を出す。その一方でサイラスは目をギラっと光らせると、瞬く間にアシュリーから手を離し、アルスに一撃を叩き込もうとした。だがアルスは難なく避けてサイラスの手を掴んでいる。

 アシュリーは二人の素早い動きに目を丸くし、アルスは至極真面目な顔で表情も変えずに、サイラスに話しかけた。

 


「ちなみに殿下、先程の話は冗談です。私には婚約者がおりますので」



 サイラスは目を見開く。目の前の男がまさか嘘を付くとは思わなかったからだ。真面目の皮を被ったような男が真顔で冗談を言う事に彼は驚いた。



「こうでも言わなければ、殿下はアシュリー様を離さないでしょうから」

「……少々驚きました。兄よりアルス様の婚約者が決まったとお聞きしておりましたから」

「驚かせてしまい、申し訳ございません」



 頭を下げるアルスに、彼女はお礼を述べ頭を上げるよう伝えた。

 実はアシュリーは兄から、アルスの婚約は最近決まったためまだ宣誓書などの手続きが終わっていないが、教会での婚約式は終わっている事を聞いていた。そのため先程自分の婿候補だと言われて驚いたのだ。

 だが不思議なのは、側近であるアルスであれば一番にサイラスへと告げるだろうと思っていたのだが……。

 

 

「何故俺には言わなかったのだ?」

「週頭に報告致しましたが、お忘れですか」

「……覚えていない」

「あの時の殿下は別の事で頭が一杯でしたから、仕方ありません」



 その別の事、とは前日に起きたアシュリーの件なのだが、彼女には知る由もない。



「俺の方が先に婚約すると思っていたのだが……なら、彼女を連れてこい」

「申し訳ございませんが、それはできかねます」



 アルスの話によれば、彼の婚約者は少々変わり者と呼ばれている令嬢で、もしかしたら連れてこい、と言われるかもしれないと彼女に言ったところ、「第二王子殿下にお会いする?! 無理だってぇ〜倒れる自信しかないよっ。絶対粗相するからイヤ〜!」と言い放ったらしい。

 ちなみにアシュリーは彼女と話した事はないが、学園の木の根元に生えている雑草を見て、怪しい笑い方をしているのを何度か見かけた事がある。そんな彼女とアルスとの接点があった事に最初は驚いたが。

 

 とにかく、婚約話に驚愕して(と言っても、二度目になるのだが)呆けているサイラスの背中を押して、アルスは扉に向かう。

 扉に手をかける前に、彼はアシュリーへと振り向いた。

 


「では、アシュリー様。この後は、扉の前に居る者が待合室にご案内致しますので、少々お待ちください。また後程、案内の者が迎えに上がりますので」

「ええ、また後程」

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