第52話 面会④
まだ公に公表されてはいないが、彼が牢に入っている時点で確定事項となっている。
表向きはアレクサンドルの療養による白紙という形で発表される予定だと陛下からは聞いており、彼女が直接ここに来た理由のもう一つはこれを伝えるためだったのだ。
彼女の言葉に声が出ないのか、魂が抜けたような表情でアシュリーを見ているアレクサンドルに、大事な事であるからともう一度言葉を紡いだ。
「もう一度言いますが、婚約は白紙になりましたので」
「な……何故? アシュリー、君は僕の事を愛していただろう?! 何故そんな事に?!」
アレクサンドルは愕然とした表情で彼女を見つめるが、アシュリーは彼を睨みつけるだけで口を開かない。
「そうか、サイラスの仕業だな?! あいつが僕とアシュリーを引き裂いたのだろう?」
「婚約白紙に関しては、殿下は関わっておりません。陛下が決められた事ですわ」
「……アシュリー、本当の事を言って良いんだよ? あいつが僕たちを引き裂いたって。僕との婚約を白紙にしたくないって。そうすればまた僕とともに将来を歩む事ができるんだよ?!」
死に至る薬物ではないとは言え……毒薬を盛られた被害者が、どうして加害者を好きでいられると思うのか。アシュリーもルイサも人形ではない。二人は歴とした心を持つ人間なのだから。
その事に気がつかないアレクサンドルは、依然として叫び続けている。
「ルイサだって、僕の事が好きだろう?! 僕はアシュリーとルイサと幸せな家庭を――」
「本当にルイサさんは貴方様の事がお好きなのでしょうか?」
アシュリーは非難の目で彼を正面から見つめる一方で、その言葉にキョトンとしたアレクサンドル。
「当たり前じゃないか。見舞いに来た時も、『ありがとうございます』といつもお礼を言ってくれたし、僕を気遣ってくれていたし……幼い頃だって――」
「本当に? 見舞いに来たらお礼を言うのは、礼儀としては基本ですし、貴方を気遣うのも公爵令息だからでしょう? ルイサさんが一度でも『来てくれて嬉しいです』と言った事はありますか?」
「でも、いつも僕の事を気遣って――」
「本当に? ただ貴方の事を気遣って言っているだけだと思いますか?」
彼と交わった視線を逸らす事なく、アシュリーは彼をじっと見つめる。
盲目な彼に楔を打てればそれでいい。特にルイサは長年彼に苦しめられたのだ。彼が理想の世界で幸せなまま引き篭もるよりは、意趣返しにはなるだろう。
それにここで綻びができれば、この後の話を聞かせやすくなるとアシュリーは思う。
彼女の普段と異なる厳しい視線にたじろぎつつも、アレクサンドルは「でも、でも……」と呟いている。
「私も彼女の真意は分かりませんが、貴方の考えているような想いでは無いかもしれませんね。それに私からも言わせていただきますが……アレクサンドル様、貴方を愛した事はありませんわ」
アシュリーの言葉にアレクサンドルは目玉が今にもこぼれ落ちそうなほど、見開いている。
「嘘だろう? 君は僕を愛していたはずだ!」
「どうしてそう思われたのでしょう?」
「だって、君は目が合うといつも笑いかけてくれたじゃないか!」
「当たり前ではないですか。笑顔は相手と良好な関係を築くための処世術ですもの。誰と目が合ったとしても、相手の印象を良くするためにも、笑顔は必須です」
暗にお前だけではない、という意味を込めて告げた言葉だったが、アレクサンドルはその意味が理解できたらしい。一瞬動揺したのか、動きが止まる。だがすぐに口を開く。
「それに茶会が伸びても、次にいつ会えるかと手紙を送ってくれたじゃないか!」
「婚約者の義務ですから。アレクサンドル様、宣誓書の条項を覚えていらっしゃいませんのね。婚約者同士の交流は、最低でも月二回は行なう事、と両家で取り決めたではありませんか。万が一婚約が解消されたり破棄されたりする際に、揚げ足を取られないように取り計らっただけですわ」
それでも彼女なりにアレクサンドルの婚約者として接してきた事には違いない。もし疑惑が晴れたら、彼女はアレクサンドルと一生を添い遂げる覚悟だってあったのだから。
だが、疑惑が確信に変わった事や、その後に行われたあの行動で、今まで築いてきた信頼がマイナスにまで下がったけれど。
アシュリーを見つめている彼の唇はわなわなと震え、どこか虚だった瞳にも正気が宿る。
彼女はぬるま湯に浸かっていたアレクサンドルに冷水を浴びせ、現実を突きつけた。最初は小さな綻びであっただろうそれも、人の何倍も大きい金槌で殴りつけられバラバラに壊れてしまうほどの衝撃。
きっと彼からすれば、正気を失ったままが幸せだったのだろうが……。
ぶつぶつと「嘘だ」と呟くアレクサンドルを鋭い視線で睨んだ後、アシュリーは最後に一つだけ彼に尋ねた。
「アレクサンドル様、貴方は自分に毒を盛った人を愛せるのですか?」
彼は何も言わず俯いている。それが答えなのだろう。
「私は無理です。『愛している』と言いながら毒を盛る方とは一生相入れませんわ……それでは」
アレクサンドルは両手を地面について下を見つめているため、アシュリーの位置から表情は見えない。彼を一瞥した後、言いたいことも言い終えた彼女はこの場にいる全員へ「帰ります」と一声かけて、彼女は後ろを向いた。
それと同時にアレクサンドルが顔を上げたような気配もしたが、彼の表情にもう興味はなかった。アシュリーは小声で囁くように繰り返し呼ばれる自分の名前に返事をする事なく、牢を出るまで一度も後ろを振り返る事もなかった。
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