第51話 面会③

 彼は異常だ。そう思った。

 躾とは何か分からないが、良い意味でない事だけはアシュリーにも理解できる。その言葉を恍惚こうこつとした表情で話すアレクサンドルとまた視線が合ってしまい、背筋が凍りつく。

 だが、アシュリーは怖気付くわけにはいかなかった。彼の考えを知るために、ここまで来たのだから。


 

「……貴方様の理想とは何だったのですか?」

「えっ、アシュリー。そこから?……あー、これはまた躾直さないといけないねぇ。じゃあ一度だけしか言わないから覚えておくんだよ? 次聞いたらお仕置きだからね。……君は僕の理想を叶えるために、完璧な公爵夫人として社交界に君臨してもらわないといけないんだ。僕の理想はアシュリーとルイサに愛されながら、周囲が羨むような家族を作り上げることさ。才色兼備のアシュリーに、病弱で幼馴染のルイサ。そんな二人に愛される僕、最高じゃないか」

「そのために、ルイサさんに薬物を?」

「勿論。ルイサには病弱な幼馴染でいてもらわなくてはならないからね」



 彼の言葉は、その場にいた全員を戦慄させるほどのものだった。彼は自分の理想のためであれば、手段を選ばない人間だ。

 

 この話はルイサには聞かせられない、と彼女は思った。

 なんだかんだ、アシュリーは彼女を気に入っている。令嬢としては素直過ぎるという点は社交界では欠点ではあるが……あの歳で貴族としての誇りを持ち、家のために覚悟を決められるルイサの姿勢を評価していた。

 そんな彼女を害していたアレクサンドルをアシュリーが好きになるかと言えば、なるわけがない。

 


「素敵な話になると思わない? 彼女が病弱だと周知すれば、貴族の責務を果たせるか分からないルイサに、婚約は申し込まれない。それを幼馴染という理由で憐れんだ僕が掬い上げる……僕は慈悲深く、アシュリーは懐が深い、素晴らしい女性だと社交界に広まる」

 

 

 その野望はここで潰えているわけなのだが……その事を理解していないのか、彼の心奪われた表情は変わらない。

 


「……どうしてそこまでルイサさんに執着するのですか?」

「ああ、そう言えばアシュリーには言っていなかったね。ルイサはね、初めて会った時僕に『お兄ちゃん』と言って笑いかけてくれたんだ。……その時僕は家族のことで悩んでいてね。その笑顔に癒されたんだよ。その時に思ったんだ、ルイサを手に入れたいってね」



 陶酔した表情で目を輝かせて宣う彼に、アシュリーの背筋がゾッとしたのは言うまでもない。

 事前に聞いたルイサの話にも、ザカリーに聞いた話にも彼女が『お兄ちゃん』と呼んだ話は出てこなかった。むしろ彼女に言わせれば、「いつの間にか屋敷に来ていた存在」だと……。


 後々ザカリーにこの話を聞かせたところ、やはりルイサが彼をそう呼んだ事は一度もなかった、と言っていた。だが、その時ふと何かを思い出したのか、ザカリーは眉間に皺を寄せて呟いた。

 ――そう言えば幼い頃、ルイサがザカリーを呼んだ際に、通り過ぎた馬車が公爵家の馬車だった事がある、と。


 ……誰もが声を出さないので、この場はアレクサンドルの独壇場だ。


 

「そう言えば、ザカリーにはしてやられたよ。男爵夫妻を丸め込んで領地に向かわせるなんてさ。あの時は丁度アパタオを男爵家に送り込んだ時だったから、ザカリーまで気にしていられなかったんだよなぁ。あの男爵夫妻の息子だから、そこまで切れ者ではないと思っていたけれど……見くびっていたよ」


 

 なんて事ないように言っているが、彼の瞳には憤怒が宿っている。ルイサに異常な執着を見せる彼の事だ。ザカリーの行動は、腹に据えかねるものだったのだろう。

 怒りが治まらないのか、興奮した様子のアレクサンドルは、声を荒げ始める。



「何とかして領地の屋敷に手の者を入れられないかと画策していたら、いつの間にかルイサはしがない子爵家の嫡子と婚約。あれもザカリーの采配だと知った時には、彼に手を掛けようと思っていたのだが……彼がそのまま死ぬのはつまらないと思って放っておいたんだ。ルイサが僕の元に来れば、ザカリーへの報復になるかと思ってね。その時にルイサには公爵夫人という役は重いと言う事にも気づけたから、まあ良かったのかもしれないけど。あ、そうそう。その後にアシュリーを見たんだよ。第二王子殿下が主催した顔合わせのお茶会。あれで君は僕のことを見つめていたでしょう? その時視線も合ったし、ニッコリと微笑まれたから……きっとアシュリーが一目惚れしたんだと思って、婚約を申し込んだんだ」



 怒り狂っていたアレクサンドルがアシュリーの話で急に満面の笑みに戻る。

 表情の変化も気味が悪く感じるのだが、それ以上に理解し難かったのは、アシュリーがアレクサンドルに一目惚れした、という話。


 あの日の事はよく覚えている。

 サイラスが主催したあの茶会――表向きはサイラスの勉強のため、そして学園入学前の令息令嬢たちの顔合わせと称して開かれたものだ。だが、本音を言えば王太子殿下の治世を支える有能な人物の発掘のために開かれたお茶会だった。王太子殿下がサイラスの観察眼を評価していたからだ。


 あの時、トールボット公爵家の嫡子が来ると周囲の令嬢が色めき立っていた。婚約者がいない公爵家の嫡子、結婚すれば公爵夫人――令嬢からすれば、優良物件である。

 アシュリーはその時までにアレクサンドルと会った事はなかったため、少々どんな人なのか気になって一瞥したのだが、その時彼と偶然目が合ったのだ。アシュリーの周囲には多くの令嬢がいた事もあり、目が合ったのは気のせいだと思っていた。

 その後も彼の話になった時、話の流れで周囲の令嬢とともに何度か彼の方向を見ていたが、毎回彼はこちらを向いていたので誰か気に入った令嬢でもいるのかとその時は考えていたが……まさかアシュリーが彼に一目惚れしたと捉えられているとは思いもしなかった。

 正直微笑んだかどうかは記憶にない。茶会だからと笑みを湛えていたので、それの事を言っているのかもしれないが。

 

 結局、彼はアシュリーの恋心を利用して、自分の思うがままに操ろうと画策していたという事だ。まあ、そもそも前提として、アシュリーはアレクサンドルに恋心を抱いてはいないのだが……。

 後方で聞こえる殴る音の間隔がだんだんと狭まっていく事を感じていたアシュリーの眉間には僅かではあるが皺が寄っていた。だが、続く言葉で彼女の皺は更に深いものになる。

 


「最初はアシュリーとも良い関係だったけど、僕がルイサを優先するにつれて君が嫉妬をするようになっただろう? だから僕はアシュリーにお仕置きをしたんだ」

「もしかして……約束していた外出や茶会を取りやめていた事でしょうか?」

「そうだよ! 僕はルイサの事も愛しているけれど、アシュリーの事も愛しているんだ。その愛を疑うなんて、公爵夫人としてあってはならない事。だから君がもっと僕に縋り付くように、わざと君との予定に見舞いを被せるようにアパタオに指示したのさ。時には中止の連絡を遅らせる事で、僕の心がアシュリーから離れている事を暗に示したんだ。それを何回か繰り返しても、君は僕に『会いたい』と手紙を送り続けただろう? それほど僕に縋るという事は、君が僕を愛している証拠だと思うんだ」

 


 アシュリーは絶句する。彼の話が全く理解できないからだ。

 いや、正確に言えば言葉の意味は理解できるのだが、どう考えたらそのような結論に達するのか、それが理解できなかった。

 

 アシュリーがそのように手紙を送っていた理由はふたつ。ひとつは禁止薬物の捜査を進展させたい、という点。

 

 残りは婚約者としての義務という点だ。

 

 婚約する際に両家で作成した宣誓書の内容の一つに、お茶会やお出掛けのような婚約者との交流については、仲を深めるために月二回は最低でも行う事、という条項が組み込まれているのだ。


 宣誓書とは婚約する際の条件、婚約を破棄もしくは白紙に戻す場合の慰謝料など様々な決まり事が盛り込まれているため、万が一アレクサンドルが彼女へ婚約破棄を突きつけた際、揚げ足を取られないようにするために送った過ぎない。

 アシュリーが本気で彼に恋慕を抱いていたらまた違うのかもしれないが……。

 

 自分の常識がおかしいのだろうか、と一瞬考えたアシュリーは隣にいるアルスをチラリと見る。しかし彼も眉を顰めながら目を細めてアレクサンドルを見ていることから、理解できない

 

 ルイサもアシュリーも彼に目を付けられたのが運の尽きだったのだ。いや、むしろアシュリーに関しては他の令嬢が犠牲にならなかった事を喜べば良いのかもしれないが。

 それが彼の捕縛に繋がっているのだから。


 唖然とするアシュリーたち。その雰囲気に気づかないアレクサンドル。彼の言葉は更に熱を帯びていく。



「それに君は今でも僕を愛しているのだろう? さあ、そろそろ今までの怒りは水に流して、僕と幸せな家庭を築いていこうじゃないか」



 牢で数日過ごしたとは思えない、学園に居た時のような爽やかな笑顔で、アレクサンドルは牢の中からアシュリーに向けて手を差し出した。

 彼の表情には一点の曇りもなく、まるでそれが叶うのは当たり前であると言わんばかりの表情だ。


 息を呑んでいたアシュリーは、彼の表情を見て我に返る。そして彼女は彼の手を冷淡な目つきで一瞥し、その視線をアレクサンドルに送った。

 

 

「それについてですが」



 彼の言動に沸々と怒りが湧いてきたアシュリーの声は、思った以上に凄みがあった。

 自身の出した声に驚いたアシュリー。だが、驚いたのは彼女だけではなかった。アルスも含めた護衛たち、筆記官、そして目の前にいるアレクサンドルまでもが目を点にして彼女を見ていた。

 


「貴方との婚約は白紙になりましたの」

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