第42話 態度
茶会から2週間ほど経った頃だろうか。
相変わらずアレクサンドルはアシュリーと頻繁に会おうと時間を合わせている。以前の態度はなんだったのか、と思うほどアシュリーは彼に溺愛されていた。
周囲も彼の溺愛ぶりに頬をゆるめており、二人を微笑ましく温かい目で見る者が多くなっている。
今日もアシュリーは門を背にしながら侍女からハンカチを受け取った後、いつものように屋敷の玄関で執事から鞄を受け取ろうと手を差し出す前に、彼女の鞄に触れる者がいた。アシュリーが手の方を見上げると、そこにいたのはアレクサンドルである。
「おはよう、アシュリー。今日も美しいね」
「おはようございます、アレクサンドル様。ありがとうございます。アレクサンドル様も素敵ですわ」
「はは、ありがとう」
アシュリーの言葉にアレクサンドルは爽やかに微笑んだ。
あの冷遇はなんだったのか、という程彼とのお茶会以降、アレクサンドルの態度は変わった。
学園のある日は毎日このような光景が続いており、周囲はまるで人が変わったかのようにアシュリーを構う笑顔の彼を見て、絆されたり顔を赤らめたりする者が多い中、ルーシーを含んだ数名の使用人たちは彼に厳しい視線を送っている。
アレクサンドルはそんな視線など全く感じていないのか、満面の笑みでアシュリーを見ているが。
「今日は君の鞄を持てて光栄だ。最近はアシュリーが受け取ってばかりだったからね」
「私の物ですもの、自分で持てますのに……」
「婚約者なんだから、それくらいさせて欲しいな」
そう言ってアレクサンドルは執事から鞄を受け取ると、アシュリーに微笑み手を差し出してくる。その手にアシュリーが手を乗せて公爵家の馬車で学園に向かうのが、最近の朝のやりとりであった。
馬車の中にはアレクサンドルとアシュリー、そして公爵家と侯爵家の侍女が一人ずつ乗っている。ちなみに一人はルーシーだが、空気のように振る舞っている為、実質会話をするのは二人だ。
最初こそ会話は少なく穴が開くほど見つめられていたアシュリーだったが、数日も経てばアレクサンドルがアシュリーに話しかけてくるようになった。話題は多岐に渡り、アレクサンドルからの質問も増えたため、婚約者同士の会話に近付いているのではないかな、とアシュリーは思う。
居心地の悪さが解決し胸を撫で下ろしたのも束の間。
問題が解決したと思えば、また更なる問題が発生するとよく言われるが、アシュリーにも新たな問題が発生する。最近アレクサンドルがアシュリーに触れようとする事が多いのだ。
婚約者とは言えまだ乙女である彼女は、淑女として過剰なボディタッチは避けている。もちろん、アレクサンドルも公衆の面前で無闇矢鱈に触れようとはしないが、二人きりの空間では彼女の髪や頬、手へと頻繁に触れようとするのだ。
幸いルーシーがさり気なく節制しているので、必要最低限のエスコート以外触れられた事はないが。
学園に着き、馬車から降りればルーシーは周囲からの羨望の眼差しを感じ取る。
確かに二人は美男美女、アレクサンドルは令嬢たちから爽やかで優しい絵本の中に登場する王子だと称されるほど。
一方のアシュリーは礼儀作法ともに素晴らしく、侯爵家を継ぐほどの頭脳を持つ。勿論、彼女を妬む令嬢もいるが、大多数の令嬢たちは彼女を慕っている。令息たちから見れば高嶺の花。
そんな人気の二人が仲睦まじく連れ立って教室に向かうのだ。羨望の眼差しが多いのも頷ける。
こうしてアレクサンドルがアシュリーの教室まで送り、彼女が教室に入った後は「アレクサンドル様と仲がよろしいですね」と恋愛話が好きな令嬢たちと軽く話をするまでが朝の一連の流れとなっていた。
昼休憩の時間になると、アシュリーが朝用事があると話をした時以外は、必ずアレクサンドルが教室まで迎えに来る。そして食堂や外のガゼボなどで一緒に食事を摂る事になった。
彼も生徒会役員の一人なので多忙な筈なのだが、本人曰く休講時間に生徒会の仕事は終わらせているらしい。昼休みも一度他の役員の方が確認のために聞きに来たくらいだ。
心配になったアシュリーが、同じ教室にいる生徒会役員の生徒に聞いてみた事もあるが、仕事は回っているとの事だ。やはり彼は非常に優秀である。
昼休憩が終われば、その後は放課後になる。
帰りも公爵家の馬車で帰る事を昼休憩の時に約束するため、大体アシュリーは図書室で本を読んでいる。長くても二時間ほどでアレクサンドルが迎えに来て共に帰るを繰り返していた。
アレクサンドルの接触は学園だけではない。週に学園には二日ほど休みの日があるのだが、どちらか一日はアシュリーとの外出やお茶の時間を取るようになった。
今週は休日の一日目に、アシュリーはアレクサンドルと会うことになり、昼過ぎよりサンタマリア侯爵家で果物茶の試飲会をしようと約束をしている。
今回アレクサンドルから外出という案もあったのだが、アシュリーが「宜しければ」と侯爵家に誘っていた。その理由のひとつは、トビーとエディーの依頼によるものだ。
あの後諜報員が調査をしたところ、黒薔薇の裏、土の下にハイドレンジアと同じような地下へ繋がる階段を隠した入り口が隠されていたのを発見した。
階段を降りると短い通路の突き当たりに扉が一枚あった。残念ながらハイドレンジアの時とは違い、そこは鍵が必要だったのである。
調査の結果、鍵はアレクサンドルの部屋に保管されている事が判明した。地下の扉の鍵は、彼が愛用している机の鍵付きの引き出しに入っていた。そこで使用人として潜入していた諜報員の中に鍵開けが得意な人物がいた為、その者の手によって鍵を複製する事ができたのである。
そして本日、公爵夫妻もアレクサンドルもいないこの日を狙って、アシュリーは侯爵家でアレクサンドルを足止めする役目を負っていた。足止めするだけなら、馬車で外出するのでも良かったのだが、やはり対象は一箇所に足止めできていた方が把握しやすいし、急に帰宅となったとしても、時間も把握しやすく対応しやすいため、屋敷を選んだのだ。
それに今回は、アレクサンドルが「果物茶のオレンジ以外を飲んでみたい」と言ったからである。
以前の茶会で果物茶を用意してから興味を持ったらしい。彼の要望もあり、エディーから貰っていたリストを参照して、アシュリーも彼に合いそうな紅茶をいくつか用意していた。
アシュリーが用意した果物茶を全部試飲し終えたアレクサンドルは、非常に満足そうな表情でお菓子に手を伸ばしていた。
クッキーやケーキ、サンドイッチなど、アフタヌーンティー用に沢山の種類のお菓子や軽食が置かれていた。彼がよく手を伸ばしていたのは、焼き菓子ではクッキー、そしてサンドイッチだ。甘すぎる物は少々苦手らしい。
次に活かせるようにと頭に叩き込んでいた時、紅茶を注ぎに来たルーシーと目が合う。その瞬間彼女はアシュリーに向けて瞬きを素早く二回行った。
全てが終わったという合図だ。
アシュリーはルーシーに微笑む。そして最後の試飲用の紅茶を飲み終えていたアレクサンドルに声をかけた。
「アレクサンドル様、本日用意した中で好みの果物茶はございましたか? 宜しければ、茶葉を包んでおきますが」
「うーん、そうだね。やっぱりこの前アシュリーに出したオレンジが良かったかなぁ……アシュリーも、オレンジが好きなんだろう?」
「はい」
「なら、オレンジの茶葉を包んでくれないか? あれから何度か飲んでいて、もう無くなりそうなんだ」
「そうでしたか。オレンジの茶葉でしたら、沢山ございますから、多めに用意しましょうか?」
「いや、他のと同じで良いよ。無くなったらアシュリーに会う口実が作れるからね」
「ふふふ、お上手ですね」
二人の時間はまだまだ続く。その姿は周囲から見ても仲睦まじい婚約者同士にしか見えない。
穏やかな時間はどんどん過ぎていき、途中から黒いローブの男性がこちらを遠くから見ていたのだが、二人はその事に気づかなかった。
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