第40話 優しさ
サラの屋敷から帰宅後。
外着から部屋着に着替えた後、アシュリーは自室のテーブルで紅茶を飲んで一息ついていた。
目の前には切り分けられたパウンドケーキが二切れと、一通の手紙が置かれている。アシュリーはケーキを一切れ掴むと、それをゆっくりと味わった。
このケーキはワイト家で渡されたものだ。これが殿下から託された謝罪の品だった。
ワイト夫人の言葉を聞いた時、アシュリーの頬が熱を持った事に気づいたのはきっと夫人だけだろう。
ケーキにはこの国の特産であるドライフルーツがふんだんに使われている。アシュリーがフルーツを好んで食べている事を知っているからこそ、サイラスはこれを選択しているはずだ。
普段であれば味わいながら楽しく食べているのだが、今は味を感じる余裕がない。彼女が気もそぞろになっているのは、ワイト伯爵夫妻から見せられたあのネックレスが頭にちらついてしまうからだろう。
アシュリーは自室に誰もいないからと気を抜いていた。普段であれば椅子の背もたれに寄りかかる事はないのだが、この時は体重を背もたれに預けていた。そして天井と壁の境目に視線を送りながら、手に持っているお菓子をちぎりながら次々に口に放り込んだ。
一切れを食べ終わり、口の渇きを覚えた頃。
ティーカップを手に取ろうと、椅子の上で無意識に目を瞑りながら体勢を整える。そしてティーカップに手を伸ばしたところ、目の前に見知った顔が見えた。
「お兄様、ここは淑女の部屋ですわ。ノックしてから入ってくださる?」
「ははは、たまには良いだろ」
「たまに、ではありません。毎回の間違いですわ」
「あー、悪いな。つい驚かしたくなってしまってな」
「……お兄様」
冷めた目でじろり、と睨むとエディーは慌ててアシュリーに謝罪した。穏やかな彼女ではあるが。怒らせたら怖い。これが公爵家全員の共通認識であるからだ。
「アシュリーは真面目すぎるんだ。もう少し俺のように気楽に生きてみたらどうだ?」
「お兄様はもう一度礼儀作法を学び直してみては?」
「流石にそこまでは……え、本気か?」
困惑顔の彼女にエディーは目を丸くした時、彼の後ろから執事が現れる。そして彼はアシュリーの冷めた紅茶の入っているティーカップを回収しながら、彼女に声をかけた。
「僭越ながら、アシュリー様。エディー様の話には事実と異なる箇所がございます。訂正してよろしいでしょうか?」
「ええ」
「まずエディー様は本日、扉をノックされてからアシュリー様の部屋へとお入りになっております」
彼の話によるとエディーは帰宅後に自室で着替えた後、彼を伴ってアシュリーの部屋の前へと来たらしい。そして扉を数度叩いたのだが、中から反応が返ってこない事に首を傾げたのだとか。
寝ているのかもしれないと、ルーシーを探し出し状況を確認すると、アシュリーには部屋着を着せて出たという話が出た。アシュリーは就寝する際、部屋着から就寝着に必ず着替えて寝る習慣がある。つまり、今起きている可能性が高いということだ。
外出した様子もなく返事が無いという事は、考え込んでいるか、意識を失っているかのどちらかになる。何かあったのではないか、とエディー、ルーシー、執事の三人で部屋に入ったというのが事実だったらしい。
「お兄様! 事実と違うではありませんか」
「まあ、返事が無い状態で入った事には変わりないからなぁ」
そう言ってアハハ、と笑うエディーを細い目でじっと見つめるアシュリー。エディーは彼女のその視線に気づき、にっこりと笑う。
「気分転換にはなっただろ?」
そうニンマリ笑う兄に、アシュリーは目を大きく見開いた。エディーは彼女の憂いに気づいていたのだ。その事に気づいたアシュリーは「ありがとうお兄様」と呟いた。
その後エディーは「じゃっ、また後で」と言って、パウンドケーキをひとつ手に取ってアシュリーの部屋を退出していく。
扉が閉まるとアシュリーはカーテンを開けて窓の外の様子を伺う。太陽は真上から少し沈んだ位置で燦々と輝いている。ここから報告書に取り掛かれば、夕食前には纏め終わるだろうとアシュリーは考えた。
あのネックレスの事は頭の中から消える事はない。だが、目の前の問題を片付けなければどうにもならないのだ。彼女は力強い歩みで執務室に向かった。
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