第38話 贈り物

 その後話は学園の事に移り、慣れからか顔色が良くなったルイサへ二人は様々な事を話した。途中で、申し訳なさそうに質問をしてくるルイサに笑顔で対応しながら、楽しい歓談の時間をとっていた。

 だが、楽しい歓談も終わりの時間がやってくる。サラの執事であるアルから声をかけられたアシュリーは、サラに依頼していたカップを渡すよう指示した。

 

 このカップは表向き、事前に連絡せず茶会へと参加した事への詫びとしてルイサに手渡すよう、サラに手配してもらっていた。確実に彼女の手に渡るように、サラの分の贈り物も用意してある。

 サラがアシュリーから贈り物を受け取れば、ルイサは拒否ができないだろうと見越してだ。


 実はルイサのカップだけ、同じ模様のカップをもうひとつ作ってある。禁止薬物が混入しているか確認する際に使用する可能性があるからだ。

 ルイサに薬物が使われているのかどうか、確実な証拠を得るために受け取ってもらう必要があるため、回りくどいが、これで使用の証拠も取れるに違いない。

 

 最初ルイサは戸惑っていたが、サラが受け取っていた事もあり、すんなり手に取ってくれた。だが彼女が受け取った際、顔が強張るのをアシュリーは見た。男爵家ではあまり使わないような高価な物だと感じたのだろう。

 使ってもらわなければ意味がないので、飾っておこう、と言い出さないようアシュリーは笑って告げた。

 


「ルイサさん、良ければそのカップは使ってあげてね。保温性に優れているそうだから、温かい物を入れると良いと思うわ」

「は、はい!」



 何やら考えているようだが、きっと「温かい物=寝る前のミルク」へと思考を誘導できたはずだ。もしそれ以外の用途で使うようであればヴェリタスに協力を仰ぐ必要があるのだが、きっと彼女はミルクを入れるのに使ってくれるだろう。

 ルイサは今寝る前に使用しているカップを愛用しているのだが、少々欠けた部分があると報告に載っていた。そこに新しいカップだ。変えない理由がない。


 アシュリーはニコリとルイサに微笑んで、その部屋を後にした。




 アシュリーは先程待機していた部屋で、ルイサとザカリーが共に帰っていくのを、紅茶を飲みながら見ていた。元々彼女も本当は帰宅する予定だったのだが、執事のアルに引き留められたのだ。伯爵夫妻からお礼がある、と。


 ザカリーはワイト伯爵夫妻に根掘り葉掘り聞かれたのか、どことなく疲れているようだ。一方で、アシュリーへと謝罪をしたルイサの顔は吹っ切れたのか、笑顔である。

 彼女はザカリーに駆け寄って、疲れている彼を労っている様子を伺うことができる。


 二人はサラに見送られて背を向けて屋敷の門を潜っていった。この後、ルイサの話をまとめて報告を、と思ったアシュリーが頭の中で整理をしていたところに、伯爵夫妻が現れた。

 ワイト夫人はアシュリーのところに足早にやってきて、彼女をギュッと抱きしめる。


 一瞬驚きはしたが、幼い頃にも何度かこのような事があったので、アシュリーも慣れっこだった。



「アシュリーちゃん、本当にありがとねぇ!」

「いえ、お二方のお役に立てたのなら幸いですわ」

「ほーんと、助かったんだから! またあれが食べられるのを楽しみにしないと……あ、サンタマリア家へ優先的に送っても良いわっ」



 嬉しさからか、夫人の手の力が段々と強くなっていくのが分かる。顔は豊満な胸に押し付けられているため、すでに口は塞がれてしまっている。もう少しで鼻も塞がれてしまう可能性があり、アシュリーはこの現状をどう伝えようか、目を細めて考えていた。

 そんな彼女を助けたのは、ワイト伯爵だ。

 

 

「こら、メアリー。アシュリー嬢を離してあげなさい」

「あ、アシュリーちゃんごめんなさい!」



 その言葉と同時に、背中に回っていた夫人の腕はパッと離れ、助かったような……あの温もりが懐かしく思え、少々離れ難いような……アシュリーはそんな複雑な気分である。

 そんな気分を隠し、ワイト伯爵にお礼を言う。



「伯爵様、ありがとうございます」

「あのままだと窒息してしまう可能性があったからね。無事で良かった……メアリー、すぐに抱きつく癖は直しなさいとあれ程言っただろう?」

「直しているわよ! 今は娘息子たちとアシュリーちゃんにしかやらないわよぉ。それに、何かあったら貴方が止めてくれるでしょう?」

「……分かった」


 

 自由な夫人に頭が上がらないのか伯爵は額に手を当て、ため息をつく。その様子を見てニコニコと微笑んでいる夫人は本当に楽しげだ。アシュリーは思った。私も家族の中に入れてくれるのか、と。その事実がくすぐったい。


 満面の笑みの夫人に背を向けた伯爵は、アシュリーを座らせ、扉に控えていた執事に合図を出す。彼は一礼するとすぐに部屋を出ていった。


 

「いやあ、本当に何度も申し訳ない。ザカリー君と有意義な商談ができたのは、アシュリー嬢の協力があってこそだ。助かった。婚約中は私たちの商店に頼らず、自分で販路を拡大してみなさいと話していたからか、ザカリー君は本当に自分で販路を開拓しようとしていたよ。ははは」

「拡大してみなさいではなく、それが条件でしょう? ザカリーくんはよく頑張っているわ。 貴方の無茶振りもきちんと対応して……彼が多忙だったのは、半分は貴方のせいですからね? 本当に……危うく素晴らしい商品を取り逃すところでしたわ〜おほほほ」

「うっ」


 

 夫人の言葉に顔が蒼白になる伯爵と、首を傾げているアシュリー。夫人は伯爵が原因である理由を教えてくれた。


 元々伯爵は可愛い末娘であるサラをアゲット家に嫁がせるつもりはなかった。数年間婚約し、その間にアゲット家の領地内に何人かワイト家の手の者を送って、裏でワイン事業を立て直せば良いではないかと考えていた。

 少々グレーゾーンではあるが、爵位奪還というわけではなく、むしろテコ入れよりその領地の特産品が持ち直した事例も何度かあった。そのためより領地が栄えるからと王家も黙認しているからこそ、アゲット家のザカリーとの婚約も許されたのである。

 

 だが、思った以上に彼がやり手だった事、サラがザカリーを好ましく思い婚約を解消したくないと直談判した事、それを夫人が応援した事で、初めは公表されていなかった婚約も伯爵の知らぬうちに周知されてしまう。

 末娘と夫人の策略に敗北した伯爵は、悔し紛れにザカリーに条件をつけたのである。それが、商会の販路を最初から使用しない事、だった。

 サラも夫人もその事に反対したが、伯爵が意見を曲げなかった事と、ザカリーがその条件を呑んだために結ばれたのだ。

 


「私たちは反対致しましたよね?」



 満面の笑みで詰め寄る夫人に、たじたじとする伯爵。アシュリーは夫人の外に出さない意外な一面を見て、確かにサラと性格が似ている、と考えていた。

 サラもザカリーを尻に敷くのだろうか……と二人の将来を予想していたところに、助けを求めるかのように伯爵が口を開いた。



「それよりもメアリー。依頼されていたアレの件を話さなくては」

「あら、そうね。それを先にしましょう。……また後でお話し合いを致しましょうねぇ?」

「……分かった。せラス、こちらに持ってきてくれ」 

「畏まりました」



 先程部屋を出ていった執事は、手のひらふたつ分ほどの長さの箱をお盆に乗せたまま、アシュリーと伯爵の前にあるローテーブルの上にお盆を置いた。

 その箱は縦長で水色の包装紙に包まれており、深い青色のリボンで結ばれている。


 

「こちらは……?」

「アシュリー嬢、先程呼び止めたのは、これが本題だからだ。これはある方から貴女へ見せるよう依頼された物だ」

「……そして贈り主から、私たちの目の前で君に贈り物を開けてほしい、と言われている。誓って、この箱自体に仕掛けはないから安心してほしい。用意したのは私たちだからな」



 そう言われたアシュリーはここで開けることを了承し、青いリボンに手をかけた。そのリボンは非常に触り心地がよく、サファイアのように深く鮮やかな青を見てあの方の瞳のようだ、とアシュリーは思った。

 

 リボンを解き蓋を持ち上げると、見えたのはネックレスである。そしてそのネックレスのトップには、宝石サファイアが埋め込まれている。

 思わずアシュリーは「サファイア」と呟き、はっと顔を上げれば、そこには真剣な顔をした伯爵と満面の笑みを湛えている夫人がいた。

 誰が用意した物かは一目瞭然である。だが、自分の目が信じられない彼女は伯爵へと視線を送る。

 


「これは……」

「ふふふ、これ以上は何も言えないわ」

 


 回答は伯爵、ではなく夫人から返ってくる。

 この宝石……サファイアは第二王子殿下の瞳の色を例えた物である。王族は瞳の色を宝石に例え、婚約者に贈るという風習が残っていた。

 自分の瞳の色を贈る――つまりは求婚の意を示すのだ。


 アシュリーはすぐに夫人と視線を合わせるが、夫人は笑っているだけだ。

 アシュリーにこれを見せる意味――つまり。


 

「アシュリーちゃんも分かっていると思うけれど、この宝石はサファイアねぇ。……本当に独占欲が強いお方だこと」



 文末が小声で夫人がなんと言ったかアシュリーは聞き取れなかったが、婚約者でないアシュリーが受け取って良いような物ではない。そもそも見るだけで受け取るものではない、と言っていた事を思い出して胸を撫で下ろす。

 

 アシュリーは何も話さない伯爵夫妻の前で箱を閉じ、そして元あったように包装紙とリボンを結ぶ。元通りとまではいかずところどころ歪さはあるが、及第点だろう。

 


「お渡しになるのならば、きっと喜ばれるでしょう、とお伝えください」

「ふふ、貴方」

「ああ。アシュリー嬢の言う通りだ。そう伝えておく」



 お盆に乗せられたままの贈り物は別の部屋に保管されるらしく、伯爵の指示によりお盆ごと部屋から持ち出される。

 執事に持ち出される箱を少し名残惜しく思いながらも、アシュリーは二人に向き直ると、夫妻は満面の笑みで彼女を見ていた。

 


「あの、伯爵様。贈り主の方にもうひとつお伝え願いたいことがありまして」

「何かな?」

「大切な方への贈り物を他人に見せる事は宜しくないのでは、と」



 そうにっこりとアシュリーが告げれば、一瞬目をぱちくりさせていた伯爵夫妻も声をあげて笑っていた。

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