第36話 対面

 あと十数歩のところでガゼボに着くであろう距離から、アシュリーはルイサの様子を観察しながら歩いていた。彼女は先程のほぐれた表情が、いつの間にか硬くなっている。表情だけではなく、身体が微動だにしないところを見ると、サラと二人になって緊張を感じたのかもしれない。

 そう思いながら、二人に近付いていたアシュリーは会話が途切れた時を見計らってサラに声をかけた。

 

 

「サラ、そのお嬢様がザカリーさんの妹様かしら?」

「はい。アシュリー様、お待ちしておりました」

 


 サラが立ち上がり、私に礼を執る。隣にいたルイサは呆然としながらも、アシュリーが誰か理解できたのか慌ててサラと同様に礼を執っている。

 アシュリーは二人に声をかけ、頭を上げるように伝えてから名乗った。

 


「私はアシュリー・サンタマリアと申しますわ。どうぞよしなに。妹さんのお名前を伺っても?」



 彼女が声をかければ、ルイサの肩がぴくりと小さく跳ねる。アシュリーがこの茶会に現れたのが相当驚いたのか、目を見開いている。

 もしかしたら頭が混乱しているのかもしれない。彼女はアシュリーの言葉を呑み込むのに時間が掛かっていた。それを咎めるつもりはなかったので、彼女は微笑んでルイサの返事を待つ。


 

「っ……私はルイサ・アゲットと申します。お目に掛かれて光栄です」



 少々震えながらもぺこりと頭を下げる様子は、まるで小動物のように可愛らしい。なんとなくアレクサンドルが庇護したくなるのも、アシュリーは分かるような気がした。

 だが顔を上げた後、彼女は背筋を伸ばして微笑んでいるのを見て、アシュリーははっと息を呑んだ。彼女は庇護されるだけの令嬢ではない事に気がついたからだ。


 俄然楽しくなってきたアシュリーは、微笑んでサラに話しかける。数度の話し合いの後、事前の打ち合わせ通り三人はサラの部屋へと向かう事になったのだった。

 



 

 

「サラの部屋に入るのは久しぶりね」


 サラの部屋に入って、開口一番アシュリーは声をかけていた。数年前までは何度か入っていたその部屋は、今や本棚に埋め尽くされていた。本棚には経済、法律、地理、歴史……もしかしたらアシュリーの家にも置かれていないかもしれない認知度の低い専門書まで、所狭しと置かれている。

 部屋を見回していた彼女にサラは手を口に当てながら微笑んだ。

 

 

「最近は学園でお会いする事が多いですからね。少々散らかっておりますが……」

「ふふふ、そんな事ないと思うわよ」

 


 彼女たちは丸型のテーブルの奥に座る。あとから入ってくるルイサに扉側の一番近い席に座ってもらおうと思っていたからだ。

 少々気後れしているであろう彼女は、扉から部屋の中に入るのを戸惑っているようだ。そこはすかさずサラが助けを出した。

 恐る恐るルイサが椅子に着くと同時に、侍女が全員のティーカップに紅茶を注ぎ、ポットをテーブルの上に置いて一人を残して足早に部屋から出ていく。

 

 サラの勧めでアシュリーは紅茶で一息ついていた。ここは彼女からすれば、すでに敵陣。緊張している彼女は気づいていないかもしれないが、アシュリーに対する警戒からか視線がよく動いている。彼女がどう出るか分からない恐怖がそうさせているのだろう。

 声をかけて彼女の警戒が解けるとは思わなかったが、アシュリーはなるべく柔らかい口調でルイサに話しかけた。



「……ふふ、そんなに強張らなくていいのよ? 今日は少々貴女にお聞きしたい事があって、サラに調整をお願いしたの。だからここからは、話すのに私の許可は取らなくていいわ。そして出来たら本音で話して頂けるかしら? 私もそのようにさせてもらうから」



 その言葉にルイサの目は点になっていた。彼女は大分素直な子のようで、すぐに何かを決意したのか、点だった目に光が宿る。

 

 

「お気遣いありがとうございます……そのように致します。早速お言葉に甘えてしまい、申し訳ございませんが、先に私から一言宜しいでしょうか?」

「どうぞ」

 


 物怖じしない積極的な様子にアシュリーは驚いたが、その動揺はすぐに隠す。だが、彼女は知らなかった。了承を得た彼女が次にどんな行動をとるのか、が。


 アシュリーは感情の動きを隠すべく、瞬きを2回する。だがその短時間で、目の前にいたルイサが消えた。


 思わず目を見張ったアシュリーだったが、彼女を見つける事ができない。ルイサが土下座をしている事に気づいたのは、彼女の声が下から聞こえたからだった。



「サンタマリア侯爵令嬢様におきましては、トールボット公爵令息様の件で多大なるご迷惑をおかけ致しまして、誠に申し訳ございません! 如何なる処罰もお受けいたします!」



 サラは隣で目を大きく見開いて、息を呑んでいる。

 アシュリーも彼女のこの行動に呆気に取られていたが、すぐに彼女を立たせなければ、と焦って声をかけた。



「ルイサさん、謝罪は受け取りますわ。……謝罪は良いので、椅子に座って下さいませ。それと、私の事はアシュリー、と呼んでくださいまし」

「ですが……私は……」



 呆然とこちらを見上げているルイサに、アシュリーは笑いかけた。

 アレクサンドルの婚約者であるアシュリーに、罵られるとでも思ったのだろうか。いや、聡い彼女の事なので、それ以上の罰を受けるであろうことも予想してのことだろう。

 

 顔面蒼白で震えているルイサは覚悟を決めているだ。アシュリーはそれに応えたいと思う。


 

「貴女の気持ちはあの謝罪で理解できますわ。それに……今回の件は貴女だけに責を負わせるものではないと私は思っておりますの。貴女が私の婚約者についてどうお思いなのか、椅子に座って落ち着いて話して下さいませ」

「サンタマリア侯爵令嬢様……」



 少しずつではあるが、彼女の頬に赤みが差す。

 彼女は素直で純粋なのだ。焼却炉に兄宛の手紙が持ち込まれていても……確実に内部の者の仕業であると理解していても、最後まで葛藤していた彼女にアレクサンドルは勿体無いと思う。

 

 

「ふふふ、アシュリーですわ」

「承知しました、アシュリー様……ありがとうございます」



 そう言って彼女は立ちあがろうとするが、まだ震えが止まらなかったからか、倒れそうになってしまった。危ない、と思い手を差し伸べようとしたが、その前に彼女を支えた人がいた。


 ――よく見れば、それは黒ローブを着たヴェリタスだ。


 彼の瞳には、彼女を思い遣る視線が送られている。彼は仕事に感情を持ち込まない性格の人物だと聞いていたが、ルイサとザカリーに対しては思うところがあるようだ。

 彼の将来を兄に相談するのも良いかもしれない、と、アシュリーは後で兄に相談しようと決めた後、彼にお礼を伝える。


 ヴェリタスは彼女の足に力が入っている事を確認すると、一礼して去っていく。気配が無くなったので、きっと業務に戻ったのだろう。

 目の前のルイサも申し訳なさそうな表情で椅子に座り直している。


 彼女の想いは受け取った。

 あとはアシュリーも誠意を見せなければならない。彼女は頭を一度下げ、顔を上げた後にルイサと視線を合わせた。


 

「でしたら、こちらもまずは謝罪をさせて下さい。ルイサさん、騙し討ちのような形をとってしまい、申し訳ございません。そもそも私がこの場に来る事は、貴女のお兄様にも伝えていなかったの」


 

 再度頭を下げれば、息を呑むような音が聞こえる。その後すぐに慌てたような声が彼女にかけられた。

 


「私は気にしていません!! それよりもアシュリー様、お顔を上げてくださいませ! むしろこのような機会を与えてくださった事に、私は感謝しています!」

 


 その声を聞き、アシュリーは顔を上げた。そして「ありがとう」と美しくルイサに微笑んだ。

 その表情を見たルイサが逆に謝罪しようとしたところで、アシュリーがそれを止める。「謝罪はもう充分だ」と。アシュリーは驚きからか瞬きを繰り返しているサラと、恐縮しているルイサに笑いかけながら、しどろもどろになっている彼女から話を聞いたのだった。


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