第33話 Ep サイラス
アシュリーがソファーに身体を預けて休憩している頃。
エディーは木で作られている短刀、サイラスは木刀を手に向かい合っていた。これまで二人は3回戦っているのだが、全てエディーが圧勝している。
サイラスは鋭い視線でエディーを睨みつけているが、普段に比べて覇気がない。まあ、先程のあの事を気にしており、気がそぞろになっているのは明白であった。だからエディーは手にしていた短刀をそこら辺にポイっと放り投げた。
その姿を不快に思ったサイラスは眉間に皺を寄せたまま、木刀を手にそのまま真正面に突っ込み刀を振り抜く。だが、それは軌道をずらされた事でエディーに当たる事なく、虚しく地面がカンっと音を立てるだけだった。
「エディー、何故短刀を投げた? 訓練は終わっていないはずだ」
「……今の殿下は集中できていないようですから。そんな方と訓練しても無駄でしょう?」
「……くっ」
彼の指摘が正論である事を理解しているサイラスは項垂れる。
サイラスはアシュリーの事を幼い頃から好きだ。
彼女と初めて会った当時……第二王子として他の貴族からは常に値踏みする視線を受けていた彼は丁度心が疲弊していた時期だった。
それが苛立ちに繋がり感情の抑え付けが限界に達したため、彼を可愛がってくれていた家族にさえ冷たい態度をとってしまっていた。その悪循環がサイラスを疲弊させていた。
そんな時に連れられて来たのが、サンタマリア家である。当時彼の苛立ちの原因に気づいた彼の両親が、学園の旧友である侯爵へ依頼したのがきっかけになり、そこで出会ったのがアシュリーだった。
彼女は最初サイラスの名前が言えない自分が悔しくて泣いているのかと思っていた。アシュリーも「しゃいらしゅしゃま、ごめんなしゃい……」としか言わなかった事もあり、当時捻くれていた彼はこの幼子も自分の事ばかり考えているのか、と泣いている彼女に眉を顰めていたのだが――。
「しゃいらしゅ、しゃ、ま……ううう……大事なお、お名前、ひっく、を、言えなくて、ごめんな、しゃい……」
目に涙を溜めてアシュリーは彼の名前をきちんと言えない事を謝った。その瞬間、溜まっていた涙が限界を迎えたらしく、いくつもの雫が頬を伝う。
目の前で涙を流すアシュリーにサイラスは何を思ったのか……それは彼自身にも分からないが、無意識のうちに彼女に視線を合わせて座った後、頭を撫でていた。
「しゃいらしゅ、しゃま……?」
「ゆっくりで良い。どうして謝っているのか、俺に教えてくれないか?」
周囲が息を呑んでいる中、アシュリーは頭に乗せられた手に驚いたのか涙が止まっていた。彼女はしゃっくりを上げながらも、ゆっくりと話し始めた。
「……おとうしゃまが言っていたの。あたしのアシュリーって名前は、おかあしゃまが何ヶ月も悩んでから付けてくれたんだって。きっと、しゃいらしゅしゃまのお名前も『こくおうしゃま』と『おうひしゃま』が一生懸命考えてつけたお名前なのに……言えなくてごめんなしゃい」
どもったり、つっかえたり、しゃっくりが出たりしながらも、アシュリーは懸命に話した。そして彼女が泣いている理由が、「大切に名づけられた名前を呼べない事」という事に気づいたサイラスは、アシュリーに心を打たれたのだ。
こんなに他者の事を純粋に思いやれる人に出会ったのは初めてだったからである。
そこからサイラスは何かと理由をつけては、表向きには当時嫡子であったエディーと会うために、サンタマリア家に足を運ぶようになった。会う時はエディーとサイラスとアシュリーの三人でお茶をしたり、身体を動かして遊んでいたりと、この時が一番楽しい時期だったとサイラスは思っている。
アシュリーが成長するに連れて、可愛らしかった彼女は段々と令嬢としての礼儀、作法を身につけ、美しい女性へと変貌を遂げていった。
茶会では、大人顔負けの知識でエディーとサイラスにも負けず劣らずの会話をこなす。それが彼女の努力によるものだとサイラスが知った時には、さらに彼女の事を好きになった。
だが、残念な事にアシュリーはサイラスの事を兄……エディーと同じようにしか見ていない事は本人も気づいていた。だから彼女を振り向かせたら婚約を申し込もうと思っていたのだ。
それをみすみすアレクサンドルに掻っ攫われてしまった上、先程の失態である。サイラスは唇を噛む。
エディーは肩を竦めて。
「殿下、我が妹が貴方を煽ってしまった事は大変申し訳ございません……ですが――」
そうエディーが言いかけたのを、サイラスは無言で手を出し止めた。
サイラスだって彼の言いたい事は分かっている。アシュリーはサイラスの恋心に気がついていない。それは仕方のない事ではあるのだが、エディーと同じかそれ以上にサイラスに対して心を許している節がある。だが自覚はないのが厄介なのだ。
あまりにも塞ぎ込んでいる彼に、エディーは言葉を止めてサイラスの肩を軽く叩く。
本当に報われないな、そんな意を込めて。
「……分かっている。後で謝罪に向かう」
「……きっと大丈夫だ」
「ああ、済まなかったな」
彼の瞳に光が戻った事に気づいたエディーは、放り投げた短刀を拾う。そして――。
「……まあ、アシュリーの隣にいたいのなら、俺を倒してからにしてもらいましょうか」
「臨むところだ」
その言葉が合図になり、再度二人は刀を交える。吹っ切れたサイラスの様子を見て、エディーは満面の笑みで衝突した。
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