第30話 依頼

 翌日。

 学園に登園したアシュリーは昼前の授業が終わると同時に、高位貴族の女生徒が利用できる談話室に入室する。

 

 迅速に行動したのは、アレクサンドルが彼女の前に現れる可能性があったからだ。


 それはアレクサンドルの今朝の行動が発端となる。

 アシュリーが屋敷を出ようと支度をしていたところ、顔を真っ青にしたルーシーが現れて「アレクサンドルが来ている」と告げられる。

 今まで彼とは馬車で一緒に登園することなど一度もなかったのだ。アシュリーが半信半疑で外に出てみれば、トールボット公爵家の家紋が描かれた馬車が止まっていた。

 

 拒否する事もできず、彼の馬車に乗って登園したのだが、彼は満面の笑みで穴が開きそうなほど、アシュリーを見つめてくるのである。

 アシュリーが会話をしようと話しかけても、「そうだね」「うん」の一言で話が終わってしまい、彼女にとっては非常に気を遣う……居心地の悪い空間だった。


 その上去り際に「また迎えに行く」と上機嫌に言われたのだ。念の為昼休みは用事があると話をしておいたのだが、あの様子を見るとこの時間に彼がアシュリーの教室へと来る可能性も否定できなかった。

 この時間だけは邪魔をされたくない、そう思っていたアシュリーは彼が現れる前に教室を後にする。


 現在アシュリーのいる談話室は男子禁制の談話室なので、アレクサンドルがここへ来る事はあり得ない。張り詰めていた緊張の糸が切れてため息をついた時、扉を叩く音が聞こえる。


 扉が開くと、サラが入ってきた。


 サラの生家であるワイト家は子爵家でありながら、この国随一の商家を営んでいるのだが、実はワイト家とサンタマリア家は非常に親密な関係を築いている。

 諜報員が潜入するに当たって、彼らにもその土地での拠点が必要となる。その拠点の役割を担っているのが、ワイト家の商店なのだ。サンタマリア家の裏の顔を知っている貴族の一人。それもあって、アシュリーとサラは昔からお互いの家で遊び合っていた仲なのだ。


 アシュリーは彼女に椅子へと座るよう伝え、側付きの侍女にもてなすよう指示をした。



「慌ただしくてごめんなさいね、サラ」

「いえいえ、私は問題ございません、アシュリー様。しかしここに来て話とは……何かご入用でしょうか?」

 

 

 サラは少々困惑した様子で尋ねてくる。

 

 アシュリーが個室で話をする時は、大体が家族の誕生日の贈り物を依頼なのである。そのため彼女から話があると、サラは事前に幾つか見繕い、話の最初に提示するのだが……彼女の父と兄の誕生日は大分先の話。サラもアシュリーが何を必要としているのか、測りかねるため、当惑しているのだ。


 サラの言葉にアシュリーは首を横に振った。


 

「今回は商品の購入ではないの。私からサラに依頼したいことがあるのよ」



 思ってもみない言葉だったのか、サラは目をぱちくりとさせている。



「依頼ですか?」

「ええ。貴女の婚約者であるザカリー殿に手紙を送って欲しいの」



 そう告げれば、彼女は納得したように頷いた。



「成程、依頼はお受けいたします。ちなみに手紙の内容は――」

「学園の噂の内容について」

「あの方のですね……承知致しました。この場で認めますか?」

「ええ、お願いするわ」

 


 アシュリーは控えている侍女に封筒と便箋をサラに渡すよう指示を出すと、すぐに彼女の前にそれが運ばれる。サラは少々思案した後すぐに筆を執ると、止まる事なくサラサラと文面を書き付けた。


 ほどなくしてサラは文面を書き上げたのか、顔を上げて便箋をアシュリーに差し出した。



「内容はご覧になりますか?」

「サラなら問題ないでしょうから、そのまま郵送をお願いするわ」


 

 これでザカリーを領地から引っ張る事ができるだろう、とアシュリーは心の中でほくそ笑んだ。彼もきっと寝耳に水の話であるはず。この手紙が届けば、事実確認のためにルイサの元を訪れ、彼女から話を聞くに違いない。

 抑止力のひとつにはなっただろうか、と考えていたところにサラから声をかけられた。



「アシュリー様、宜しければルイサ嬢と直接お会いしますか?」

 


 思わぬ提案にアシュリーは目を丸くする。

 エディーとヴェリタスの報告を聞けば、彼女は常識があるような人物であると想像はできるのだが……彼女は排除すべきかどうなのか判断するために、できるなら彼女に直接会って話を聞きたいと頭の片隅では考えていたからだ。

 そんな提案をされて驚かないわけがない。



「できる事ならお会いしたいとは思っていたのだけれど……可能なのかしら?」



 サラの話では、彼女は妹のルイサに会った事がないらしい。

 二人の婚約が決まった時期に彼女は領地で療養しており、その後もルイサと入れ替わりでザカリーが領地へと向かってしまったため、サラは彼女と対面した事が一度もないとのこと。


 一度も対面した事がないのに、彼女に会えるのかと尋ねれば、サラは笑って言った。


 

「アシュリー様、今だからです。ルイサさんは来年度より私共と同じ学園に入学致しますから、その前に挨拶をしたいとでも書き添えておくのです。それで彼が拒否する事はないかと。……それにここだけの話にはなりますが、ザカリー様は妹さんに対するご両親の教育に不満を持っております。それを利用すれば問題ありませんわ。我が家には学園に入学する前までに押さえておくべき、マナーや作法、知識の教本もございますから、そちらを貸すようザカリー様には伝えておけば、彼も賛同してくださると思います。勿論、噂の件も書き留めておりますので、王都に戻らざるを得ない状況にはできると思います」

「なら、お願いするわ」



 サラは一礼すると、すぐに便箋へと顔を向け茶会の招待の旨を書き入れる。

 確かにザカリーを王都へ来させる理由のひとつにはなる。王都に来るべき理由が複数あれば、より確実に彼が屋敷に戻る可能性が高くなるのだから良い考えだ。

 彼女の慧眼に感謝する。アシュリーの意図を理解した上で、より確実にすべく先程の提案しているのだから、彼女は素晴らしい女性だ。


 ザカリーは誠実で常識人とヴェリタスやエディーから判断されている。そんな彼が順当にサラと結婚すれば、アゲット家は安泰であろう。

 これで一歩前に進む事ができた、そう思ったアシュリーは少しだけ口元を緩ませた。

 

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