第29話 動く

 それから幾許か日が経ち、丁度この日はアシュリーの通う学園も休校日だった。彼女は屋敷にある執務室で父から任せられている仕事をこなしていたところ、トビーと計画を煮詰めていたエディーが顔を出したのである。


 アシュリーの執務室に置かれている来客用の椅子で軽い雑談を楽しんでいると、ふとエディーが上を向く。彼女も釣られて上を向いた時、彼が「降りてこい」という言葉をかけた。その瞬間、天井から黒い物が二人の目の前に落ちてくる。

 その物体は諜報員の一人らしく、二人の前で膝立ちのまま礼を執り微動だにしない。黒いフードとマントで身体全体が隠れているので、アシュリーはその人物が女性なのか、男性なのかも分からなかった。


 だがエディーはその人物が誰だか把握していた。



「ヴェリタスか、この時間に珍しいな」



 アゲット家に潜入している諜報員の名を聞いて、アシュリーは驚きから目を見開く。

 

 

「……お二方のお時間に、大変申し訳ございません。至急申し上げたい事が」

「なんだ」

「彼女が動きます」

「……動いたか」

 

 

 エディーは納得したような表情をしている。ヴェリタスの言う彼女とは、ルイサの事だろう。彼はルイサが自ら動く事を予想していたようだ。


 

「もう少し先かと思ったんだが、意外と早く動いたな」

「はい。昨日彼女が体調を崩した際に起きた出来事を受けて、男爵夫妻を見限ったようです。昨晩彼女の兄であるザカリー殿に宛てて手紙を認め、起床後ネリーという侍女に手渡しました。詳細は報告書に認めております」

「その手紙は届きそうか?」

「……残念ながら、以前のようにアパタオにより処分される可能性が高いかと思われます」


 

 表情は見えないが、ヴェリタスの声の高さが一段と低くなった。彼も不快に感じているのだろうか。

 

 彼の話を聞く限りではあるが、彼女は常識のある令嬢のように聞こえる。そんな彼女が同じく常識人である兄ザカリーに頼るのは当然の流れだ。

 

 現在男爵家の嫡子であるザカリーはアゲット領にある屋敷でストークス子爵と共同開発に勤しんでいるため、彼と連絡を取るのであれば、手紙が一番確実な方法となる。

 兄の話によれば、妹のルイサはアレクサンドルの件で一度彼へと手紙を送っている。だがその手紙は秘密裏にアパタオが処理しており、届かない手紙に疑問を持ったルイサが彼に尋ねたところ、「多忙だから」と丸め込まれてしまったそうだ。

 


「先日のアシュリーの話から、アレクサンドルは嫡子であるザカリー殿が領地で辣腕を振るっている間に、ルイサ嬢とストークス家嫡子との婚約破棄、もしくは婚約白紙を狙っているだろうと推測される。今男爵家ではそのような話が出ていないか?」

「まだ話は出ておりませんが、出てもおかしくない状況です。数日前、アゲット家のワインが王家御用達になるかもしれない、という話がアパタオによって夫妻の耳に入っております。あの者たちであれば子爵家との婚約を『病弱』である事を理由に白紙へと戻し、アレクサンドルに彼女を差し出す事もありうるでしょう」

「それができるのも、彼の邪魔をするザカリー殿が領地にいるから、という事か……彼の耳にこの話が入らないよう、現状を手紙で送る可能性のあるルイサ嬢の手紙を検閲し、問題があれば処分しているのだろうな。アレクサンドルからすれば、婚約が白紙になれば良いのだからな……」



 エディーは眉間に力が入っているのか、渋い表情で言葉を紡いでいる。その後報告を終えたヴェリタスに業務へと戻るよう伝えると、彼はアシュリーに向き直った。

 このままではアレクサンドルの思いのままになるのも時間の問題だ。あの茶会での不愉快な気分を思い出し、アシュリーも眉間の皺を深くしていた。

 思い通りになんてさせるものか、そう考えたアシュリーはアレクサンドルが今一番嫌がるであろう事をしてやろうと考えた。


 アシュリーは渋い表情から一転、満面の笑みで兄に問いかける。

 

 

「お兄様、少々ご相談がありますの。話を聞いてもらえませんか?」


 

 アシュリーの手元にあるモノを最大限利用し、彼の野望を打ち砕くのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る