第27話 庭園
彼女の思いとしては、ここで立ち去りたい気分ではあるのだが、まだそこまで時間は経っていない。
アレクサンドルとはなんとか平然を装って雑談をしているが、個人的には気分を変えられれば……そう考えていた矢先の事。彼の後ろにいた執事の元に使用人が駆け寄るのが見えた。
伝言を受けたであろう執事は驚愕しており、緊急の事態が起こったようだ。慌てて彼の元にやってくる。
「アレクサンドル様、アシュリー様、お話中大変申し訳ございません。アレクサンドル様にお客様が――」
「今は婚約者であるアシュリーとの親交を深めている最中だから、断ってくれないか」
「しかし、お相手は第二王子殿下の側近であるエリオス様がいらっしゃっております。火急の要件だと……」
「エリオス殿が……?」
アシュリーにとっては渡りに船である。
はやる気持ちを抑えつけ、顔をしかめ面にして悩んでいるアレクサンドルに声をかけた。
「アレクサンドル様、私の事はお気になさらず、どうぞエリオス様の元へ行かれて下さい。私はこちらでお待ちしておりますわ」
「だけれど、折角の機会が――」
なお言い募るアレクサンドルに、彼女はにっこりと微笑んだ。
「ですが、火急の用事との事です。エリオス様がいらっしゃるのであれば、重要な件なのかもしれませんわ。私の事は本当にお気になさらず……ああ、でしたら私、その間にお庭の散策をしていても宜しいですか? 私が見た事のない花が植えられているのを見かけまして……近くで拝見したいと思っておりましたの」
アシュリーは掌を合わせ、首を軽く傾げてお願いする。そんな彼女の姿を見たアレクサンドルは、彼女の可愛さからか破顔した。
「それくらいならお安い御用だね。好きなように庭を見て回るといいよ。僕も早めに終わらせて、すぐに合流するよ……そうそう、この庭を真っ直ぐ進んだ場所に裏庭があるんだけれど……そこは今度のお茶会の場所にしようかと思っているから、今度のお楽しみって事でお願いしたいな。裏庭に行くには、薄暗い細い道を通らなくてはならないから、気づくと思うけれど」
「分かりました。裏庭は避けますね」
「じゃあ、行ってくるよ。愛しのアシュリー」
「行ってらっしゃいませ」
早足で歩き出すアレクサンドルの背をアシュリーはじっと見つめる。周囲には婚約者の背を名残惜しく見つめる令嬢と認識されているはずだ。
彼の姿が屋敷内に消えた事を確認した彼女は、使用人たちから不審に思われない程度にため息をつく。そしてテーブルに残っている冷めた果物茶を口に含み、喉を潤した。
カップの紅茶は半分以上飲んでいたため、すぐに飲み終わる。その事に気づいたアレクサンドル側仕えの侍女がお代わりの入っているティーポットを運んできて、カップへと注ごうとするのをアシュリーは止めた。
「お気遣いありがとう。だけど、この後私は庭を散策しようと思っているの。その間に紅茶が冷めてしまうと思うので、また席に着いた時入れてもらえるかしら?」
「承知致しました」
侍女を見送った後、彼女は立ち上がる。
ここは屋敷の東側の少々奥まった場所にある庭園だ。先程アレクサンドルから話を聞いたが、この庭園と先程の話に出てきた裏庭には滅多に外部の者を入れる事はない。アレクサンドルが初めてアシュリーを連れてきた程だ。
彼の両親は何度かこの場所で茶会を催した事もあるらしいが、それも数える程だと言う。
この場所は公爵家では薔薇園と呼ばれているらしい。多少他の植物も植えられてはいるが、目につく植物はほぼ薔薇だ。春だからだろうか、赤やピンク、黄色やオレンジ色と色とりどりの花が咲き乱れている。
ガゼボを背に薔薇を見ながら、建物の北側へ歩いていく。護衛のためか監視のためか……アシュリーの邪魔にならない程度の距離で侍女が着いてきているようだ。
薔薇の美しさに感動している振りをしながらも、視線は常に動かし続ける。屋敷内に見つからないのであれば、外に入り口がある可能性高い。アシュリーは不審な場所がないか、見逃す事のないように目を凝らす。
薔薇のアーチがある場所に辿り着くと、今までに見た事のないほど濃い赤色をした薔薇――これが黒薔薇と呼ばれているのだろう――が目に入る。
丁度立て看板が見えたので文字を辿ってみれば、トールボット公爵家に献上されたオニキスと呼ばれる薔薇のようだ。
確か二代前の公爵夫妻が薔薇に情熱を注いでいた事で有名で、当時大金を叩いて薔薇農園を買い取った話があった。その農園は出資者であった公爵家のために品種改良によって新たな薔薇を作ったのだが、それがオニキスという名だと聞いたことがある。
数歩下がってじっくり眺めていたのだが、黒薔薇を見ていると何かが軽く喉元にが、引っかかっているような……違和感を感じた。だがその違和感を感じ取る事ができなかったアシュリーの目にふとアーチの北側に植えられている低木が目に入った。
何故かその低木が気になったアシュリーは誘われるままアーチをくぐり抜け、外壁に沿って植えられている木々をゆっくりと見て回った。
そして外壁の角まで来ると、左側には裏庭に通じると思われる細く薄暗い道が敷かれている。周囲を見回しても疑念を抱くような場所はなさそうだ、そう思ったアシュリーは改めて低木を眺めた。
どこかで見た事のある木だったが、名前が思い出せない。確か隣国原産で葉や茎全てに毒がある植物だったはずだ……そう思い考え込んでいると、その低木の奥、外壁の門の部分に人一人入れるような隙間がある事に気づく。
この低木に覆われていて気づけなかったようだ。どこかにあの場所まで続いている道があるのだろうが、流石にそこまでの危険は犯せない。
そのままアーチの方で歩きつつ、途中で止まりながら名前の分からない低木の事を考えていると、後ろから「アシュリー!」と声をかけられて、肩をぐいっと引っ張られた。
背に温もりを感じたが、先ほどの声を聞く限りアレクサンドルだろう。
彼に抱きしめられているという嫌悪で思わず固まってしまったアシュリーだったが、すぐにやんわりと彼から逃れ困惑した表情で彼に対面した。
「アレクサンドル様、どうかなさったのですか?」
「アシュリーこそ、ここで何をしていたの?」
普段の彼のように見えるが、声色はいつもより低く表情が引き攣っているように見える。確信は持てないが、当たりかもしれない。
勿論彼女はそんな思いを悟らせないよう、更に戸惑いの表情を深めて話す。
「実はこの葉をどこかで見た事があるように思いまして……名前を思い出そうと近くで拝見していたのですわ。あの……何か問題でも?」
そう問えば、アレクサンドルの表情が先程よりも柔らかくなった。
「なんだ、そうだったのか。この低木は綺麗な花が咲くのだけれど、毒があるからね……。危険だから遠ざけたんだ。ちなみに、名前は思い出したかい?」
「……お恥ずかしいのですが、思い出せませんでしたの」
「これはハイドレンジアという花だ。父が昔隣国の公爵家に招かれた時、分けてもらった植物だよ。小さくて綺麗な花が咲くのだけれど、毒があるという事で隅の方に植えてあったんだ」
確かにそんな名前だったな、とアシュリーは思った。
「そうでしたの。教えて頂きありがとうございます。……毒があるとは知りませんでしたので、もう少し遠くから拝見するように致しますね」
「お願いするよ。君が嫁入りすれば、毎年見られるようになるね。まずは次に花が咲いた時、僕と見に来ようか」
「ええ、是非お願い致しますわ」
そんな日は来るだろうか、いや来ない……来てはいけないのだ。アシュリーは心の中でその言葉を何度も繰り返しながら、アレクサンドルの後ろを付いていった。
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