第26話 茶会

 アレクサンドルから手紙が来て一週間ほど経った頃。アシュリーはトールボット公爵家の庭のガゼボで対面していた。

 

 アシュリーから見て、今日のアレクサンドルの態度は非常に紳士であった。彼女がアレクサンドルに傾倒している風を装っているからだろうか。

 あとはエディーからの情報と侍女の協力も得て、外見も性格も「慎ましやかで純真無垢な令嬢」である風に仕上げた事も彼の機嫌の良さに繋がっているのかな、とアシュリーは思う。


 普段であれば聞き役に徹していた――茶会を中止する時は一方的だが――アレクサンドルが珍しく話を振ってくるため、今までで一番盛り上がったのではないだろうか。彼女は目的を悟られないよう細心の注意を払いながらも、雑談に講じていた。

 


「こちらは果物茶でしょうか?」

「そうだよ。君が以前茶会で果物茶という物をお勧めしていた事を聞いてね。先日商会に問い合わせて購入して試飲をしてみたけれど、人気になる理由が分かる気がするよ。さっぱりして飲みやすいね」



 この果物茶からオレンジの香りが漂ってくる。以前アシュリーが紹介した物と同じ商品のようだ。

 よくテーブルを見てみれば、アフタヌーンティースタンドに乗っている皿の上には様々な種類のお菓子やパンが置かれている。食べてみれば、アシュリーが気に入って購入しているお店のお菓子やパンが多いように思う。

 直前に茶会をほっぽり出す無作法な人だと思えないほどの気の配りように多少驚いたのは秘密だ。きっと他の所でも顔を使い分けているのだろう。

 

 アシュリーは恥じらう表情を作った後、視線を落とす。


 

「ええ、私もとても気に入っていますの。アレクサンドル様に好みだと仰っていただいて嬉しいですわ」



 そう呟いた後、首を傾げ上目遣いでアレクサンドルを見つめれば、彼も嬉しそうに微笑んでいる。アシュリーの機嫌が良いように見えるからだろうか、彼女がアレクサンドルを慕っているように見えるからだろうか、どちらにせよ穏やかな空気である事には変わりない。

 今が絶好の機会だと思ったアシュリーは、さも思い出したように話し始めた。

 


「……そう言えば、果物茶を取り扱っているバッベル商会で新作の構想を練っているそうで。次は葡萄を利用したティーを開発しているそうですわ。担当の者がこっそり教えて下さいました」

「葡萄を?」

「はい。隣国の葡萄と我が国の葡萄を集めて、どの地域の葡萄が一番紅茶に適しているかを調査しているそうです。アレクサンドル様は、葡萄はお好きでしょうか?」

「ああ、好きだよ」

「まあ、ご一緒ですね! 私も葡萄が好きなのです。お菓子に入っている干し葡萄も好きですが、葡萄ジュースも好きで。アレクサンドル様は葡萄を使った好きな物などございますか?……あ、申し訳ございません。質問責めにしてしまいましたね……」



 彼女は嬉しさを全面に出すために、普段あまり行わない大仰な身振りも付けてアレクサンドルに笑みを向けた後、さも今気づいたかのように身を縮ませた。

 アシュリーの様子を見て、周囲で控えているトールボット家に仕えている使用人たちは表情を崩している。第三者からすれば、彼女とアレクサンドルは微笑ましい婚約者のように見えているからだ。

 アレクサンドルも彼女に気を許し始めたのか、舌が回り始める。


 

「そうだな……僕はワインが好きかな。最近父上とよく嗜んでいるんだ」

「そうなのですね! アレクサンドル様のお勧めの銘柄はございますか? 今度嗜んでみたいと思うのですが」

「んー、今お勧めなのはアゲット家のワインかな?」

「アゲット家ですか?」


 

 望んだ答えが返ってきたアシュリーは、内心喜びながらも表情には見せないよう取り繕う。

 どれだけ情報を引き出せるか、ここからが腕の見せどころである。


 

「以前父から、現男爵様になってから質が落ちた、とお聞きしていますが……」

「それが最近葡萄の原料や製法を工夫したからか、今までで一番の質のワインが作られていてね。もしかしたら王家御用達になるかもしれないよ」



 貴方が仕組んだ事でしょうに、と心の中で呆れながらもアシュリーは驚いた表情をする。

 

 

「それは知りませんでしたわ。流石、アレクサンドル様です」

「そんな事ないさ。僕も知ったのは偶然だったからね。ほら、いつも幼馴染の見舞いに行っているだろう? それがアゲット家の令嬢なんだ」

「そうでしたの」



 彼女は笑顔を貼り付けながらも、心の中で嘆息する。アシュリーの誘導もあったとは言え、こんなに軽々しく他の令嬢の事を話し始める事に嫌悪の気持ちが芽生えた。

 そんな彼女の思いなど気づかないアレクサンドルは、意気揚々と話し続ける。

 


「ルイサとは幼い頃、よく一緒に遊んでいてね。元々病弱だったから、よく見舞いに行っていたんだ。お兄様、と言ってちょこちょこと歩いてくる姿は本当に可愛かったな」



 うっとりと幸せそうな表情で話すアレクサンドルに相槌を打ちながら、アシュリーは聞いた事を反芻する。兄の報告書にルイサとアレクサンドルが仲睦まじくしていた、という情報はあっただろうか……何度も思い返すが、そんな話はなかったはずだ。

 報告書の内容を思い出しつつ、彼女はアレクサンドルの話に耳を傾ける。ここからは一言も聞き逃してはならない、そんな警鐘が頭の中で鳴っているからだ。

 

 アレクサンドルは紅茶で喉の渇きを癒した後、アシュリーに視線を送りにっこりと笑う。

 

 

「ルイサは一度領地で療養していたのだけれど……アゲット領に向かう時、『戻ってきたら遊びましょうね、お兄様!』と笑って手を振ってくれたんだ。だから僕は彼女が領地から戻ってくるのを待っていたんだよ。可愛い子だから、きっとアシュリーも気に入るよ」

「気に入る、ですか?」

「そう。本当はもう少し後に話そうと思っていたけど、アシュリーなら受け入れてくれると思うから話すよ。ルイサは病弱だ。貴族の義務を果たす事が難しいと僕は予想していてね。もう少しで子爵家との婚約が白紙になるのではないか、と考えているんだ。もしそうなったら僕が救ってあげようと思って」



 まるで明後日の予定の話でもしているような軽い口調で話すアレクサンドルに、アシュリーは吐き気を覚える。彼の目的はアゲット家ではなく、ルイサ個人だったのだ。

 この国は一夫一妻制。ルイサは男爵令嬢のため、公爵夫人という立場に置くことはできない……つまりアレクサンドルは愛人として彼女を囲おうとしていることは一目瞭然だ。

 

 眉間に皺が寄りそうになるのを必死にアシュリーは堪えた。この発言を止める者はいないのだろうか……と作り笑顔のまま周囲を一瞥するが、使用人たちには聞こえていないらしく、ほんわかとした雰囲気が漂っている。


 まさかこのような場所で、アレクサンドルがアシュリーの尊厳を傷つけているとは思わないだろう。猫被りが上手いのだ。

 お腹の底から湧き上がってくる不快感を飲み込み、アシュリーは震える唇で言葉を紡ぐ。時間は一瞬であったが、彼女には何時間も経ったかのように感じられた。

 

 

「……お優しいのですね」



 言葉が震えていないだろうか、アレクサンドルに不審に思われないだろうか、そんな不安な気持ちを押し込めてアシュリーは顔を上げて気丈に振る舞う。幸い、アレクサンドルは彼女の変化に気が付かなかったらしい。

 

 

「そう言ってもらえて嬉しいよ、アシュリー。君は僕の理想の女性だ。僕の考えを受け入れてくれると信じていたが……やはり僕の隣に並び立つのは君しかいない。慎ましやかで男性を立てる事ができて、礼儀作法も素晴らしい、そんな君を僕は愛しているよ」

 

 

 愛している、その言葉に悪寒が走る。こんなに不愉快な愛の告白などこの世にあるのだろうか、いや……後にも先にも今日だけだろう。

 アシュリーは自身に言い聞かせる。ここで嫌悪感を露わにしてはいけない、と。更に満面の笑みを貼り付ける。

 

 そんな彼女の気持ちなどお構いなしに、アレクサンドルはアシュリーに近づくと膝立ちで彼女の向かいを陣取り、手を取った。アシュリーは振り払いたい気持ちを抑えて笑みを維持する。


 言葉が震えていないだろうか、アレクサンドルに不審に思われないだろうか、そんな不安な気持ちを押し込めてアシュリーは気丈に振る舞う。幸い、アレクサンドルは彼女の変化に気が付かなかったらしい。


 

「また機会を作って彼女を紹介するね」

「はい、お願いします」

 

 

 早急にアレクサンドルを引き摺り下ろそう、そうアシュリーは決意した。

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