第24話 噂
その日から数ヶ月後……アレクサンドルが茶会を中止した翌日。
アシュリーに与えられた執務室で彼女は執務机に座り、エディーと共にヴェリタスからの報告書を確認していた。
彼は現在、ジョウゼフという名で執事見習いとして潜入調査を行なっている。報告書は十数枚に渡り、全てを読み終えたアシュリーは、テーブルにぽん、と投げ置く。
そしてテーブルに置かれていたビンを手に取り、持ち上げながら軽く中身を揺らしてみた。
ビンの中身は乳白色の液体が入っており、蜂蜜……までとはいかないが、少々粘性のある液体。
これはアゲット家の執事であるアパタオが所持していたモノだ。ヴェリタスがアパタオの隙を見て入手したもの。鑑定の結果、禁止薬物である事も証明されている。
アパタオという男は、アレクサンドルの手の者であった。度々連絡を取り合っている事に気づいたヴェリタスの報告を知ったエディーが、アパタオの調査を重点的に行なったところ、アレクサンドルの後ろ盾を得てこの屋敷の執事として潜り込んだ事も判明している。
ルイサが領地療養に向かう以前、前男爵に仕えていた当時の執事が高齢と体調不良を理由に屋敷を辞しているのだが、その後任としてアゲット家に仕えているらしい。
ちなみに隣町で薬物の受け取りをしているのも、この男である可能性が高いだろうという事が書かれていた。
薬物を所持している今の時点でアパタオを拘束する事はできるが……。
「ここでこの男を引っ張ったところで、しっぽ切りをされるだけですね」
「その通りだ。まあ、ルイサ嬢の身体は健康になるかもしれないが、それ以外は闇の中だ」
ルイサの体調不良は、アパタオによって禁止薬物を摂取させられているからだ、とエディーは結論づけている。確かにその理論でいけば、彼を捕縛する事で彼女の体調不良はなくなるだろう。
だが、それをしてしまえば
不本意ではあるがまだ様子見でいるべきだろう。
「それは我々が望む解決ではありませんものね……ちなみにお兄様、その男はルイサ嬢にいつ薬物を摂取させているのでしょう?」
「原液は遅効性の毒という話だから、寝る前のミルクに入れられているのだろうと予想はしている。所持だけでも大罪ではあるんだが、とぼけられてしまっても困るからなぁ……できたら使用しているという証拠が欲しい。後はアレクサンドルの屋敷内も隅々まで探しているが、芳しくない」
「前途多難ですわね……あちらも動いているようですが、一体何をしたいのか見当もつきませんわ」
「そう言えば、学園では噂が流れているんだったな」
アシュリーは頷く。
最近アレクサンドルのいる二期生の間でまことしやかに流れている噂がある。その噂の内容が「アレクサンドルが幼馴染である令嬢を見舞っている。しかもその令嬢は下位の令嬢らしい」というモノだった。
その噂が流れ出してから、声を上げて彼を讃える令息や令嬢が多くなったように感じる。その声の出どころは勿論下級貴族が大半である。
噂が流れ始めたのはアレクサンドルが初めて当日茶会の欠席を伝えた一ヶ月後、くらいだろうか。中には面白がって、わざわざ彼女に噂が真実かどうかを訊ねる者もいた。
初回の茶会でアゲット家に訪れているのは勿論アシュリーも知っていたが、当時アレクサンドルは「用事がある」と言って欠席していたので、彼女は「存じ上げませんわ」と言って躱していたので、面白半分尋ねに来る者も現在はいないのだが。
「未だにその噂は消える事なく囁かれてはいますね。一部の彼を持ち上げる貴族たちが、声高に話している事はありますが下火にはなりました」
「それよりだ。あの男は本当に何をしたいんだか。お前の耳にその噂が入った後の茶会も欠席だったんだろう?」
「ええ。丁度彼の方が欠席を自身で伝えにこられたので、『もしかして幼馴染様の所へ行かれるのですか?』とお聞きしたのですが……」
「開き直られた、と」
アシュリーは彼の呆れた声を聞いて首を縦に振る。
その時のやり取りはよく覚えている。
噂が耳に入ってからしばらくして、アレクサンドルとの外出の予定が入っていたのだが、その日も「用事がある」と言って彼はアシュリーに背を向けたのだ。
だからアシュリーは噂を知っているという意味も込めて、そのように聞いたのだが……。
まるで驚いた、と言わんばかりにアレクサンドルは目を見開いてアシュリーを見たのだ。
「知っていたのか」
「ええ、ご丁寧に教えてくださる方もいたので」
貴族社会とは情報が命である。率直に言って終えば、彼らがアシュリーの元に来る前から彼女はその噂について耳に入れていたのだが……。
この表情を見たアシュリーは、アレクサンドルが彼女の事を何も知らない箱入り娘だと評価しているのかもしれないと思った。
そんな事をアシュリーが考えていると知らないアレクサンドルは、嬉しそうに笑う。
「知っているなら話が早いよ。彼女は昔から私をお兄ちゃんと慕っていてね。身体が弱くて……よく熱をだす子だったから、何度か見舞いに行っているんだ」
「そうでしたか……アレクサンドル様はお優しいのですね。……ですが、外聞はあまり宜しくないと思うのですが……」
婚約者でもない女性の元に向かうなんて、外聞が悪い。この事に気づかないのだろうか。
アシュリーは困惑した表情でアレクサンドルを見つめたのだが、彼の視線は先ほどよりも冷たいモノとなっていた。
「……君がそんなに冷たい女性だとは思わなかったよ。とにかく今日の茶会は中止だ」
アシュリーの言葉に気分を害したらしいアレクサンドルは、踵を返して屋敷を出ていった。その日からだ。中止になった予定を振り替えなくなったのは。
この件からルーシーはアレクサンドルに嫌悪を抱くようになったのか、彼が予定を中止するたびに怒髪天を衝くような形相を見せていたし、後に父に報告した時も青筋を浮き立たせていた事を覚えている。
回想を終えたアシュリーは、ふう、とため息をつく。
「今では『幼馴染の所へ見舞いに行ってくる』と言って、毎回予定を踏み倒されますもの。時間が無駄に思えて仕方ないですわ。その上、中止になったお茶会の振替もありませんから、話を聞こうにも聞けないという状況ですし……」
今回も茶会を中止された後に「お会いしたい」という旨の手紙をアレクサンドルに送っている。以前は別日に予定を組んでくれた彼だが、今ではその姿勢も全く見られない。
学園では学年が異なる事もあり彼と積極的に関わっていなかったため、現在の不仲な状況は知られていないのは幸いだ。
あの件から「健気な女性」だと思わせるために、煩くない程度に手紙を何通か送っているのだが、未だに効果は見られないので、打つ手がない。
「せめて私が彼の方の屋敷に入る事ができれば良いのですが……」
少しでもアシュリーがアレクサンドルを引き付けておけば、諜報員も動きやすいはずだ。だが、そもそもその機会が少ない事が問題なのである。
二人でため息をついたその時、扉の叩く音がする。アシュリーが入室するように伝えれば、そこにいたのはルーシーだった。
「お嬢様、お手紙が届きました」
「ありがとう、ルーシー」
彼女はアシュリーに手紙を渡すと、エディーに一礼してすぐに部屋を退出する。アシュリーはそんな彼女の姿を見つめていたが、ルーシーの眉間に皺が寄っているように見える。彼女があの表情をする時は、不愉快な感情を抱いている時だ。
扉が閉まると同時にアシュリーは封を裏返す。するとそこにはアレクサンドルの名前が書かれていた。
慌てて引き出しからナイフを取り出し、封を切り内容をさっと確認して口角が上がりそうになるのを耐える。ふと顔を上げれば、エディーも黒装束を身に纏った人物と話し合っていた。彼はきっとエディーの部下なのだろう。
彼はエディーに一枚の紙を手渡すと、その場から忽然と消えた。余りにも彼の動きが早すぎてアシュリーは眼で追えなかったが、兄の視線を見る限り天井裏から配置に戻ったらしい。
内容を一瞥したエディーはアシュリーに視線を合わせた。
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