第22話 公爵家
「父上、トールボット公爵令息とは……つまり嫡子のアレクサンドルの事でしょうか」
最初に動き出したのはエディーだった。
トールボット公爵家には二人男児がおり、長男で摘子のアレクサンドル、次男のソロモンだ。次男のソロモンは幼い頃から身体が弱く、歩く事もままならないため常にベッドの上で生活していると聞いていた。そう考えると、やはりアレクサンドルの事だろう。
だが、アレクサンドルは摘子だ。そして同様にアシュリーも摘子である。
「……そうだ」
「お父様、ふたつ確認がございます。私がトールボット公爵家に嫁ぐ、という事で宜しいですか。その場合、サンタマリア侯爵家はどうなるのでしょうか」
侯爵は眉間に皺を寄せ、腕を組んだまま答えた。
「その認識で合っている。サンタマリア侯爵家はアシュリーが産んだ子を一人嫡子にすれば良い、とあちらからは言われている」
「広大な食糧庫と呼ばれる我が領地だけならそれも可能でしょうが、諜報員の事はどうするのですか?」
「……一旦落ち着け、そもそもこれは王命だ。この婚約が覆る事はない」
「「え?」」
「王命……いや、王家から我が家への密命になる」
そこから父は何故この婚約が結ばれたのか、を淡々と話し始めた。
「この婚約であるが、最終的には破棄、もしくは白紙になる可能性がある」
「……なっ!」
「落ち着け、エディー。そうなったとしても、アシュリーに瑕疵はないように配慮されるはずだ」
顔を真っ赤にして怒るエディーの一方で、アシュリーは冷静に父の話を聞く。隣で兄が怒ってくれたからか、彼女の心は冷静だった。
頭に血が上っているエディーをアシュリーが宥めた後、彼はまた淡々と話し始める。
「以前我が諜報員の一人が、我が国の禁止薬物に指定されている商品を隣国で購入した人物がいる、という話をしただろう。後に、その禁止薬物をこの国に持ち込んでいた事が判明した。途中で足取りを追う事ができなくなったがな」
「あの薬物はかなり高価な物でしたから、それを鑑みて王都の貴族が購入したと考えられたのですか?」
エディーの言葉に侯爵は頷く。
話に出てきた薬物は国内法により、所持するだけでも罰せられる所持禁止薬物に指定されている。原液を少量服用するだけでも頭痛や嘔吐などの副作用はあるが、この薬物が危険視されているのはそこではない。
この薬物にある物を加えるだけで、死に至る劇薬へと変化してしまうからだ。しかも、そのある物がこの国ではいつでも入手できてしまうため、持ち込みが不可となっている。
あの薬は隣国で別の試作品を作成した際にできた副産物だ。実験により乳白色で無味無臭の毒と分かり、隣国の王家はその毒を秘密裏に研究させた。解毒薬を作成するためである。
死の確率は低いが、毒なのだ。もしかしたらいつかこの毒の標的になるのは己かもしれない。彼らはそう考えたのだろう。
その結果、解毒薬の作成も成功したのだが……一方である物を加え一定量を服用すると、即死に至る劇薬の効果も発見されてしまったのである。
「それもあるが、同時期に解毒剤として使う果実の実を幾ばくか購入した者がいたそうだ。その荷物の足取りを追うと、王都付近の街までやってきている事が判明した」
「あの果実をですか? まあこの国の国境辺りでも食べられてはいますから、商品の納入は不思議なことではありませんが……成程、まだ熟していない実を購入したのですね」
「お兄様、その実の事をご存知ですの?」
「ああ。今回の任務で熟したものではあるが、実物を食べてみたよ」
彼女も知らなかったが、解毒剤になる果実の実は若いと渋みが強く、食用向きではない。だが、解毒剤にはその若い状態の実を原料として使用するのだそう。
だからその事を知らない農家は、購入者――彼も雇われの一人だろうが――と共に話していたらしい。
「こんな果実を何に使うんだか」
「いやあ、ここだけの話。隣の国のお偉いさんが食べてみたいんだとよ」
「これをかあ?! ……お偉いさんの考える事は分からんねぇ。俺だってこんなに食べようとは思わねぇよ」
「ちげえねぇ」
そんなやり取りをしたから印象が強かったのか、果実を販売した農家の人に話を聞き出すのは簡単だったようだ。
「成程、父上は王都付近の街までの足取りの裏が取れている事を鑑みて、購入が可能なのは貴族だけと判断されたのですね」
「ああ、そうだ。だが平民はともかく、我らの情報網で王侯貴族の死で怪しいものはないと判断している」
「つまり使用していない、もしくは原液のまま使用している、という事でしょうか」
「ああ、アシュリー。その通りだ。念の為、平民に使われている事も考え、他の諜報員たちに王都と街を調べさせているが……不審な点は見当たらない」
「必要な時までただ所持しているだけか、所持している者が何らかの理由で原液を使用しているか、の何方かとお父様は考えられているわけですね……そしてその薬物を所持している疑惑のある方が……」
「トールボット公爵家、という事か」
「そうだ」
だが、これだけではトールボット公爵家で購入されたという動機は弱い。密命で動くよう指示されるほど、何か確証があるのだろうか疑問だ。
そうアシュリーが尋ねれば、侯爵は「その事だが」と話を続けた。
「これは機密事項なのだが、かの禁止薬物の原液を使用し続けると、身体の機能が低下していくという実験結果がある」
「身体の機能低下……もしかして」
エディーがボソリと呟く。アシュリーと同じ事を考えているに違いない。
アシュリーが戸惑いで口籠る中、エディーは核心をつく。
「ソロモン殿に原液を使用している人物がいる可能性が高い、と。そして彼が病弱な事で利益を得る人物……」
「それが私の婚約者になるあのお方、という事ですか……」
「まあ、王家の見解では、原液を入手しているのは夫妻ではないか、と見ているようだがな」
アレクサンドルとアシュリーが婚約することで、公爵家が本当に薬物を所持しているのかを把握したいのだろう。トールボット公爵家は王家に次ぐ公爵の地位についている程だ。もし禁止薬物が彼らの手に渡っているのならば、ついでに裏の人脈も捕らえられる可能性もあるからだ。
それに彼女が婚約すれば、公爵家の手の内に入りやすいのもあるだろう。アシュリーは納得したが、エディーはまだ納得していないらしい。
「確かにその方が調査を進めやすいのは理解できますが……公爵家の反応は如何ですか?」
「それなんだがな……」
そこから彼は額を押さえて語り始めた。
現在サンタマリア家は兄のエディーが体調不良により領地で療養中と表向きは周知されており、嫡子はアシュリーだと発表されている。だが、そこにこの婚約を差し入れてきたのがアレクサンドル――公爵家だったとの事。
サンタマリア家がアシュリーを嫡子に、と提示しているにもかかわらず、彼らは「アシュリーを嫁に」と譲らなかったそうな。一度は断りの返事を送り返したのだが、「アシュリーの産んだ子どもを後継にすれば良い」と譲らなかったらしい。
父の話を頷きながら聞いていたエディーは、父の話が一息つくとボソっと呟いた。
「才徳兼備のアシュリーだ。嫁に欲しがるのは分かる。俺も嫁に欲しい」
「お前には無理だ」
「父上、そんな事は分かりきっている」
二人が真面目な顔で言い合っていたので、アシュリーは吹き出しそうになるのを堪えるのに必死だ。眉間に皺を寄せる事で衝動を抑えていたアシュリーを他所に、二人の話は進んでいく。
「何よりアレクサンドル殿がアシュリーを、と切望していたらしい」
「ほう、見る目はあるんですね」
「そうだな。確かに見る目はあるな……私としてはこの疑惑がある時点で、婚約させたくはないと思ってはいたのだが……」
言い淀む姿に父の愛情が感じられる。王家の密命とはいえ、禁止薬物を手にする犯罪者の手の内に入り込むのだ。父親としては娘に危険な事をさせたくはないのだろう。
侯爵として、父として、その胸中はせめぎ合いになっているに違いない。
この婚約は表向き王命での婚約ではなく、あくまでトールボット公爵家からサンタマリア侯爵家への婚約申込、となっている。王家はその婚約を命じたのではなく、結婚に許可を出しただけという姿勢だ。
だが、密命での婚約命令だ。それに彼女も次期侯爵。いつまでも守ってもらうわけにはいかない。
「お父様、お気持ちは嬉しく思います。で、す、が、私も次期侯爵としてここは身体を張るべきですわ。それにお父様が何を言っても、拒否はできないのでしょう? ……私も拒否するつもりは全くありませんが」
「まあ、その通りだが……少しは心配させてくれ」
「お父様、ありがとうございます」
アシュリーは亡き夫人の面影を宿しており、特に笑い方がよく似ていた。そんな彼女が微笑むのを見て、彼も夫人が生きていた時の記憶を懐かしむ。
そんな父の思考を破ったのは、眉間に皺を寄せたエディーだった。
「アシュリーが心配なのは分かります。ですが一方で私には最初から危険度の高い任務を与えられたような気がするのですが……」
彼は遠い目をして最初の任務を思い出していた。エディーの最初の任務は、ある高位貴族の館に侵入し、王国で禁止されている奴隷売買の証拠を入手する事であった。その館は一度侵入すれば二度と戻れないと言われているほど、厳重な警備体制をとっていた。
初実戦で難易度の高い任務を命じられたのだが、彼は危なげなくこなしたのである。
「お前はどこでも生き延びる事ができるだろうから、心配していない」
「父上、流石にあの時は死ぬかと思いましたよ。それに私を褒めているのか貶しているのか、どちらですか?」
エディーが侯爵へと捲し立てるように詰め寄る姿を見て、アシュリーは兄の左手の裾をくいっと引く。
それに気づいた彼はアシュリーの方に顔を向けたので、兄に向けて彼女はにっこり微笑んだ。
「お兄様、お父様はお兄様を信頼していらっしゃるのですよ」
「……そうか」
エディーはアシュリーに褒められたと思ったのか嬉しそうにニコニコと笑っており、それを見ていた侯爵は少々気まずそうな雰囲気を醸し出している。まあ、なんとか丸く収まったであろう今のうちに、話を元に戻さないといけない。そう思ったアシュリーは父に話しかけた。
「お父様、婚約の手続きに関してはよろしく願い致します。私の威信にかけて……相手の手の内を晒せるよう、全力を尽くします」
「ああ、エディー。この件はお前の集団に事を当たらせるつもりだ。アシュリーと連携して証拠を探ってこい」
「御意」
侯爵の気遣わしげな表情に見守られながら、アシュリーは宣言する。
兄の協力を得る事ができるのならば……この問題も解決するだろう、そうアシュリーは思った。
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