第12話 兄は思う
(……当たってしまったか)
俺が婚約者であるサラ嬢から手渡された手紙をルイサに渡した時、何となくだが嫌な予感がしたのだ。病気の発症の周期を確認してみれば、ルイサ曰く「まだ先ですね」との事だった。
念の為サラ嬢には病気が発症した場合の予定も確認してあり、もし病気になったのであれば翌日にずらすよう話が付いている。
俺が気がついたのも、朝ルイサの部屋の前を通ったからだ。「うう……」と呻き声が聞こえた気がして彼女の部屋に入ると、そこには顔を真っ青にした彼女が横たわっていた。
すぐにアパタオを呼び、俺は水差しと軽く摘める食事をルイサの部屋に持ってくるよう指示をした。彼から「うつるかもしれません」と注意されたが、そこは押し切ってルイサの部屋に居座る。
たまにルイサに水を飲ませながら彼女の様子を見ているが、彼女が一向にアレクサンドルの名前を呼ぶ事はない。そう言えばルイサはいつも俺の前では「公爵令息様」と言っていた。
彼女なりの反抗心なのかもしれない。
最初に比べて顔色が少しだけ良くなった頃、彼が訪れたのだった。
ふと話し声が聞こえ、私は覚醒した。
この声は言い合っているようだ。痛む頭をほんの少し右側にずらせば、目に入ってきたのはお兄様の背中だった。
「……私はルイサに呼ばれたと聞いて来ただけなのだけれど」
「本日は私がずっと側にいましたが、貴方様の名前をお呼びした様子はありませんでした。妹は婚約者がいる身ですので、本日はお引き取りください」
どうやらお兄様が公爵令息様に苦言を呈しているようだ。兄がいてくれる事に対しての心強さに、少しだけ心が軽くなった。
だが、体調を崩した事によってサラ様のお茶会に行けなくなってしまった。
サンタマリア侯爵令嬢様に謝罪をする機会を得る事ができるかもしれない、その期待が膨らんでいただけに、自分の体の弱さを呪った。
その間にも、お兄様と公爵令息様の睨み合いが続いているらしい。それを破ったのは両親の声だった。
「何を言っているんだザカリー! アレクサンドル様は善意で来ていただいているんだぞ!」
「そうよ。そんなに目くじらを立てなくても良いのでは?」
遠くでアレクサンドルの肩を持つ両親の声が聞こえたが、その後すぐに「ひっ」と悲鳴のような声が彼らから上がる。きっとお兄様に睨まれたのだろう。
あまりにも重い空気に替えの水差しを持ってきたであろうアパタオは、少し狼狽えている。そんな空気を察したのか、分が悪いと思ったのか……公爵令息様はひとつため息をついてお兄様に話しかけた。
「今日は帰るよ。ルイサによろしく言っておいてくれ」
あの地獄の時間が来ない事に私はほっとしたのか、そのまま気を失ってしまった。
(やっと帰ったか)
扉に背を向けている両親は、彼の機嫌を取るのに夢中らしい。
「我が家の息子が申し訳ございません」
「またいらしてくださいね」
と頭を下げてへこへこしながら、アレクサンドルを見送っている。
それがおかしい事に両親は気づかないのだろうか。
彼にはサンタマリア侯爵令嬢が、ルイサにはトマスという婚約者がいる。
婚約者のいる身で、
ルイサがどれだけ貞操観念がしっかりしていて、暗に彼へと「来ないでください」と言っていても、側から見れば病を理由に彼を呼びつける女だと判断される可能性が高い。
つまり最終的にアゲット家の評判が悪くなる事に両親は気づいていない。
いや、そもそも次期公爵との縁を持ちたいがために、ルイサを利用している節もある。まぁ、アレクサンドルにはそんな両親の浅ましい心を見抜かれているだろうが。
(まさか婚約者ができた後に、ルイサの看病をするために男爵家へと足を踏み入れているとは思わなかった。それに気づけなかったのは、俺の失態だ)
学園でのアレクサンドルは、完璧な人間だと周囲に思われている。成績は文武共に優秀で、全てをそつなくこなし、容姿もよく、人当たりも良い。彼と顔を合わせた令嬢の中には「物語の王子様みたい」と言う人もいる。
そして婚約者であるアシュリー・サンタマリア侯爵令嬢も国一番の淑女として名を馳せており、完璧な婚約者同士お似合いだ、と評価されていた。
それが彼、ザカリーが卒業する際に聞いていたアレクサンドルに対する周囲の評価だった。
現在サラが言うには、その評価はほぼ変わらないらしい。
だが、最近ある噂が流れ始めたという。
その噂が、「アレクサンドル公爵令息が婚約者以外の貴族令嬢の看病に通っているらしい」というものだった。
一部では有名な噂だが、周囲はその噂に懐疑的な者も多いらしい。勿論アシュリー嬢の耳にも届いている。
先日サラから送られてきた手紙にはその事が書かれており、暗に「王都へ来て確認すべきだ」という事が書かれていたため、領地を任せて屋敷に帰ったのである。
ちなみにアレクサンドルの噂を流しているのは、誰か分からないとサラは言っていた。
噂自体を持ち上げているのは、アレクサンドルの取り巻きの貴族たちらしく、下位貴族の世話をするなんて、アレクサンドル様はお優しい」と口を揃えて周囲に話していると聞いている。
だが、それが本当なのかは彼が肯定、否定のどちらもしないため、本当に噂で終わっているのだが。
この噂が流れた事によって、学園はアレクサンドルの噂を是とする肯定派と、彼の噂に眉を顰める良識派、どちらにも属さない中立派に分かれているそうだ。
声を上げるのは圧倒的に肯定派の特に下位貴族が多く、良識派の令嬢令息は眉を顰めるのみで非難する言葉は言わない。それは彼が筆頭公爵家の次期公爵という地位があるため、口を出す事を恐れているためだ。
今はまだいい。
その令嬢がルイサだと学園の者は気づいていないからだ。
ルイサのことだと気づいた彼らの嫌悪は――そう、弱い立場にいるルイサへと向かう事になる。そのため早くこの件を解決しなければ、来年学園に入学するルイサは針の筵となってしまうのだ。
ただでさえ良識派や中立派の貴族は、噂であってもこの件を両親へと報告している可能性が高い。それを受け入れているアゲット家に対しての評価が下がる可能性も……それが将来領地に影響を与える事だってある。
俺はルイサの様子を見ながら、明日に変更という旨を認めた手紙をサラ宛に送った。
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